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体の痛みはまるで人生の終わりの鐘が鳴り響いているように感じられた

私は自己免疫疾患(膠原病)を患っている。
強い薬(ステロイド)の調整(減薬)中に、ひどい体調不良に陥った。
多少の想定をしていたとはいえ、きつかった。
おそらく、言葉では上手く伝えきることができないぐらいに。

微熱が続く。
倦怠感が続く。
咳と痰が止まらず体力がなくなる。
体のあちこちが痛い。

微熱は薬で下がった。
倦怠感は我慢できる範囲だ。
咳と痰は間質性肺炎の後遺症なので、ある意味、仕方がない。
しかし、体の痛みだけは、死にたくなるぐらいにしんどかった。

体の痛みはまるで人生の終わりの鐘が鳴り響いているように感じられた。

朝、目覚めた瞬間から体が痛い。
どこもかしこもだ。
そして、痛いところが飛び火する。
神経が痛いところに集中する。
起きていると、痛みとの闘いが続く。
痛みから逃れる為に眠り、痛みから逃れられずに起きる。
また、痛みから逃れる為に眠る、の繰り返しだった。

昨日あたりから、ほんの少し、痛みが取れてきたように感じる。
痛みとの闘いは、そろそろ終盤が近付いてきたのだろうか?
きっと、そうなのだろう。
だって、私はようやっと、心の声をつぶやく記事を書けたのだから。

生きたいのか?生きたくないのか?わからない日々の連続。
闘病とは、一体、何と闘っているのか?と考えさせられる。
私は何の為に生きているのだろう?
どんな風に生きたいのだろう?
私は死にたいのだろうか?
どんな風に死にたいのだろうか?
そんな、良からぬことまで考えだす。

しかし、結局、帰ってくる境地は、「生きたい」なのだ。
私なりに生きたい形があるのだ。
どんなに病気をしていても、どんなに心と体が弱ってしまっても、生きたいと願っているのだと思う。

朝、目覚めると、私の体はまた悲鳴を上げているのかもしれない。
それでも、生きたいと願う私は、悲鳴を上げながら、痛い体と対話をしよう。
どこが痛いの?どんな風に治りたいの?
その答えに近付けるように生活をしよう。
だって私はまだ生きている、生きているのだから。


さて、今日も生きるとしよう。




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