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Oxford旅行記 ―イギリス最古の図書館、ハリポタロケ地巡り―🇬🇧
観光はロンドンのみの予定だったけど、せっかくなので足を延ばしてひとり電車に揺られオックスフォードまで行ってきた。
権威ある大学、自然、図書館、美しい教会、かつてオスカー ワイルド、C.S. ルイス、J.R.R. トールキンが学んだ風景が今も続く街。ハリーポッターシリーズにおいてはロケ地にも選ばれた場所である。
ボドリアン図書館はヨーロッパ最古の図書館の一つであり、大英図書館に次いでイギリスで2番目に大きな図書館。大英図書館では見たかったもの(ジェイン・オースティンの物書机とか)が見られなくて残念だったけど、この図書館では最古の閲覧室も見られて大満足だった。
旅行記と言いつつ、ここには色々文献を読んで書き留めておきたいと思った歴史などの私的メモをつらつら書いていくつもりです。転載目的の人は読まないでください。軽蔑するだけでなくプロバイダー開示請求します。引用したい場合はコメント欄からご相談いただくか引用元を明らかにして掲載してください。単純に文献を翻訳した文章ではないので、内容をコピペしても分かります。
ボドリアン図書館
パディントン駅からオックスフォードでまで電車に揺られ、そこからバスでセント・アルデートへ。石畳の街なのでスーツケースを置きたかったもののクロークルームがいっぱいだったため仕方なくSt Mary the Virgin(セントメアリー教会)を散策することに。
アングロサクソン時代に起源を持つSt Mary the Virgin 。ステンドグラスのと緑の配色が美しかった。
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ふうふう言いながら127段の螺旋階段を昇った尖塔からはオックスフォードの街を一望できる。
https://www.instagram.com/p/C6gjiTHPBAC/?igsh=MzRlODBiNWFlZA==
Vaults and Cafeで食事を楽しんだあと、スーツケースを預けて満を持して図書館巡りを始めた。
The Schools Quadrangle(中庭)
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St Mary the Virgin の中庭を北に向かって過ぎ、ラドクリフカメラの向こうまで抜けると見えてくるのは、四方に囲いのように校舎が建てられたthe Schools Quadrangle。東側には高い門の塔があり、その向かいにトーマス・ボドリー卿が設立した図書館がある。
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中庭の周りの建物は 1610 年から 1619 年までの 10 年足らずの間に建設されたものの、建築様式というか、コンセプトがばらばらな印象を受ける。最初に建設されたのは図書館の正面にある建物で、中央のドアの上には大学の紋章とともにボドリー卿の紋章を囲む碑文がある。
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「QUOD FELICITER VORTAT ACADEMICI OXONIENS BIBLIOTHECAM HANC VOBIS REIPUBLICAEQUE LITERATORUM T.B.P.」
"オックスフォードの学者諸君、君たちと文才ある人々の共和国にとって、この図書館が幸福な結果となるように、トーマス・ボドリーはこの図書館を建てた”
方向音痴も相まって最初はどれがどの建物なのか混乱したが、ボドリアン図書館はそれぞれ独立した5つの建物群からなっている。15 世紀のデューク ハンフリー図書館、17 世紀のスクール クアドラングル、18 世紀のクラレンドン ビルディングとラドクリフ カメラ、Old librariesからは道を挟んで向かいに位置する20 世紀~ 21 世紀のウェストン図書館だ。
Duke Humfrey's Library
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オックスフォード大学の最初の図書館はコバム司教( ?-1327)が1320年頃寄託した蔵書をきっかけにSt Mary the Virgin の北側に着工された。これらの蔵書は鎖で繋がれ保管されていたため敷地外に持ち出すことはできなかった。しかし閲覧する度に部屋に鎖をの擦過音がめちゃくちゃうるさかったため、18世紀に図書館の本から鎖が外された。鍛冶屋のナサニエル・ブルは、1760 年から 1761 年にかけて 1,448 冊の本を鎖から外し、その代金として 3 ポンド 4 ペンスを受け取ったそうだ。
また聞いた話によれば、昔は手袋を着けて本を丁重に扱ってたものの、むしろ手袋越しだと感覚が狂って本を落としやすかったため、今では素手で触ることが推奨されているらしい。皮脂が紙の良い潤いになるのだとか。こういう話すきだな~。
