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それ、失敗かもよ
2024年12月25日(水)朝の6:00になりました。
メリークリスマス、ほっほっほ。
どうも、高倉大希です。
「おたのしみ会が、いちばん難しいから頑張ってね」
教育実習に行ったときに、担当の先生からいただいた言葉です。
いまいちピンときていなかったのですが、現場に立ってその意味を痛感しました。
テンションが上がった子どもたちほど、難しいものはないわけです。
大きな声を出してコントロールしようとすると、おたのしみムードが壊れます。
だからといって放任すると、てんやわんやになるのです。
どこの学校でも、いろんな教員がいるわけです。怒鳴りまくっている教員もいる。自分の持ち物のように部活を運営している教員もいました。職員室の中でも牽制し合っていて、自分こそが管理職に対して文句を言えるのだと、虚勢を張りたがる教員もいます。そうした構図のなかでやみくもに戦ったところで何も進まない。
イス取りゲームで、わざとイスに座らないお調子者が出てきたり。
ハンカチ落としで、おなじ人ばかりにハンカチを落とす内輪ノリが生まれたり。
いま思い返してみると、なかなかにひどいおたのしみ会でした。
実習生の学びの場として、あたたかく見守ってくださった担当の先生に感謝です。
この経験がなかったら、当分は子どもたちを悪者にしてしていた気がします。
懸念に先まわりした場づくりをするのは、間違いなく大人の役割です。
社会をよくしようとする活動のほとんどで、あたりまえのように「治療」が行われている。すばやく効率的な治療が施され、対応、復旧、救命の努力が称えられる。 だがもっとすばらしいことができるはずだ。 後手に回るより、先手を打とう。
失敗を、失敗だと認識できない。
もしかしたらこれが、もっとも危険なのかもしれません。
当人は成功したと思っているけど、側から見ればどう考えても失敗している。
これらのズレがある限り、他者からのフィードバックが攻撃に見えてしまいます。
失敗を、失敗だと認識できる。
これが前提にあるからこそ、次のステップへと進むことができるのです。
本来ならば、関係者を集めて研究会をやるべきだったが、これを行わなかったのは、突っつけば穴だらけであるし、みな十分に反省していることでもあり、その非を十分認めているので、いまさら突っついて屍に鞭打つ必要がないと考えたからだった、と記憶する。ここには対人関係、人的ネットワーク関係に対する配慮が優先し、失敗の経験から積極的に学びとろうとする姿勢の欠如が見られる。
どうにも失敗が、悪いことだと思われすぎている気がします。
くり返しになりますが、失敗を失敗だと認識できない方がどう考えても危険です。
だいたいは、失敗です。
ほとんどのものごとは、失敗からはじまります。
どうせ、失敗します。
だから、大丈夫です。
毎朝6時に更新します。読みましょう。 https://t.co/rAu7K1rUO8
— 高倉大希|インク (@firesign_ink) January 1, 2023
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