困っていてほしい
2024年11月8日(金)朝の6:00になりました。
ぼちぼち、大量の本を手放す準備をはじめます。
どうも、高倉大希です。
あの人は、わたしがいなくても生きていける人だから。
ときどき、こんな言葉を耳にします。
冷静に考えれば、そりゃそうです。
その人は、あなたがいない人生をここまで歩んできています。
この言葉は、きっと「必要とされたい」の裏返しです。
必要とされるためにも、相手には困っていてほしいのです。
だから、「助けて」と言える人はモテます。
その人を助けることで、まわりの人が存在意義を感じることができるからです。
言い換えるなら、存在意義を感じられる機会をみんなに提供しているわけです。
重宝されて、当然です。
「まったく、お前は俺がいないとダメなんだから」
助ける側は、そんなことを言いながらうれしそうにするのです。
相手には、困っていてほしい。
相手には、苦しんでいてほしい。
ここだけを切り取ると、なんてひどいやつなんだと思います。
でも、そうなってしまう構造は理解できなくもありません。
困っていたり苦しんでいたりする人を助けることで、自身の存在意義を感じる。
よいことのようにも見えますが、同じくらいに危ないにおいもするわけです。
自分の感受性くらい自分で守れ、ばかものよ。
茨木のり子さんの、有名な詩の一節です。
自分の存在意義くらい自分で見出せ、ばかものよ。
さもなくば知らぬ間に、相手の不幸を望んでしまいかねません。
一時的な自己有用感に酔いしれると、泥沼にはまっていきます。
本当に相手のことを想うなら、まずは自分が自分の足で歩かなければなりません。
サポートしたあなたには幸せが訪れます。