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困っていてほしい


2024年11月8日(金)朝の6:00になりました。

ぼちぼち、大量の本を手放す準備をはじめます。

どうも、高倉大希です。




あの人は、わたしがいなくても生きていける人だから。

ときどき、こんな言葉を耳にします。


冷静に考えれば、そりゃそうです。

その人は、あなたがいない人生をここまで歩んできています。


この言葉は、きっと「必要とされたい」の裏返しです。

必要とされるためにも、相手には困っていてほしいのです。


信頼が必要とされるのは社会的不確実性の大きな状況であり、逆に言えば、相手に騙されてひどい目にあったりする可能性がまったく存在しない、つまり社会的不確実性がまったく存在しない状況では、信頼は果たすべき役割をもたない。

山岸俊男(1998)「信頼の構造」東京大学出版会


だから、「助けて」と言える人はモテます。

その人を助けることで、まわりの人が存在意義を感じることができるからです。


言い換えるなら、存在意義を感じられる機会をみんなに提供しているわけです。

重宝されて、当然です。


「まったく、お前は俺がいないとダメなんだから」

助ける側は、そんなことを言いながらうれしそうにするのです。


たとえ相手が自分の希望通りに動いてくれなかったとしてもなお、信じることができるか。愛することができるか。アドラーの語る「愛のタスク」には、そこまでの問いかけが含まれています。

古賀史健(2013)「嫌われる勇気」ダイヤモンド社


相手には、困っていてほしい。

相手には、苦しんでいてほしい。


ここだけを切り取ると、なんてひどいやつなんだと思います。

でも、そうなってしまう構造は理解できなくもありません。


困っていたり苦しんでいたりする人を助けることで、自身の存在意義を感じる。

よいことのようにも見えますが、同じくらいに危ないにおいもするわけです。


自立心だ。自分自身を頼りにする気持ちだ。自分以外の物事に必要以上に影響されないことだ。お前が自分自身を成長させるしかないのだ。

村上龍(1993)「すべての男は消耗品である Vol.2」角川書店


自分の感受性くらい自分で守れ、ばかものよ。

茨木のり子さんの、有名な詩の一節です。


自分の存在意義くらい自分で見出せ、ばかものよ。

さもなくば知らぬ間に、相手の不幸を望んでしまいかねません。


一時的な自己有用感に酔いしれると、泥沼にはまっていきます。

本当に相手のことを想うなら、まずは自分が自分の足で歩かなければなりません。






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