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流れゆく先で会いましょう


2024年9月11日(水)朝の6:00になりました。

竹垣が破れていなかったなら、吾輩は遂に路傍に餓死したかも知れんのである。

どうも、高倉大希です。




出会うべき人とは、出会うべきタイミングで、出会うようにできている。

出会うべき作品とは、出会うべきタイミングで、出会うようにできている。


あの人との出会いがなければ、いまの自分はありません。

あの作品との出会いがなければ、いまの自分はありません。


運命だなんて言いはじめると急に胡散臭くなりますが、

あながち間違いでもないのだろうなと思っています。


勉強は、しなきゃいけないものではありません。したいと思うものです。これからあなた達は、知らないものや、理解できないものに沢山出会います。美しいなとか、楽しいなとか、不思議だなと思うものにも沢山出会います。そのとき、もっともっとそのことを知りたい、勉強したいと自然に思うから人間なんです。

日本テレビ(2005)「女王の教室」阿久津真矢の台詞より


花に嵐のたとえもあるぞ。

さよならだけが人生だ。


なんて、悲しい言葉なのだろう。

はじめて耳にしたときは、そんなふうに思っていました。


でもきっと、この言葉が指すものは冒頭に書いたことと同じです。

出会いとさよならは、ふたつでひとつというわけです。


出会いも、別れも、最終的には、個々人の意志でなんとかできるようなことではないのかもしれないと、ぼくは思うんだよなぁ。出会おう出会おうとしても、出会えないし、別れるまい別れるまいとしても、別れはくる。

糸井重里(2001)「出会いと別れと運と縁。」ほぼ日


すべての出会いとすべての対人関係において、

ただひたすら最良の別れに向けた不断の努力を傾けましょう。


アルフレッド・アドラーさんは、このように述べています。

永遠なんてものはなくて、別れが来ないなんてこともなくて。


できることはせいぜい、最良の別れに向けて努力をすることくらいです。

永遠を望んだ先にあるものは、苦しみに満ちた時間です。


何かしたいというのはこちらの作用だと思っていたが、そうじゃなく向こうからやってくるものだ。その時は全て準備されてやってくる。だから無理しなくてもいい。無理以上のものは要求されないから。

横尾忠則(2018)「アホになる修行」イースト・プレス


たいていのものごとは、思いどおりにはいきません。

思いどおりにいくほど、人の想像力は豊かではないからです。


出会うべき人とは、出会うべきタイミングで、出会うようにできている。

出会うべき作品とは、出会うべきタイミングで、出会うようにできている。


流れゆく先で、会いましょう。

そして共に、最良の別れに向けた不断の努力を傾けましょう。






サポートしたあなたには幸せが訪れます。