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恥と準備は同時進行


2025年1月22日(水)朝の6:00になりました。

今週は稼働しすぎているので、よろしくないです。

どうも、高倉大希です。




準備が万端になるまで、動けない。

そんな人と、これまでにたくさん出会ってきました。


1週間後に「準備はできた?」と尋ねると、「まだ」という言葉が返ってきます。

2週間後に「準備はできた?」と尋ねると、「まだ」という言葉が返ってきます。


きっと、この人の準備が終わることはありません。

準備が終わらないので、もちろん動き出すこともありません。


正解はあるのです。それは権威者が事前に用意した、確固たる模範解答ではありません。そうではなく、私の行為が「正解だったことになる」という形の、遡及的・事後的な正解はちゃんとあり得るのです。正解を制作する。生きるとは、そんな創造的行為の積み重ねのことです。

近内悠太(2024)「利他・ケア・傷の倫理学」晶文社


かくいう自分も、かつてはそうだったなと思います。

まずは準備をしなきゃいけないと、そう思い込んでいました。


親も準備が終わってからじゃないと、子どもを動かそうとしません。

学校の先生も準備が終わってからじゃないと、子どもを動かそうとしません。


まずはインプット、終わってからアウトプット。

なぜだかそんな手順が、こびりついているのです。


自分で学び、自分でできるようになったことは、自信が持てますし、疑いません。一方で、自ら体得する体験をともなわず、人から教わっただけのことには、なかなか自信は持てないものです。

玉城真一郎(2019)『「ついやってしまう」体験のつくりかた』ダイヤモンド社


「課題を解決したいなら、現場と本場に行け」

連続起業家の、孫泰蔵さんの言葉です。


現場が近くにあるって、ありがたいことだよな。

仕事をしていて、つくづくそう思います。


準備が整う前に動くしかない状況が、目の前にあるわけです。

恥をかきながら学ぶ環境が、目の前にあるわけです。


生きることは、ある意味で何かをさらけ出しているわけで、恥ずかしいことでしょう。生きることじたい、恥さらしみたいなもんです。でも、それを恥ずかしいと決めつけてしまったら、窒息しちゃいますよね。

横尾忠則(2021)「YOKOO LIFE」ほぼ日


毎朝投稿も、結局は同じです。

準備ができていなくても、6:00になったら投稿します。


投稿して、恥をかきます。

恥をかいて、次の準備に活かします。


現場で手足を動かすことと、準備をすることはいつだって同時進行です。

恥をかくことと、準備をすることはいつだって同時進行です。






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高倉大希
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