仕組みで覚える世界史②権力を奪われる王様たち
第1回では、王様が領主の顔色をうかがって、政権運営をしなければならなかったことを書きました。
★中央集権という言葉の謎
私が歴史を勉強し始めた時に、戸惑ったことがもう1つあります。「中央集権」という言葉です。
「中央に権力が集中します」
えーと……、それは……。当たり前では?
なぜ当たり前すぎることに、こんな仰々しい(?)専門用語が付くのか。
そこに戸惑ったのです。
しかし、私はそもそも子供だったので、中央の意味を正確に理解していなかったということもあります。
なので、まず初歩的な話ですが用語を押さえましょう。
★「中央」と「地方」
「中央」の対義語は「地方」なので、それとセットで覚えると、理解しやすいです。
「中央」は国、「地方」は都道府県や市町村に当たります。
現代であれ、昔であれ、その国には、国全体を管理する政府があります。
王様がいても、王様が1人で国を管理する訳ではありません。
国は広いので多くの人が管理に参加します。
多くの人を、効率良く動かしていくために、組織が出来上がります。
首都にあって、国全体を管理する政府を「中央政府」といいます。
王様にせよ、天皇にせよ、将軍にせよ、その下には中央政府があります。
天皇や将軍は中央政府のトップを務める人物とも言えます。
★地方政府
地方にも政府があり、トップがいます。今なら県知事や市町村長に当たる人物です。
奈良・平安時代なら国司です。
鎌倉時代から戦国時代なら守護。
江戸時代は藩主になります。
地方を管理するにも多くの人が必要です。彼らの所属する組織が「地方政府」になります。
★領主と王様の関係
国司や守護は、公式な役職ですが、公式な役職とは別に、地方に多くの領主がいます。
領主は財産として、土地と民衆を所有してします。
王様や将軍は、その国にいる領主たちが持っている権利を認めます。
中央の政権が安定している時は問題がないのですが、なんらかの問題が発生すると政権はしばしば混乱します。
★幼い王様
王様が若いうちに亡くなり、新たにその子供が王様になります。
若い人の子供になるので、まだ幼いです。
子供は政治のことがよく分からないので、大人になるまで、周りの人達が政治をします。
家来や親戚の人たちが、ちゃんとバックアップしてくれれば、問題は起きないのですが、お金と権力が集まる場所なので、多かれ少なれ、主導権を巡って争いが起きます。
この争いが比較的早く終息すれば良いのですが、長引くと政権の致命傷になります。
中央で王様を支える人達が潰し合うと、王様の周辺が弱くなります。
中央の監視が弱くなると、地方の領主を止める人がいなくなります
地方の領主のうち、実力のある人は、近くにいる弱い領主から、土地や権利を奪って強大化します。
中央が安定していれば、弱い領主の権利が脅かされると、王様が「コラ! やめなさい」と言います。
ですが、中央が混乱していると、それが出来なくなる。なので、地方の実利者がパワーアップしてしまうのです。
ドサクサに紛れて、王様の領地を横取りする人も現れます。
そうなると、王位継承問題が決着し、子供だった王様が大人になる頃には、政権基盤が弱体化していることがしばしばあります。
王家が弱体化し、地方の領主は強くなる。こうなると、王様の政権運営は困難を極めます。
★丸投げする王様
王家が弱体化する原因は他にもあります。
王様が政治に興味がなくて、悪いヤツに丸投げした場合です。
まともなヤツに丸投げするなら、帰って政治は上手く行きますが、悪いヤツに丸投げすると国がダメになります。
★中近世のバラマキ政策
王様の力が弱体化すると、王様のことが気に食わない領主たちが、別の王様を擁立して、その人の支持に回ることがあります。
そして、王様と対立候補の間で戦争が起きます。
領主たちは兵士をいっぱい抱えているので、王様は多くの領主を味方にしたい。
良い条件を出して、オファーしなければならなくなります。
今の選挙だと、選挙に勝ちたい政党は、自分たちが選挙で勝ったら、「税金をさげます!」とか「給付金を出します!」とか調子の良いことを言って、国のお金を使って、選挙戦を有利に進めようとします。
これをバラマキといいます。
これと同じように、内戦に勝ちたい王様は、領主に様々な特権をバラマキます。
中央集権は、国が色んな権力を握っている状態をいう訳ですが、混乱期の王様はそれをドンドン手放していくことになります。
★「中央集権の謎」の答え
中央集権という言葉がある謎も、これで解けます。
中央が権力をドンドン手放して、権力が分散してしまうことが、歴史上しばしばあったのです。
★神聖ローマ帝国の例
たとえば、今のドイツに当たる神聖ローマ帝国は、帝位をめぐって、激しい争いが打ち続き、しばしば権利のバラマキが起きました。
結局、皇帝はなんとか権力を回復しようと頑張りましたが、最終的にこれを諦めて、領主たちに国家並みの権利を認めました。
1400年代の半ばから、皇帝の世襲を本格化させたハプスブルク家は、帝国内での指導力を回復を諦め、外国であるハンガリーなどに勢力を拡大する方針を選びました。
★鎌倉幕府成立の背景
平清盛の一族を、自力で倒せなかった後白河法皇は、南関東の領主のリーダーだった源頼朝にオファーを出します。
源頼朝は、自分の持っているカードと、後白河法皇の持っているカードを見ながら、巧みに交渉をして、一つ一つ権利を獲得していきました。
これが鎌倉政権の成立に繋がります。
このあと朝廷は、じわじわと中央政府の機能を失っていき、幕府政治にとって代わられるのです。
★まとめ
以上のことを頭に入れておくと、制度史や法律史みたいな、「うわー! 俺そこ苦手だったわ!」みたいな部分も、「あ、なるほど。そうことだったのか」となることがいっぱいあると思うので、ちょっと制度史を読み直すなど、チャレンジしてみると良いことあるかもよー??
★予告(?)
さて本シリーズはまだまだ続きます。絶対王政の説明もまだでしたし。
とはいえ、本稿の内容で、だいぶ見当はつくでしょうが、そこはよろしくお願いしますよ〜。