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その後年にヘンリー5世の弟であるグロスター公ハンフリー卿(1391-1447)が遺した281冊のラテン語写本を保管するため(ハンフリー卿は文学の専門家で、古典作品をギリシア語からラテン語に翻訳した)、新たに Divinity Schoolの上に閲覧室が建設されることが決定したが、財政不足が原因で実際に開設されたのは1477年のことだった。
当時の大学には数十冊しか本がなく、授業は口頭で行われていたため貴重な寄贈だった。彼の名に因んでこの閲覧室はDuke Humfrey's Libraryと呼ばれている。
ゴシック窓が陽光を取り込み橙色の幻想的な雰囲気を醸し出している。
Duke Humfrey's Libraryはその後60年ほど存続したが、1550 年に設立されたクライストチャーチの司祭リチャード・コックスによって蔵書がのすべて撤去されてしまった(本は焼かれ、"Robinhood pennyworth"(二束三文)で買いたたかれ、仕立て屋のメジャーにされたと歴史家が残している)。エドワード 6 世が制定した法律に基づき国教会から”迷信的な”本や絵を含むローマ=カトリックの痕跡を無思慮にすべて排除したためだ。オックスフォード大学は当時裕福ではなく、散逸した本を補う新しいコレクションを構築する資金はなかった。そのため、1556 年にその部屋は医学部に引き継がれることとなる。
Bodley's Library
図書館を救ったのは、元マートン・カレッジのフェローで、ヨーロッパを広く旅しエリザベス 1 世のために外交任務を遂行したトーマス・ボドリー卿 (1545-1613) だった。彼はメアリー女王統治下の幼少期から海外へ亡命しており、ジュネーヴで学んでいた頃はカルヴァンから神学の授業を受けた。帰国したのはエリザベス女王即位後で、オックスフォード大学マグダレン・カレッジに入学し、ローレンス・ハンフリーに師事した。文学士号を取得したのは1563年(当時18歳)のことだった。
公職から引退した彼の1598 年の出資により、荒廃した部屋(‘those ruinous little rooms’ )は改装され、約 2,500 冊の新しいコレクションが収蔵された。かつて大学が”scientiarum sedes”と呼んでいた場所を忘れなかったボドリー卿は、ボドリアン図書館の初代司書トーマス・ジェームズ博士に宛てた手紙で自身の決意をこう述べている。
“examining exactlye for the rest of my life, what course I might take, and haueing sowght (as I thought) all the wayes to the wood, to select the most proper, I concluded at the last, to set vp my Staffe at the Librarie dore in Oxon; being throwghly perswaded, that in my solitude, and surcease from the Commonwealth affayers, I coulde not busie my selfe to better purpose, then by redusing that place (which then in euery part laye ruined and wast) to the publique vse of Studients. For the effecting whereof, I found my selfe furnished in a competent proportion, of such fower kindes of ayds, as vnles I had them all, there was no hope of good successe: for without some kinde of knowledg, as well in the learned and moderne tongues, as in sundry other sorts of Scholasticall literature, without some purse habilitie to goe throwgh with the charge, without very great store of honorable friends, to further the designe, and without speciall good leasure to follow such a worke, it could but have proued a vayne attempt and inconsiderate.[sic]”
