映画『駅前旅館』(1958)
こんばんわ、唐崎夜雨です。
お待たせいたしました、今宵みなさまにご紹介する映画は1958年のカラー作品『駅前旅館』です。原作は井伏鱒二、監督は豊田四郎。
上野駅ちかくの旅館を舞台に賑やかなそして哀感のただよう人情喜劇です。
その前に、1958年といいますと、
2月に第1回日劇ウエスタンカーニバルが開催。
4月に売春防止法が施行。
10月に東京タワーが竣工、12月に公開。
また10月にはフラフープが大流行しました
ちなみに映画『駅前旅館』の公開は7月。劇中ロカビリーに触れていも、フラフープの出演はありません。
『駅前旅館』は60年代を代表する娯楽映画の駅前シリーズの記念すべき最初の作品となっています。もともとシリーズ化を意識したものではなく、本作が好評だったため主要キャストの再集結により1961年に『喜劇 駅前団地』が製作されました。以後1969年まで全24作品が製作されたのが駅前シリーズです。
シリーズといっても「007」や「男はつらいよ」と違い、各作品にほとんどつながりがない。タイトルに「駅前」がつくのと、主演が森繁久彌・伴淳三郎・フランキー堺の3人ということ以外にほとんど共通点が見いだせないのが特徴です。
唐崎夜雨が子供の頃、テレビで土曜や日曜の午後にこういった邦画旧作の喜劇をよく放送していました。どうゆうわけか子どもながらもよく見て喜んでいたようです。
あらすじのようなもの
上野駅近くの柊元旅館。指定旅館の看板を出しているので、今では電話一本で何十名もの団体客を受け入れている。今日も柊元旅館は修学旅行生で大賑わいである。
柊元旅館の番頭次平にしてみれば、個人より団体の現代は「旅館という名の工場」であり「味がない」。
いまはホテルに予約してゆくのが普通の時代でしょうが、このころまではまだ予約せずに現地で宿屋を見つける人も少なくなかったようです。
唐崎夜雨も学生時代にそうゆう旅をしたことがあります。駅前にあるような旅行案内所で宿を斡旋してもらう。相部屋ということはなかったけれど、ふすま一枚隔てたむこうに赤の他人がいる部屋だったことはある。
民宿のようなところに泊まったこともある。あのときは急な宿泊なのに美味しいごはんを提供していただいたのを記憶している。
閑話休題。
番頭次平役に森繁久彌。旅館の主人が森川信、女将が草笛光子。
森川信は映画「男はつらいよ」の初代おいちゃんで知られる喜劇人。
草笛光子はいまもご健在で今年は主演映画も公開されている。90歳で主演映画も驚きだが、66年前すなわち24歳くらいで旅館の女将を堂々と演じているのも驚きで、森川信を尻に敷き、森繁久彌に引導を渡す役。
この柊元旅館に居るのは、フランキー堺演じる旅行者の添乗員小山欣一。あだなは万年さん。三井美奈演じる仲居のお京ちゃん。万年さんはお京ちゃんに惚れている。
この旅館には都家かつ江、藤木悠の使用人たちがいる。
次平の馴染みの店は小料理屋の辰巳屋。この女将役に淡島千景。
森繁さんと淡島さんの安定の名コンビですがやっぱり『夫婦善哉』が最初で最高かな。ちなみに淡島千景は唐崎夜雨が古今東西一番好きな女優さんです。淡島千景は宝塚歌劇団出身、草笛光子と淡路恵子は松竹歌劇団出身。むかしの映画女優の中にはレビュー出身者が少なくない。
この辰巳屋には、上野界隈の旅館の番頭たちが顔をみせる。伴淳三郎、多々良純、若宮忠三郎ら。
予約なしでの旅人も少なくないから番頭さんは店先で客引きをする。いまのご時世だと客引きはあまりいい印象を与えないかもしれないが、達者な語り口でお客さんを引き寄せるのは一種の芸だなと思う。
森繁久彌は芝居っ気の強い人情喜劇タイプで、伴淳三郎は東北なまりのあるとぼけた味のある喜劇人で、フランキー堺は体を動かして笑いをとるスラップスティックな喜劇人。
フランキー堺はジャズ・ドラマーだけあってリズミカルでもある。劇中ロカビリーを披露するシーンは必見。
上野界隈にはカッパと呼ばれる客引きをする集団がいてそのリーダー役が山茶花究。
カッパは客引きばかりではなく、旅館の女中の住み替えも斡旋するようだ。もっともまともな斡旋ではなさそうで、どこに売られていくのか知れたものではない。
柊元旅館に長野の山田紡績の女工さん御一行が宿泊にみえる。この寮長に淡路恵子。番頭次平とこの寮長さんは過去になにやらあったような。
この女工さん御一行の保健の先生に浪花千栄子、班長に野村昭子。
修学旅行生の中に、常田富士男と市原悦子の顔が見える。「まんが日本昔ばなし」の世界だ。引率の先生には藤村有弘や左卜全。
かおぶれだけ聞いても賑やかというか騒々しくなってきそうです。
脚本は八住利雄。彼は私淑する作家・山本夏彦の義兄(姉の夫)である。そして増村保造監督作品などの脚本家の白坂依志夫の父上でもある。