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人との出会いを運に任せない
2023年8月17日(木)朝の6:00になりました。
ほぼ日の學校に、入学しました。
どうも、高倉大希です。
人との出会いが人生を変えることなんて、いくらでもあります。
むしろ、人との出会いによって変わっていくのが人生です。
小中学校の同級生は、たまたまおなじ年に生まれて、たまたま近くに住んでいただけの人たちです。
高校や大学の同級生は、たまたまおなじ学校を知り、たまたまおなじ志を抱いただけの人たちです。
そんな偶然に偶然が重なって、わたしたちは人と出会います。
よい出会いがあるのかどうかは、どこまでいっても運任せです。
そこから吉本さんのご自宅をしばしば訪ね、いわば門前の小僧のように話を聞きに行くようになりました。仰ぎ見るような「師」ではなく、「近所にいる、宝物のような普通のおじさん」として、話を聞いていたんです。
人生を変えるほどの出会いを、運だけに任せてしまうのはさすがに癪です。
だからこそ、なんとかして自ら掴み取りにいけないものかと考えます。
たとえば、こうして毎朝書いていることもそんなアクションの一環です。
書いていなければ、出会うこともなかったであろう人たちがたくさんいます。
毎朝書いていたからこそ、そんな人たちとの出会いを掴むことができました。
運が降ってくる場所に、自ら足を運んだ結果です。
“運”は降ってきてから考えたってもう遅いんだ。その出現を想定して準備し、いつそれが来ても掴み取れるように己を高め、その機会が落ちてくる場所を見極めて待つ…。そんな臭覚を持つ人間にしか“運”の女神は微笑まない。
運がよければよい人と出会えて、運がわるければよい人には出会えない。
よい人と出会えることを祈って待つ行為は、ただの博打です。
運が降ってくる場所に、自ら足を運ぶ。
自分の意思で移動することは、だれにでもできるはずです。
子どもたちが、博打をうたずに済むようにしたい。
教育という分野には、きっとこのような思いが込められています。
そもそも二十数年間も生きてきただけで、ここまでの君の人生は大成功だと気づくべきだ。
運が降ってくる場所に、自ら足を運ぶ。
この note を読んでいる時点で、その嗅覚をもっています。
いま生きている時点で、その嗅覚をもっています。
毎朝6時に更新します。読みましょう。 https://t.co/rAu7K1rUO8
— 高倉大希|インク (@firesign_ink) January 1, 2023
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