「残りの人生をかけ、どのような道を進むべきかを綿密に検討し、森へと通ずるあらゆる道を探した(と思えるくらい)後、最も理にかなった選択として、オックスフォードの図書館の門戸に居場所を定める[杖を立てる]ことに決めた。私は、公務から離れ孤独の中で過ごしながら、学生たちのためにその場所(当時はあらゆる部分が荒廃し、廃墟となっていた)を公共の利用に供することが、私自身にとって最も有意義なことだと確信したからである。それを達成するための次の四つの力を私は適切に備えていると感じた。その一つでも欠けていたら素晴らしい成功はなかったはずだ。それは、学問的な文学や現代の言語に関する知識、費用を賄うための財力、この計画を推進するための尊敬すべき友人たちの多大な支援、そしてこの仕事を追求するための特別な余裕である。これらがなければ、この試みを続ける格別な喜びもなく、無駄で軽率な試みになってしまっただろう。
同年、図書館は Bodley's Libraryとして1602 年 11 月 8 日にようやく開館した。
ボドリー卿はNew collegeのフェローであるトーマス・ジェームズ博士を司書に任命した。彼はボドリー卿に結婚の許可と給料UPを求めた際、怒った卿(独身を厳格な条件と定めていた)から“I do not doubt but to give you very good satisfaction: but till your Travels [i.e. travails] and Troubles are seen to every Student, it will be best in my Opinion, not to charge the Spit with too much Roast-meat.”と釘を刺されたりしていたものの(この言い回し好きやわ)、二人は友好関係にあったとされる。
1605年図書館を訪れたジェームス王1世は、それまでも大学から才能や能力の成果の証を受け取ったことはあれど、その成果(fruits)が育ち収穫される場所(garden)は見たことがなかったといたく感動し、王立図書館からボドリーが選ぶ貴重で珍しい本を何でも贈呈しようと申し出た。
"If I were not a king, I would be an University man; And if were so that I must be a Prisoner, if I might have my wish, I would desire to have no other Prison then that Library, and to be chained togheter with so many good Authors."
”もし私が王でなければ大学へ通う学者になりたかったものだ。もし私が囚人にならなければならないなら、図書館以外の牢獄に入ることを望まない。多くの優れた作家たちとともに鎖に繋がれたいと望むだろう。”
英語で書かれた本を忌避していたトーマス・ボドリー卿による 最初の目録(1605 年)において、 英語で書かれたものは5,000 点の本のうちたったの170 点だけだった。そのなかでも文学作品は 1561 年のチョーサー、リドゲイトの『Fallen of Princes』、プッテナムの『The Art of English Poesie』の 3 点という徹底ぶり。
現在のボドリアン図書館はシェイクスピアの『First Folio』を所蔵していることでも有名だが、面白いのはこの本の受け入れるか否かで当時図書館で論争が起こったという経緯だ(正確にいつの話だったかは忘れた)。図書館に置かれるべきはラテン語か王侯貴族の言語、つまりフランス語で書かれたもので、平民の文学は除外されていたためである。英語史の授業で習った話だね。
ちなみに大英図書館(大英博物館と迷って結局こっちに行った)で見たFirst Folioはこれ。
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1610 年、ボドリーはロンドンの書籍出版業組合と協定を結び、イングランドで出版されStationers' Hall に登録されているすべての書籍は新しい図書館に寄贈されることとなった。これがイギリスにおける法定納本制度の誕生である。これによりボドリアン図書館は、事実上イギリスで最初の法定納本図書館となった(1662年までに、この特権は王立図書館とケンブリッジ大学図書館にも拡大される)。つまり図書館にとっての英語文学の写本の収集は17 世紀後半に始まったのである。グーテンベルクの活版印刷の始まりが15世紀、ルネッサンスが16世紀ということを考えるとなるほどと思う。ちなみに協定に基づき初めて図書館に寄贈された本はトーマス・マンの『Christian Religion substantially』。
その後、アン女王の統治下でCopyright Act of 1709( 1709/1710 年の著作権法)に盛り込まれ、選ばれた図書館はイギリスで出版されたすべての書籍を受け取る権利を得た。当初この協定は違反されることが多かったものの、この図書館が将来にただの大学の図書館とは規模も目的も異なる包括的かつ拡大し続けるコレクションとなることを示唆していた。とはいえ当初の予測よりもはるかに多くの書籍を収蔵していた建物のスペース不足がさらに深刻化したため、1610 年から 1612 年にかけてボドリーはアーツエンド(東棟、後述)を増築した。
