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システムからバグがなくなることはない


2024年11月13日(水)朝の6:00になりました。

バグを、楽しめるか否か。

どうも、高倉大希です。




未来への、見通しが立つと安心します。

想定外に、驚かなくて済むような気がするからです。


ところが、どれだけ緻密に計算しても想定外は起こります。

システムからバグがなくなることがない、というのと同じです。


それにも関わらずわたしたちは、つい完璧を目指したくなります。

完璧を前提に考えるせいで、起こるバグが悪になってしまうのです。


私たちは完全には分かりあえない。それはあたりまえのことだ。他人の言うことがすべて完璧に分かるなどということがあるはずはないし、私の言うことがすべて完璧に他人に伝わるということもない。だから、「どうして分かりあえないのだろう」と嘆く必要はない。

野矢茂樹(2018)「大人のための国語ゼミ」筑摩書房


隠蔽の原因も、おそらくはここにあるのだろうなと思います。

バグが悪だとされる社会でバグを発見したら、隠すしかないわけです。


当然誰かが隠したら、バグの発見は遅れます。

本当はもっと早くに修正できたはずなのに、隠蔽によって先のばしになるのです。


言い換えるならバグなんて、いかに早く明るみに出せるかが勝負です。

さっさと出して、さっさと改善するのが、基本的には最善です。


新しいゲームを導入したければ、子どもたちを遊ばせながらだましだましルールを変えていくしかない。新しいゲームは、古いゲームを訂正することでしか始まらないのです。

東浩紀(2013)「訂正する力」朝日新聞出版


たしかにある程度までなら、計画次第で想定内に収められるのかもしれません。

しかし前述のとおり、すべてを想定内に収めることはできないわけです。


一定のラインを超えたら、その先は神のみぞ知る領域です。

わたしたちにできることは、起こった結果を受け止めることくらいです。


バグは悪だと思っている人と、バグは起こり得るものだと思っている人。

どちらなのかによって、結果の捉え方がまるっきり変わります。


「意見を変えない人」は、強そうに見える。けれど、じつは弱い。「意見を変える人」は、弱そうに見える。けれど、じつは強い。その本質を知ることで、誰でも勇気ある決断が可能になる。

安藤広大(2024)「パーフェクトな意思決定」ダイヤモンド社


何かをあらわしたいと思っている間はダメなんだ。

「あらわれた」というのはいいけどさ。


美術家、横尾忠則さんの言葉です。

わたしたちは簡単に、すべてをコントロールできると勘違いしてしまいます。


システムから、バグがなくなることはありません。

「結果的にそうなった」にだって、相応の価値があるはずです。






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高倉大希
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