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対岸を見据える
2024年1月31日(水)朝の6:00になりました。
それでもリュウは決して目を閉じなかった。人が見ようとしないものを見つめ続けた。
どうも、高倉大希です。
がんばって、早起きをしよう。
こう思い立ったとき、わたしたちは「いかに起きるか」ばかりを考えがちです。
10分おきに、目覚ましをセットしてみたり。
朝日が差し込むように、カーテンを開けたままにしてみたり。
しかし、実際に考えなければならないのは「いかに寝るか」だったりします。
早く眠りに就きさえすれば、早く起きれる可能性も必然的に高まるはずです。
これは素人の推測でしかないのですが、進化の過程において、意識というものはそもそも、過去の行動で失敗したときに、それを捉え返すプロセスにおいて生じたものではないかと思うのです。何かを決定して行動するという前向きなものではなく、何かを後悔し、「あのとき別のことができたかもしれない」という後ろ向きの働きが、意識というものの基本的な構えなのではないか。
「いかに起きるか」は、「いかに寝るか」に通じています。
このように、ものごとを考えるときは対にあるものをよく見なければなりません。
校則を廃止したい。
そう願うのなら、「なぜ校則が現存しているのか」を考えなければなりません。
貧困をなくしたい。
そう願うのなら、「なぜ貧困が現存しているのか」を考えなければなりません。
対話的なコミュニケーションでは、そうした異なる意見に対して早急な判断や評価を下さずに、どのような前提から、それが話されているのか、背景を理解することが推奨されます。その過程において、自分とは異なる前提に立つ他者への理解を深めるとともに、自分自身の前提がどのようなものなのかが相対的に意識され、これがメタ認知につながるのです。
短い鉛筆を「短い」と思えるのは、長い鉛筆の存在をよく知っているからです。
その鉛筆しか知らないのなら、そもそも「短い」と思うことすらできません。
それにも関わらず、わたしたちは考えたい片方だけに注目を集めがちです。
片方だけを見ていても、考えることはできません。
反対側には、何があるのか。
多くのものごとは、その間のグラデーションに存在します。
毎朝6時に更新します。読みましょう。 https://t.co/rAu7K1rUO8
— 高倉大希|インク (@firesign_ink) January 1, 2023
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