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にわかでよいじゃないか


2025年2月7日(金)朝の6:00になりました。

車によって行動範囲が広がったせいで、部屋の片付けが疎かになりがちです。

どうも、高倉大希です。




コミュニティの入口を閉ざしてしまうのは、いつだって古参です。

古参の人たちが威張るせいで、にわかが参入できなくなります。


常連で溢れる居酒屋に、入りづらいのと同じです。

上級者にすぐやられてしまう、オンラインゲームと同じです。


コミュニティを運営するには、にわかに優しい仕組みを構築せねばなりません。

さもなくば、そのコミュニティは縮小の一途を辿るしかなくなります。


僕は昔から、常連扱いをはし始め、距離感を縮めてくるのが、とにかく苦手だった。それが苦手だとわかっているのに、一度機にいると同じ店のように毎日通ってしまい、しばらくすると必ず常連の扱いをされてしまう。

燃え殻(2023)「ブルーハワイ」新潮社


とりあえず、好きになってみればよいじゃない。

食わず嫌いな人を見ていると、そんなふうに思います。


大して中身も、知らないのに。

身をもって、体験したこともないのに。


わざわざ嫌いにならなくても、よいじゃないか。

にわかになれるということは、すばらしいことなのかもしれません。


多趣味というのは過大評価で、ぼくは絶対に自分では言わないんですよ。なぜかと言うと、これは挫折の歴史なんです。根性がないので、これがおもしろいなと思ってその分野に行くと、先人たちのすごい人たちがいっぱいいるので、すぐに諦めるんですよ。

タモリ(2023)「第60回ギャラクシー賞 贈賞式」YouTube


だれだって、はじめはにわかです。

そんな言葉はありふれていて、誰もが理解しています。


それなのに、いざ自分が古参になったら必死に入口を塞ぎます。

安心できるその場所に、新しい要素など入れたくないというわけです。


言い換えるなら、古参には安心を手放す勇気が必要です。

自分にとっての最適解を、更新する勇気です。


山奥の伝統的な共同体を思い浮かべてみてください。(中略)このような共同体は信頼を育成するのに有利な環境なのではなく、逆に信頼の育成を阻害する環境だとしています。なぜでしょう。それは、このような閉鎖的な集団における仲間うちでの安心が、いわゆるよそ者に対する不信感と表裏一体の関係を形成しているからです。

山岸俊男(1999)「安心社会から信頼社会へ」中央公論新社


自分さえ、よければそれでいい。

思考の上限が「自分」だと、どうしても前述のような負のループに陥ります。


にわかで、よいじゃないか。

にわかたちよ、どんとこい。


そんな気概をもって、暮らしていきたいものです。

そのためにもまずは自分が、何かのにわかであり続けたいものです。






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高倉大希
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