加山雄三さんの曲『君といつまでもを』聴くと思い出してしまう叔父のこと
ニーモさんへ思い出の曲をたずねたところ記事にして教えてくれました。
ニーモさんありがとうございました。
とても素敵なニーモさんの記事にキュンとしました。
大人になったらどうしてあんなことが辛かったんだろうって思える
若い時の自分が愛おしい・・・
サザンオールスターズの『Ya Ya』
この曲私も大好きです。
私の名前ともちょっと被っている『愛しのエリー』(この曲も好き)と迷われたと知って、またまたニーモさんに親近感!
”歌”って思い出や記憶と重なってしまうことが時々あります。
30年前のちょっと古い話になりますが、加山雄三さんの『君といつまでもを』私の結婚式で披露してくれた叔父の話をしたいと思います。
私の母から私が思春期くらいに聞いた話です。
父の弟である私の叔父は若いころ大恋愛をしたそうです。
しかし結婚まで考えていた愛する女性とは結ばれませんでした。
なぜなら叔父の父親(私の祖父)からその最愛の女性との結婚を猛烈に反対されたからです。
相手の女性がどうこうよりも
父親(私の祖父)が勝手に決めた女性との結婚を強いられたからです。
それは、どちらかというと家同士の政略結婚的なものでした。
今では信じられないような話ですが、60年以上も前では家長(祖父)の意見は絶対だったんでしょう。
特に私の祖父はとても厳しい人で自分の言うことが絶対だったから。
叔父はその時かなり荒れたそうですが、最終的にその彼女と別れて、祖父の決めた女性と結婚しました。
不幸なことに、祖父が決めた相手の女性も当時好きな男性がいたそうです。
お互いに好きな人がいるにもかかわらず、家のために結婚をした二人の気持ちを想像すると悲しくて・・・
叔父はある電機メーカーに勤めていて、その女性と結婚してからは大阪の私の実家の近くに住んでいました。
私は小学生の頃に何度かその叔父さん宅へ遊びに行ったことがあります。
そんな大人の事情も知らない頃でしたが、子供ながらになんだか叔父夫婦のよそよそしい他人行儀な雰囲気を感じたことを覚えています。
叔父夫婦は子宝に恵まれませんでした。
そして皮肉なことに、後継を期待していた両家の結婚は言い方は悪いかもしれませんが実を結ばなかった。
祖父は大変な失望感だったそうです。
それでも叔父夫婦は誰を恨むでもなく、結婚生活を送り最後まで添い遂げたんです。
話は変わりますが、叔父は古谷一行さんに似た男前でイケボでした。
お酒が好きで歌も好き、若い頃はとても明るい性格だったみたいです。
そんな叔父に、私が結婚する時に、結婚披露宴で親族代表でスピーチを頼むことになりました。
もともと大人になってから(子供の頃は田舎に帰省した時に遊んでもらったりはありましたが)
そんなに交流もなかった叔父に私の結婚のスピーチといったって喋ることもあまりないと思った私は
叔父が歌が上手なことを思い出して、できればスピーチよりも歌を歌って欲しいと叔父に頼みました。
叔父は満更でもない様子で快く引き受けてくれました。
そして『選曲は自分で決めてもいいかな?』と言われたので
私は『叔父さんに任せるから』と言いました。
その時に叔父が歌ってくれたのがこの加山雄三さんの『君といつまでも』でした。
叔父は披露宴で
『私はいつもは演歌しか歌わないのですが、今日は姪の(私のことです)ためにこの曲を選びました、歌います。』と言って歌い始めました。
ちょっと照れた顔で歌いながら
叔父はちゃんとセリフも言いました。
セリフの〇〇子、ここには奥さんの名前を入れて・・・
そのあと叔父は感極まったように涙ぐみながら、最後は号泣しながら歌いきったのでした。
私の結婚式のためというよりも、叔父は長年連れ添った奥さんのために歌っているように私には見えたんです。
叔父の奥さんも叔父の隣で歌を聴きながら泣いていました。
叔父夫婦の結婚した経緯を何も知らない夫の親戚の方には
『あんなに泣かれるなんて、叔父様はあなたのことが本当に可愛いのね、感動したわ』と言われましたが・・・
あれは叔父の妻に対する愛情表現だったんだと私は今でも思っています。
叔父は愛した女性を諦めて、親が決めた女性と結婚したけれども
長い年月をかけて
『結婚した君のことを愛したんだよ』と苦労を共にした妻に伝えたかったんだと・・・
いろんな夫婦の形があります。
夫婦ってたとえどんな始まり方であっても共に長く時を過ごしているうちに赦しあったり、理解しあったり心が通じるのでしょうか?
相思相愛で結婚しても別れることはあります。
叔父夫婦は結婚のスタートは理不尽だったかもしれませんが、そんな境遇でもお互いが心を寄せ合って生きてきたから
こんな素晴らしい心のこもった歌を妻に捧げることができたのだと私は感じています。
叔父が私の結婚式で歌ってくれたこの歌を聴くと
『叔父の気持ちを大事にしよう、すぐにはなれなくても、長い時間をかけて本当の夫婦になればいいんだよね』と私と夫のことにも思いを馳せます。
そんな叔父は私が結婚してから5年後に病気で亡くなってしまいます。
まだ50代の若さでした。
今でもこの曲を聴くと
私の結婚式でライトを浴びながら、ちょっとはにかんで奥さんの肩を抱いて歌っていた叔父の姿と歌声が目に浮かびます。
あの時スピーチでなくて叔父さんに歌を歌ってもらって本当に良かったよ。
今も空の上で歌っているのかなぁ
叔父さん
ここまで読んでくださりありがとうございました。
スキ・コメントくださるととっても嬉しいです。
歌ってやっぱりいいですね!