紀行note:神戸市須磨区 藻塩垂れつつ 松風村雨堂 現光寺
これは九月二十九日のこと。唐崎夜雨は兵庫県神戸市須磨区を散策。
須磨寺を出て参道を直進すると山陽電車の須磨寺駅に着く。駅前の脇に小さなお堂と石碑が建つ。ここが「平重衡とらわれの地」。
一礼して先へ進む。
山陽電車の踏切を越え左手へ進む。道は幹線道路の西国街道に合流。ここに元宮長田神社が鎮座。いまは神戸市長田区にある長田神社はもともとこの地で祀られていたという伝承がある。こちらへも一礼して先へ進む。
そのまま西国街道を東へ歩き行幸町四丁目の交差点を左折。再び山陽電車の踏切になるが、この踏切を越えたすぐ右手に松風村雨堂がある。
敷地に足を踏み入れ、平安の頃の須磨に想いを寄せる。
入口に神戸市地域史跡の案内版がある。松風・村雨の名の由来が記されている。以下抄出。
「平安時代前期(9世紀中頃)在原行平が、須磨の地でさみしく暮らしていた時、塩汲みに通っていた多井畑の村長の娘である姉妹に出会った。その時、松林を一陣の風が吹き抜け、娘たちの頬を通り過ぎ、にわか雨が黒髪にふりかかった。そこで行平は娘たちに、「松風」「村雨」の名を与え、仕えさせた。
やがて許されて、行平は都に帰ることになり、小倉百人一首で有名な
立ちわかれいなばの山の峯におふる
松としきかば今かへりこむ
の歌を添え、姉妹への形見として、かたわらの松の木に烏帽子、狩衣を掛け遺し、都に旅立った。」
そして行平の住んでいたところに姉妹は庵を結ぶ。これが「松風村雨堂」。
現在は歩道から数段あがった地の民家のような建物の奥に、石塔、お堂など遺蹟が残る。それほど広い敷地ではない。歴史あるいは文学に興味がなければ足を運ぶこともなかろうと思われる。
ちなみに上記百人一首に載る「立ちわかれいなばの」の「いなば」は、この地須磨よりも山陰の「因幡〔いなば〕」とみるのが一般的と思われる。行平は因幡守であった。
田村の御時に事にあたりて
津の国の須磨といふ所に
こもりはべりけるに宮のうちに
はべりける人につかはしける
わくらばにとふ人あらば須磨の浦の藻塩垂れつつわぶと答へよ
在原行平朝臣『古今和歌集』巻第十八 雑歌下962
さて松風村雨堂をあとにする。
道を再び西国街道へ戻り今度は須磨寺駅を脇目に国道2号線と合流する手前で右手に折れ、山陽電車の高架下を通り抜けしばらく行くと右側にお寺が見える。
こちらは藩架山現光寺。俗に源氏寺と云われる。
現光寺の前に源氏寺の碑が建つ。裏面には『源氏物語』「須磨」の巻の一節が刻まれている。
おはすべき所は行平の中納言の
藻塩たれつつわびける家居近き
わたりなりけり 海面はやや入りて
あわれにすごげなる山なかなり
現光寺は光源氏がわび住まいをしたところと伝えられている。フィクションだろ、というツッコミは無視します。
藩架山現光寺は浄土真宗本願寺派。永正十一年(1514)浄教上人開基、本尊は阿弥陀如来。
手入れされた境内には四季折々の花が参詣者を迎えてくれそうだ。この時もハギやヒガンバナ、キキョウなども見受けられた。本堂では法要が行われていたので、ぐるりと境内を見るにとどめる。
ここにも句碑あり。
歴史文学散策なのか句碑めぐりなのか分からなくなる。
見渡せばながむれば見れば須磨の秋
芭蕉
読みさして月が出るなり須磨の巻
子規
芭蕉の「見渡せば」の句は延宝七年(1679)ごろの作。このとき芭蕉は実際に須磨の景色をみたことがない、はず。あくまでも古歌をかりて須磨の秋をめでている。芭蕉が須磨をたずねたのは貞享五年(1688)。
月はあれど留守のやうなり須磨の夏
月見ても物たらはずや須磨の夏
明治二十八年(1895)に日清戦争の従軍記者だった子規は帰国の船中で喀血。神戸病院に入院。ついで須磨で療養している。おそらくはこのころの句か、このころの体験をもとにした句か。
句碑のまるみが登ってきた月のようでもある。
さて現光寺の本堂の前には立派な松がある。これを光源氏月見の松という。重ねて、フィクションでは、という声は私には届きませんのであしからず。
須磨は月の名所でもある。
月のいとはなやかにさし出でたるに 今宵は十五夜なりけりと思し出でて 殿上の御遊び恋しく 所々眺めたまふらむかしと 思ひやりたまふにつけても 月の顔のみまもられたまふ
「二千里外故人心」と誦じたまへる 例の涙もとどめられず
入道の宮の 霧や隔つると のたまはせしほど 言はむ方なく恋しく 折々のこと思ひ出でたまふに よよと泣かれたまふ
夜更けはべりぬと聞こゆれど なほ入りたまはず
見るほどぞしばし慰むめぐりあはむ 月の都は遥かなれども
『源氏物語』「須磨」の巻より
それでは次の目的地へ参りましょう。
ちなみに今回の散策場所の地図。須磨寺からは少し離れていますが概して山陽電車沿線といえましょう。
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