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どうせ間違っているから大丈夫


2024年10月6日(日)朝の6:00になりました。

9時間の復路が待ち受けていようとも、朝の6:00はやってきます。

どうも、高倉大希です。




だいたいのことは、どうせ間違っています。

だから、大丈夫です。


ちゃんとした人は、どうせ間違っているだろうという前提で聞いてくれます。

だから、大丈夫です。


むしろどうして自分が一発で、正解を導き出せると思っているんだという話です。

そんなつまらないプライドは、とっとと手放すが賢明です。


ちょっとできるようになったと感じるといきなり人の意見を聞かなくなる人が多い。すると、そこで成長が止まってしまうんだ。変なプライドにこだわらず他人のアドバイスを素直に聞いて自分の作業に取り込める人は、メキメキ成長する。

ワタナベアニ(2024)「カメラは、撮る人を写しているんだ。」ダイヤモンド社


子どものころ、カゼギミという病気があるのだと思っていました。

子どものころ、魚の骨を飲み込むと心臓に刺さって死ぬのだと思っていました。


あれほど、信じて疑わなかったのに。

あれほど、気をつけて行動していたのに。


両方とも、間違いでした。

だから、大丈夫です。


最近気づいたんですけど、面白い人って「ちょっと待てよ」と思うことが多いなと。みんなと同じものを見ても、違うふうに見えてしまう。「よい科学とは、みんなが見ていることを違った見方で見ることだ」という言葉があります。

石川善樹(2019)「問い続ける力」筑摩書房


待っていれば、おもしろいことが起こると思っていました。

言いたいことを隠して、相手に合わせることがコミュ力だと思っていました。


あれほど、信じて疑わなかったのに。

あれほど、気をつけて行動していたのに。


両方とも、間違いでした。

だから、大丈夫です。


訂正の本質はある種の「メタ意識」にあると言うことができます。自分が無意識にやってしまったことに対して、「あれ、違うかな」と違和感をもったり、距離を感じたりするときに、訂正の契機が生まれます。

東浩紀(2013)「訂正する力」朝日新聞出版


間違っているのだから、大丈夫ではないでしょ。

そう思った人はきっと、間違えることを悪だと思っている人です。


わたしたちは、たかだか数十年しか生きてはいません。

冷静に考えると、間違っていない方がおかしなくらいです。


だいたいのことは、どうせ間違っています。

だから、大丈夫です。






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