よかったと思うしかない
2024年2月16日(木)朝の6:00になりました。
春風めぐり、大人になった世界は理不尽に曲がる。
どうも、高倉大希です。
「つぎに笛を鳴らすまで、階段をダッシュで往復しつづけろ」
この言葉を聞いてから40分後に、ようやく聞きたかった音が鳴りました。
中学時代の部活の顧問は、いわゆる「鬼」というやつでした。
連帯責任なんて、あたり前です。
誰かがミスをしようものなら、一瞬にして地獄のダッシュがはじまります。
いま考えてみれば、あの時代によくあそこまでできたなと思います。
あのころの経験があったおかげで、いまの自分がある。
苦しかった過去は、往々にしてこのような文脈で語られます。
成功者のエピソードなんかは、十中八九この形です。
「挫折」や「下積み」という名前がつくことで、美化されるというわけです。
きっと、嘘はついていません。
苦しかった過去は、あってよかったと思うしかないのです。
ひとりで勝手に思っている分には、なんの問題もありません。
厄介なのは、ここから派生するあれこれです。
あまりにも美化しすぎて、捏造された過去に依存してしまったり。
自分の過去と比較して、ほかの人の苦しみを軽んじてしまったり。
おなじ経験が必要だろうと、我が子にも強要してしまったり。
挫折や下積みがないことを、コンプレックスに感じてしまったり。
過去の自分と現在の自分が、一本の線の上に立っているまったく同じ人間だ。
このような前提があるからこそ、上記のようなあれこれが発生してしまいます。
朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり。
孔子の教えをまとめたとされる「論語」に記された言葉です。
解剖学者の養老孟司さんは、この言葉をこう解釈されています。
自分が変わるということは、以前の自分が死んで生まれ変わることだ。
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