前言撤回します
2023年8月6日(日)朝の6:00になりました。
帰り道、ふざけて歩いた。わけもなく、きみを怒らせた。
どうも、高倉大希です。
万物は、流転する。
ギリシアの哲学者ヘラクレイトスは、こう言いました。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
鎌倉時代に成立したとされる『平家物語』の冒頭には、こう書かれています。
時と共に、あらゆるものごとは移り変わる。
これこそが、世の常だというわけです。
自分で決めたのだから、最後までやりなさい。
こんな言葉を、よく耳にします。
継続することの大切さを説いているのでしょう。
ただ、いまいちロジックは通っていません。
「自分で決めた」ということに重きを置くのなら、やめる選択もまた「自分で決めた」ということになるはずです。
万物は、流転する。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
いまはやめたいと思っているかもしれないけれど、どうせ未来には変わっている。
継続という点で考えると、こう捉えることもできます。
いま考えていることなんて、どうせ数日後には変わります。
いま大切にしていることなんて、どうせ数年後には変わります。
どうせ変わるからこそ、つづけてみる。
どうせ変わるからこそ、やめてみる。
べつに、どちらが正解かではありません。
あなたが、どちらを選ぶかです。
時と共に、あらゆるものごとは移り変わります。
むかしの自分を恥ずかしく思えるということは、成長しているということです。
過去に言ったことなんて、変えてしまってかまいません。
過去の自分なんて、所詮はいまの自分よりも未熟な存在です。
そしてきっと、いまの自分は未来の自分より未熟です。
いまの自分なんて、どうせ変わります。
いまにこだわると、どうせやってくる変化を恐れなければならなくなります。
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