ボドリーは 1613 年に亡くなり、葬儀の翌日から図書館の東側に広々としたthe Schools Quadrangle(中庭) の建設工事が始まった。最後の西棟の増築は 1634 年から 1637 年にかけて行われ、Duke Humfrey's Libraryの拡張が行われた。この図書館は、8,000 冊の書籍を寄贈した弁護士で東洋学者であるジョン セルデン (1584 -1654) にちなんでSelden Endと呼ばれている。
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ボドリアン図書館からの本の貸出厳禁の規則は伝統として今もなお守られている。1645年にはチャールズ1世でさえ本の貸し出しを拒否された。
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Radcliffe camera
先導者のいなくなった17世紀図書館のコレクションの成長は鈍化した。
1620年、ジェームズ博士によって出版された図書館の目録は著者名をアルファベット順に並べた著者目録だった。ボドリーの意志を継ぎ、図書館において英語の書物は依然としてかなり従属的な位置づけで、シェイクスピアの本も見当たらない。同時にラテン語やギリシャ語、さらにはフランス語やイタリア語の本の英訳もなかった。ギリシャ語やラテン語を知らず、いわゆる「カンニングペーパー」を必要とする人は歓迎されなかったためである。
ジェームズが図書館長を辞任すると、ミルトンの友人ジョン・ラウズが後任となった。彼はロンドンで出版されたミルトンの詩集がない旨を手紙で伝え、ミルトンはラテン語の詩を添えそのコピーを送った(当時ミルトンはクロムウェルのラテン語担当秘書だった)。150年後その本は偉大な詩人の貴重な自筆として再発見されることとなる。
1646年二度目のオックスフォード包囲戦(清教徒革命の際オックスフォードは長期議会にロンドンを追放されたチャールズ1世の宮廷を迎え入れていた)の際市は降伏したが、フェアファックス将軍(議会派)の兵士は図書館を守った。図書館でのラウズのピューリタン的態度によるフェアファックスとクロムウェルへのもてなしが危機を救ったともいわれている。
17 世紀後半から 18 世紀初頭にかけて、オックスフォードでは図書館の建設が相次いだ。なかでも当時最も成功したジョン・ラドクリフ博士 (1650-1714) の発案による円形ドームは有名で、J・R・R・トールキン『指輪物語』のサウロンの寺院はこの建物がモデルとなっているといわれている。
建設に選ばれた場所はthe Schools Quadrangleの南にある広場で、1737年から1748年にかけてラドクリフカメラ(cameraはラテン語で"丸天井の部屋"の意)がジェームズ・ギブスの設計で建てられ、1749年にオープンした。現在もラドクリフカメラも入ることが可能だが、予約戦争に敗北したので見学は諦めた。
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19世紀初頭に状況は好転し、医学と自然史に関する蔵書が徐々に多くなり、次々と制定された法律によって図書館は写本や外国の書籍の購入に集中することができた。イングランドで出版された新刊書籍は無料で寄贈されるという安心感ゆえだ。書籍や写本の寄贈は引き続き行われ、特に1834年にフランシス・ドゥース(「死の舞踏」で有名)が遺贈した18,000冊の印刷書籍(1500年以前に印刷された書籍であるインキュナブラ(揺籃印刷本)300冊を含む)と393冊の写本が寄贈された。3つ折りの新しいカタログが出版されてから6年後の1849年には、図書館のコレクションには22万冊の書籍と約21,000冊の写本があると推定されていた。
Divinity School
ボドリアン図書館への入口であるDivinity Schoolはボドリー卿による図書館増築部分 (アーツ エンド) の下にある神学校の玄関として建設された。大学での講義、口頭試験、神学に関する討論に使用される目的で建てられた、現存する最古の建物である。オックスフォード大学では今でも神学と宗教学部の学位授与の式典で使用されているそう。ここでアカデミックガウンを着て角帽をつける学生の姿、絶対格好いいな。
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入った瞬間、象牙と黒、陽の光だけで配色された光景にため息が漏れる。通路的なプロスコリウム( Proscholium"入門、玄関"と訳せばいいのかしら…)の大きなトレサリー、石造りの壁と、石が垂れ下がったような装飾の凝らされた天井が美しい。
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Divinity Schoolは15 世紀ヨーロッパの後期ゴシック建築の傑作の 1 つである。1423 年に基礎工事が始まったが、慢性的な資金不足のため1427 年になっても建設中だった。1430 年にリチャード・ウィンチカムが石工長に就任し、東西の出入り口と窓を完成させた。
