いつの間にか私を超えていく娘たちに教えられたこと
こんにちは
candy@です。
三月もあと一週間
今年の春は私が子供を授かってから30年間で一番静かで心が穏やかな春だと感じている。
私には二人の娘がいる。
20代後半の長女と今年の春に大学を卒業する二女だ。
長女のことは以前何度か記事にしているが、大人になってadhdと診断された。
昨年の9月に一人暮らしを始めた長女
相変わらず過保護の私はちょっと心配していた。
でも、最近長女と二人で会って話をした時に『あぁ、もう大丈夫だな』と安心した。
今までなら私が頼られたり励ましたりする立場だったのに
内容は言わないが、今回は私の方が娘に教えられたり、励まされたことに気づいたから。
adhdの特性から一言で言うと不安定な状態で子供時代からずいぶんと長い間生きてきた長女。
そんな長女がadhdだと診断され、数年前やっと自分に合うお薬に出会えたことでかなり精神状態が安定して普通の生活が維持しやすくなった。
もともと好きなことや興味のあることなら人並み以上の集中力を発揮する彼女の可能性を私は彼女が子供の頃からずっと信じていて
『彼女の稀に見る才能をどこかで発揮できたら』と思っていたのに
愚かな私にはそれを早い段階で方向付けしてあげることができなかった。
そして私は長女にとって最善な方法を見つけられなかったことをずっと心の中で責めていた。
しかし長女は、私や誰かのせいにすることもなく(あまり過去のことには執着しない性格でもあり、それも彼女の強みだと思う)
一歩一歩、自分で納得して自分の道を探りながら進んでいた。
決して焦らずに・・・
長女が一人暮らしを始めてから半年近く経ったが、私の心配をよそに長女はどんどん世界を広げて自分の道を切り開いている様子だ。
「もし私が長女だったら、ここまで頑張れたのだろうか?」
それを考えると長女の頑張りと強い精神力には敬服すら感じている。
これからも長女は生きていく上で様々な困難に向き合うことがあるかもしれない。
今までは
『親なんだから私がなんとかしてあげたい』
『私がなんとかしなくては』と思っていたが
いつの間にか長女は私を超えていて
『もうそんな心配をしなくてもいいんだ』と思わせてくれる存在になっていた。
あとは長女を信じて見守るだけでいい
そんな安堵感に満たされながら私の今年の春は静かに流れて行く。
子供はいつまでたっても親にとっては子供だ
でもいつの日か親を超えてくれる日がやってくる
それは長い長い道のりだけど
だからこそ、その日が来たときの喜びは大きくてとても深い
その日を迎えることができて私は本当に幸せだ
娘たちにたくさんのことを教えてもらったことにも感謝したい
子育ては私にとって終わるとか終えるものではなく
私にとっての子育ては子供が親を超えてくれたと感じれた時に
私の力ではいたらなかった子育ての日々が『許されたこと』になるような気がしている。
そして、やっと私も自分を許してやってもいいのかな?
私の吐露を読んでくださりありがとうございます。
最後までお付き合いくださりありがとうございました。
いつもスキやコメント感謝しています。
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