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それ、失敗かもよ


2024年12月25日(水)朝の6:00になりました。

メリークリスマス、ほっほっほ。

どうも、高倉大希です。




「おたのしみ会が、いちばん難しいから頑張ってね」

教育実習に行ったときに、担当の先生からいただいた言葉です。


いまいちピンときていなかったのですが、現場に立ってその意味を痛感しました。

テンションが上がった子どもたちほど、難しいものはないわけです。


大きな声を出してコントロールしようとすると、おたのしみムードが壊れます。

だからといって放任すると、てんやわんやになるのです。


どこの学校でも、いろんな教員がいるわけです。怒鳴りまくっている教員もいる。自分の持ち物のように部活を運営している教員もいました。職員室の中でも牽制し合っていて、自分こそが管理職に対して文句を言えるのだと、虚勢を張りたがる教員もいます。そうした構図のなかでやみくもに戦ったところで何も進まない。

工藤勇一、鴻上尚史(2022)「学校ってなんだ!日本の教育はなぜ息苦しいのか」講談社


イス取りゲームで、わざとイスに座らないお調子者が出てきたり。

ハンカチ落としで、おなじ人ばかりにハンカチを落とす内輪ノリが生まれたり。


いま思い返してみると、なかなかにひどいおたのしみ会でした。

実習生の学びの場として、あたたかく見守ってくださった担当の先生に感謝です。


この経験がなかったら、当分は子どもたちを悪者にしてしていた気がします。

懸念に先まわりした場づくりをするのは、間違いなく大人の役割です。


社会をよくしようとする活動のほとんどで、あたりまえのように「治療」が行われている。すばやく効率的な治療が施され、対応、復旧、救命の努力が称えられる。 だがもっとすばらしいことができるはずだ。 後手に回るより、先手を打とう。

ダン・ヒース(2021)「上流思考」ダイヤモンド社


失敗を、失敗だと認識できない。

もしかしたらこれが、もっとも危険なのかもしれません。


当人は成功したと思っているけど、側から見ればどう考えても失敗している。

これらのズレがある限り、他者からのフィードバックが攻撃に見えてしまいます。


失敗を、失敗だと認識できる。

これが前提にあるからこそ、次のステップへと進むことができるのです。


本来ならば、関係者を集めて研究会をやるべきだったが、これを行わなかったのは、突っつけば穴だらけであるし、みな十分に反省していることでもあり、その非を十分認めているので、いまさら突っついて屍に鞭打つ必要がないと考えたからだった、と記憶する。ここには対人関係、人的ネットワーク関係に対する配慮が優先し、失敗の経験から積極的に学びとろうとする姿勢の欠如が見られる。

戸部良一、ほか(1991)「失敗の本質」中央公論新社


どうにも失敗が、悪いことだと思われすぎている気がします。

くり返しになりますが、失敗を失敗だと認識できない方がどう考えても危険です。


だいたいは、失敗です。

ほとんどのものごとは、失敗からはじまります。


どうせ、失敗します。

だから、大丈夫です。






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高倉大希
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