しかし資金は再び枯渇し、神学校は 1470 年まで使用できなかった。資金調達した 1478 年、地元の石工の親方、ウィリアム・オーチャードが工事の監督に招かれこの石造りの天井を建設するという決定したが、これにより図書館の床の高さを上げ、図書館の窓と壁の高さも上げる工事が必要となった。必要が工事は 1488 年にようやく完了し、図書館はついに開館した。
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455 個の天井ボスには、碑文や寄贈者の紋章やイニシャルが彫られており、石工ウィリアム オーチャードの「WO」もある。このイニシャルに関して面白い逸話を聞いたんやけど、忘れてもうた…。小一時間くらいずっとここにいた気がする。
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エリザベス1世からの非公式な支援を受けたフランシス・ドレーク卿(英国では英雄、スペインでは「ドラコ」と呼ばれた)の私掠船Golden Hindの残骸で作られた椅子。
ハリーポッターシリーズでは賢者の石にてヴォルデモートと遭遇の後ハリーが目覚める医務室、アズカバンの囚人でハリーとハーマイオニーがタイムターナーを使うシーン、炎のゴブレットでマクゴナガル教授がダンスレッスンを行うシーンに使われた。
あと、わたしが高校生のときからずっと愛している犯罪捜査ドラマBONESシーズン4冒頭ではブレナンがここで講義するシーンがある。
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アーツエンド
この二階に昇ると木製の階段とねじれた手すりは17 世紀半ばに当初のものから取り替えられたもの。この階段を上ると、1610 年から 1612 年にかけて建てられたアーツエンドに入ることができる。アーツエンドは先述したDuke Humfrey's Libraryに通じている。
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木製の梁の屋根がある部屋は明るく、グロテスク (イタリア ルネッサンス) が描かれた木製のつなぎ梁の天井があり、それぞれのパネルには大学の紋章、梁の交差点にはボドリー卿の紋章が飾られている。
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ハンフリー公爵図書館へのアーチ道を越えると、チューダー王朝の記章が掲げられているのが見える。天井まで聳える壁面本棚は1564 年にスペインのエスコリアル(El Escorial)で初めて採用された設計で、ジェームズ朝の当時のイングランドでは革新的だった。
北から南へ走る壁にはずっしりとした本たちが天井から床にまで敷き詰められており、本棚と並行に設置された手前のベンチで閲覧ができるようになっている。
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一部の本は、 19 世紀以前の背表紙が内側を向ける収納方法で今も棚に並べられているそうだ。
本棚はすべて、1598年から1602年にかけてボドリーが great desolate room、”荒涼とした大部屋”を改装したときに導入されたが、15世紀の図書館の基本構造はそのまま残っている。
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一瞬しかいられなかったけど、千金のひとときだった….。
お土産✌
Weston Library
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ちなみにDivinity SchoolなどがあるThe Schools Quadrangleから道を挟んで向かいにあるWeston Libraryも楽しかった。
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近代的な建物だけどここもボドリアン図書館の一部。ギフトショップもセンスが良い。
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当時やってた企画展「Gifts and Books」は贈り物を与えることと受け取ることの意味を、古代シュメールの書字板から現代の児童文学など様々な書物を通し探るというもので、大好きなテーマだったから面白かった。感想は下記にまとめている。
オックスフォード大学
Christ Church
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"Midnight has come and the great Christ Church bell
And many a lesser bell sound through the room;
And it is All Souls' Night..."
