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人との出会いを運に任せない


2023年8月17日(木)朝の6:00になりました。

ほぼ日の學校に、入学しました。

どうも、高倉大希です。




人との出会いが人生を変えることなんて、いくらでもあります。

むしろ、人との出会いによって変わっていくのが人生です。


小中学校の同級生は、たまたまおなじ年に生まれて、たまたま近くに住んでいただけの人たちです。

高校や大学の同級生は、たまたまおなじ学校を知り、たまたまおなじ志を抱いただけの人たちです。


そんな偶然に偶然が重なって、わたしたちは人と出会います。

よい出会いがあるのかどうかは、どこまでいっても運任せです。


そこから吉本さんのご自宅をしばしば訪ね、いわば門前の小僧のように話を聞きに行くようになりました。仰ぎ見るような「師」ではなく、「近所にいる、宝物のような普通のおじさん」として、話を聞いていたんです。

糸井重里、古賀史健(2018)「古賀史健がまとめた糸井重里のこと」ほぼ日


人生を変えるほどの出会いを、運だけに任せてしまうのはさすがに癪です。

だからこそ、なんとかして自ら掴み取りにいけないものかと考えます。


たとえば、こうして毎朝書いていることもそんなアクションの一環です。

書いていなければ、出会うこともなかったであろう人たちがたくさんいます。


毎朝書いていたからこそ、そんな人たちとの出会いを掴むことができました。

運が降ってくる場所に、自ら足を運んだ結果です。


“運”は降ってきてから考えたってもう遅いんだ。その出現を想定して準備し、いつそれが来ても掴み取れるように己を高め、その機会が落ちてくる場所を見極めて待つ…。そんな臭覚を持つ人間にしか“運”の女神は微笑まない。

金城 宗幸(2020)「ブルーロック 11」講談社


運がよければよい人と出会えて、運がわるければよい人には出会えない。

よい人と出会えることを祈って待つ行為は、ただの博打です。


運が降ってくる場所に、自ら足を運ぶ。

自分の意思で移動することは、だれにでもできるはずです。


子どもたちが、博打をうたずに済むようにしたい。

教育という分野には、きっとこのような思いが込められています。


そもそも二十数年間も生きてきただけで、ここまでの君の人生は大成功だと気づくべきだ。

森岡毅(2019)「苦しかったときの話をしようか」ダイヤモンド社


運が降ってくる場所に、自ら足を運ぶ。

この note を読んでいる時点で、その嗅覚をもっています。

いま生きている時点で、その嗅覚をもっています。






サポートしたあなたには幸せが訪れます。