「考えすぎ」と言われたくなかった
2023年8月10日(水)朝の6:00になりました。
杞の国に、人の天地の崩墜して身の寄する所亡きを憂へて、寝食を廃する者有り。
どうも、高倉大希です。
むかしから、人に言われて嫌な言葉というものがあります。
それは「考えすぎ」という言葉です。
「むずかしく考えすぎだって」とか、「まじめに考えすぎだって」とか。
たしかに、実際に考えすぎてしまっているだけのこともよくあります。
もっとシンプルに考えられたらよい場面なんて、振り返ればいくらでもあるものです。
しかし、それを他者から言われてしまうと、とてもさみしい気持ちになります。
「これ以上お前の思考に付き合うつもりはない」と、切り捨てられた気になるのです。
「考えすぎ」と言われると、話すことがなくなります。
「そうかもしれないね」と答えて、すべての話はおしまいです。
原因は、自分が考えすぎなだけ。
考えすぎていなければ、すべての問題は解決する。
むずかしく考えすぎだって。
まじめに考えすぎだって。
幸いなことに、いま身を置いている環境では「考えすぎ」と言われることがありません。
むしろ、「もっと考えろよ」と言ってもらえます。
大学時代もそうでした。
自分のアウトプットに対して、「もっと考えろよ」と言ってくれる人がいました。
だからこそ自分は、いまここにいるのだろうなと思います。
日々、自分の小ささに気づくことができたのです。
自分が言われて嫌だからこそ、他者にも「考えすぎ」とは言わないようにしています。
基本的に、考えるという行為は面倒くさいものです。
放っておけば、できるだけ考えない方へと流れます。
「考えられる」という事実は、ある種の才能なのではないかとすら思います。
シンプルな思考は、考えて、考えて、考え抜いた先にしかみつかりません。
本日も、最後まで読んでいただきありがとうございました。
もっと考えろよ。