思い出せないというより、あまりにもはっきりと思い出せてしまうので、嘘だと分かる。 「雪の練習生」多和田葉子
多和田葉子の本を読んだのは二回目。一回目に読んだ「犬婿入り」と同じくなんとなく不思議な話。最初は不思議さが面白かったけど途中で訳わからなくなり読むのを止めた。
共感の嵐すぎる。俺が春を嫌いな理由はこれが大きいかもしれない。思い出すことは決まって卒業式だとか入学式だとかの大切でもなんでもない記憶ばかりで、どれもいやになる。
くやしさをなんと上手に表現するのだろう。確かにくやしさは拾い集めることのできるものではなく、人から与えられることが多いからプレゼントのような物なのかもしれない。これからはもっとくやしさをポジティブに捉えることが出来そう。
そんな気がする。あとから思ったけど、「満面の微笑み」って矛盾しているような気もしなくもない。
すごい。あまりにもはっきりしすぎてる記憶って作られたものだったりするよなと。これ読んでから思い出せる記憶に対して切なさを感じるようになってしまった。思い出せるものなんて所詮作られたものでしかなくて、何気ない記憶は忘れ去られているのかも。