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自分から離れる


2025年1月18日(土)朝の6:00になりました。

共通テスト1日目、いってらっしゃい受験生。

どうも、高倉大希です。




若いころは、自分にベクトルが向きがちである。

歳を重ねるにつれて、自分から離れられるようになるものだ。


そんな通説を、これまでに何度も耳にしてきました。

かつてはピンときていませんでしたが、いまならよくわかります。


自分なんて、べつに大したものじゃない。

そんな発見を、ネガティブなものだと思い込んでいたのです。


自分が思っている「自分」が本当の自分だと思っているところにまず問題がありそうだ。ストレスを作っている要因はだいたい自我というやっかいな存在である。

横尾忠則(2018)「アホになる修行」イースト・プレス


大きい方のケーキを、子どもに分け与える。

嬉しそうに食べているようすを見て、自分も嬉しい気持ちになる。


これまでは、子どもという二人称に対する思いやりの行為だと思っていました。

しかし正確に言うならば、一人称の拡張と表した方が近いのだろうなと思います。


子どもという存在も、一人称の中に包括されます。

You のための行為ではなく、We のための行為に変わっていくというわけです。


人を助けるというのだって、身の回りの人にご飯をおごるとか、二人称としてしかできないから。二人称の存在論的な認識論的な地位については、私たちはもう少し深刻に考察したほうが良いのかもしれない。

養老孟司、茂木健一郎、東浩紀(2023)「日本の歪み」講談社


We の範囲を、さらに広げる。

これがおそらく、仕事と呼ばれているものたちです。


まち全体を、We と捉えて活動したり。

社会全体を、We と捉えて活動したり。


We の範囲が広がれば広がるほど、新しい景色が見えるようになります。

それと同時に、I の価値にも気づけるようになったりします。


当時と今とでは、なんというか、世界と自分の命との距離感が違う。子どもの頃は世界という舞台の真ん中で生きていた。それに較べると、今は目の前の世界がなんだか遠い。観客席に座ってるみたいだ。

穂村弘(2023)「蛸足ノート」中央公論新社


自分から離れることが、大切だ。

そう言えるのは、自分にベクトルを向けてきた人たちです。


自分にベクトルを向けることが、大切だ。

そう言えるのは、自分から離れてきた人たちです。


結局のところ、最後は自分で気づくしかありません。

そういうことかと腑に落ちる瞬間を、いまかいまかと待つのみです。






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高倉大希
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