「真夜中になり、クライストチャーチの大きな鐘が鳴り響いた
そしてたくさんの小さな鐘が部屋中にも響き渡った
これぞ万霊祭の夜...」
オックスフォード滞在中に宿泊したのは、セント・アルデート通りの東側に位置するクライスト・チャーチ(ラテン語ではÆdes Christi、キリストの神殿または家)。B&Bはロンドン市内で泊まったホテルよりも広くて快適だった。アメニティももらえるし…。
このカレッジは、1525 年にウルジー枢機卿(彼が没したレスター修道院ってリチャード3世の遺骨が発見された場所や…)によって「カーディナル・カレッジ」として大枠が設立され、枢機卿の失脚後は1546年にヘンリー8世(離婚、斬首、死亡、離婚、斬首、生存…)によって再建され、オックスフォードの司教区もここに移された。
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Hall Staircase
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ボドリー・タワー(建築家G.F.ボドリーにちなむ)にあるGreat Hallへ続く階段。中世風の美しい円蓋は17世紀に設置された。
ハリーポッターではマクゴナガル教授が生徒たちを出迎えホグワーツの心得を説く場所。賢者の石を守った戦いの後、医務室を出たハリーがHouse cupのため大広間に向かうシーンでも使用された。
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こんなに階段楽しく昇り降りすることないわってくらい往復した。
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Great Hall
The hundreds of faces staring at them looked like pale lanterns in the flickering candlelight. Dotted here and there among the students, the ghosts shone misty silver.
"彼ら一年生を見つめる何百もの顔は、ちらちらと揺れる蝋燭の光のなかで青ざめた提灯のようだった。生徒たちの間にぽつんぽつんと点在する幽霊たちは霧がかった銀色に輝いていた。[nite拙訳]"
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1520年代に厨房とともに完成し、今なお食堂として利用されている壮麗な大広間。先述したイングランド内戦中にチャールズ1世が召集した議会の所在地としても知られている。そして言うまでもなく、ホグワーツの大広間のモデルとなった場所。
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壁にはWHオーデンや、チャールズ・ドジソン(またはルイス・キャロル)など数多くの肖像画が飾られている。ホールの奥にあるハイ・テーブルを見下ろすヘンリー8世も見える。
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主な装飾は屋根にあり、梁にはルネッサンス風のアラベスク模様が描かれている。
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The Cloisters
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大聖堂の隣のCloisters回廊。回廊は、ハリーが最初の映画で父親が獲得したトロフィーを見せられる場所。
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Christ Church Cathedral
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ゴシックロマネスク様式の大聖堂。ステンドグラスが綺麗。夕方行ったら聖歌隊の練習してはりました。
The Masters' Garden
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New college
たどり着くまでの路地で迷子になって同じところをグルグル回った。クライストチャーチから少し足を伸ばせばたどり着けるはずなんやけどね…。
ニュー・カレッジは、1379年にウィンチェスター司教ウィリアム・オブ・ワイカム(1324-1404)によって、ウィンチェスター聖メアリー・カレッジとして設立されたものの、別のカレッジ と区別するためにニュー カレッジと呼ばれるようになった。
Front Quad
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ワイカムは礼拝堂、ホール、文書館、図書館がすべて中庭を囲むように立ち並ぶ、講師と学生の生活と勉強する空間がた一体化した複合施設を描いた。このFront Quad囲い中庭 (1386 年完成) を中心にデザインするという建築は当時革新的であり、以後将来や世界中の大学のモデルになったそう。
The Cloisters
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礼拝堂の西壁のそばにあるThe Cloisters。『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』に登場したトキワガシの木が見える。
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The Garden Quadrangle
17 世紀後半に建設された、庭園につながる新しい中庭
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おまけ
King's Cross St. Pancras (Platform 9¾)
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*References
・William Dunn Macray, "Annals of the Bodleian Library, Oxford, A.D. 1598-A.D. 1867 With a Preliminary Notice of the earlier Library founded in the Fourteenth Century." RIVINGTONS London, Oxford, and Cambridge,
1868.
・Reliquiæ Bodleianæ, 1703
・https://www.cabinet.ox.ac.uk/accessing-unchained-books#/media=6524