仕組みで覚える世界史④家来と領主
前回のおさらいをしましょう。
前回は王様には領地があり、それを支配するために、手足となって働く、直接の家来がいることを書きました。
また、全国には領主がたくさんいて、領主が独立した組織を維持したまま、王様に従属していることも書きました。
つまり、王様に従っているといっても、直接の家来と、従属している領主の2種類があることになります。
政権は家来と領主が参加して構成されていることを、豊臣秀吉の政権を例にして、見ました。
では、家来と領主はどのような力関係にあったのでしょうか。
★王様の家来と領主の力関係
家来と領主の力関係は、王様の力がどれくらいあるかによって変わります。
王様の力が圧倒的な場合は、王様の家来は大企業の社員みたいな存在となり、領主は大げさに言えば中小企業の社長のような存在になります。
なので、中小企業の社長が、大企業の若い社員に、あれこれ指図される、みたいなことが起こります。
一方、王様の力が弱い場合、家来の発言力も弱くなり、有利領主の声が大きくなります。
★鎌倉幕府における家来の台頭
鎌倉幕府の前半は、領主である御家人たちにより、政権が運営されましたが、執権を世襲した北条氏の得宗(とくそう)家という家系が、時代が進むにつれて、独裁的な力を獲得します。
そうなると、北条氏の直接の家来である御内人(みうちにん)の権力が増し、1285年には、御内人の平頼綱(たいらのよりつな)が有力御家人である安達泰盛を滅ぼします。
執権であり、北条時宗の息子である貞時が、まだ子供だったことから、頼綱は専制政治を行いますが、頼綱の力が強大化し、執権がコントロール出来なくことが懸念され始めます。
貞時が20歳くらいの時に、鎌倉で大地震が発生すると、そのドサクサに紛れて、貞時が頼綱の邸宅を襲撃して、殺害します。
★御内人・長崎氏
貞時は御家人や一族の人間を政権に入れて、政治体制を前の時代にと同じようなものに戻しますが、政治が面倒になり、御内人に国政を丸投げし始めました。
これ以降、鎌倉幕府滅亡まで、幕府の主導権を握るのは御内人の長崎氏という状況になりました。
ちなみに御内人は執事や内管領(うちかんれい)とも呼ばれます。
★室町幕府の場合
室町幕府の場合、足利家の一族や家来が管領という今の総理大臣のような(?)役職を与えられ、国政を行いました。
室町幕府の初期は戦乱の時代であり、足利家は親戚や家来など、信用出来る人たちを、首都京都の周辺に配置しました。
戦闘力を高めるために強大な権限を与えました。具体的には守護に任命しました。
近畿やその周辺の領主たちはこの人たちの指揮下に入りました。
鎌倉時代にも守護はありましたが、領主たちは緊急時に指揮を受けるなどでした。
室町時代の初期は、数十年間、緊急事態が続いたので、鎌倉時代の地方領主が将軍と直接の繋がりが強かったのに対して、室町時代の領主は、守護に動員されて動くことが多く、守護との繋がりが強かくなりました。
有力領主である守護大名が、今で言う各都道府県に配置され、現地の中小領主たちを指揮しました。
今サラッと書きましたが、足利家の家来が土地を与えられて、領主にもなります。
領主に仕えて、領地を管理していた人が、中央政府の重要人物になると、領地を与えられて、自分自身が領主になったのです。
つまり、家来であり、同時に領主でもある、というパターンです。
★室町時代の後半
室町時代の後半になると、管領を多く輩出し、京都周辺に、広大な勢力圏を形成した、細川氏が将軍を傀儡にして、幕府の実権を握ります。
★安土桃山時代
戦国時代は、守護大名がそのまま地方領主を指揮して、戦国大名に変貌するか、地方領主やその家来に過ぎなかった人物が、守護大名の持っている権限を奪取し、戦国大名となっていきます。
多くいた弱小の戦国大名が滅亡し、広大な領地を持つ戦国大名に数が絞られてくると、大名家と地方領主の力の差が歴然としてきます。
その結果、独立性を持っていた地方領主は、独立性を失い、大名の家来になっていきます。
秀吉が大名を土地から引き剥がし、他の地方に配置転換すると、そこに従っていた地方領主も、先祖伝来の土地から引き剥がされ、縁もゆかりも無い土地に移動させられます。
領主は土地の領有を認められた存在でしたが、土地の支配権を失い、大名から給料をもらう、地方公務員のような存在になっていきました。
★江戸幕府の場合
江戸時代の中央政府は、原則として徳川家の家来である譜代大名だけが中央政府の重役に就けました。
実際には徳川家の親戚である松平氏がまあまあの割合で国政に参加しているのですが、あくまでも原則は譜代大名でした。
室町幕府は、幕府の周りに広い領地を持っている人が、中央政府の権限も持っていたことから、将軍がコントロール出来なくなって、傀儡になりました。
江戸幕府では、中央政府で強大な権力を持っている人は領地を少なめに、中央政府に権限のない人は、江戸からかなり遠い場所で広大な領地を与えるという方式を採用しました。
原型を築いたのは信長ですが、領地の再編を進めている途中で、信長の本拠地の近くに、広大な所領を持っていた領主に殺害されました。明智光秀です。
家来たちの領地を小さくしたとはいえ、家来は裏切りにくい人たちでもあるので、江戸の周りや日本列島の「ここだけは守り抜きたい」という地域に配置しました。
江戸から遠い場所で、広大な領地を持っている領主とは、外様大名のことですが、この人たちが反乱を起こしても、信頼出来る家来をディフェンダーとして、重要な土地に配置して、この人たちが反乱軍を食い止めて、時間稼ぎをしているうちに、各地から増援が来る仕組みになっていました。
ちなみに、遠くにいる領主たちにお金を使わせて弱体化させたのが参勤交代で、彼らが莫大な旅費を落とすことで、譜代大名の領地と江戸が繁栄することになリマした。
メッチャ嫌らしい制度ですね(笑)
★終わりに
世界史と言いながら、日本史の話ばかりになりましたが、君主と家来と領主という構図を頭に入れておくと、他の国の歴史を勉強する時も、理解が早くなるので効果的です。
ちなみにこのシリーズはまだまだ続きます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?