『更年期ロス100万人』の真実 わたしは38歳の時、職場の更年期差別を経験した
更年期って何?
その答えを知ったのは、わたし自身が38歳の時に『若年性更年期障害』と診断され、治療をはじめたことがきっかけでした。
20代、30代の方なら『母親』が口癖で「更年期なのよ」と言っていたから、言葉は知っていたとか、いつも具合が悪そうだったとか、『母親』を見てなんとなく『症状』は知っていた。
『なんとなく更年期を知っていた』が大半ではないでしょうか🤔
ですが、更年期って何?いつかわたしも『母親』みたいな辛い思いをしないといけなくなるのかな?
40代になったら、更年期症状が出て、カラダに不調がおきるのかな?と不安になってしまう人もいるのです。
不安になる原因は、『更年期の知識』がないからです。
SNSで出回る情報に振り回され、余計『更年期障害』になりたくないと思うから不安になるのでしょう。
わたしはそんな不安な気持ちになる前に『若年性更年期障害』と診断されました。
「いやいや、わたし更年期じゃないわよ」
と言っている場合ではありませんでした。
わたしの場合は、『若年性更年期障害』を受け入れなければ、『子宮体がん』のリスクが同じ年代に比べて倍になる。
と婦人科医に言われたから、全てを受け入れたのです。
『若年性更年期障害』と診断され、治療を続けて9年目。
同世代よりも一足早く『更年期障害』と向き合ってきたからこそ、わかること。
わたしが経験した『更年期』と日本が抱える闇『更年期ロス』の現状についてお話ししたいと思います。
◾️ある日それは突然やってきた
38歳当時のわたしは、外資系化粧品メーカーに転職したばかりでした。
勤務先も最寄駅から約1時間の場所で、ここだけの話『苦手』な某百貨店勤務でした。
入社して、最初の不安は『苦手』な某百貨店に配属になってしまったことでした。
化粧品業界に20年就業し、首都圏のほとんどの百貨店を渡り歩いていたわたしは、『居心地のいい』百貨店と『居心地の悪い』百貨店を経験しているからこそ、ものすごいストレスを感じていたのです。
そして、カウンターマネージャーと年齢も近かったこともあり、最初は仲良く仕事ができていたのですが、どうもカウンターマネージャーはわたしの過去のキャリアを知り、そこからパワハラがはじまりました。
当時のわたしは、『統合失調症』の母と二人暮らしの母子家庭でした。
大黒柱のわたしは、会社員だけの給料だけでは生活が苦しく😔昼は会社員、夜は銀座のホステスと二足の草鞋生活を送っていました。
30歳からはじめた銀座ホステスの仕事。
この生活をはじめて8年間で、わたしのカラダは気づかないうちにおかしくなっていたのです。
◾️生理がこない
毎月、生理前になるとPMS症状が出ていました。
PMS(Premenstrual Syndrome、月経前症候群)とは、月経の始まる数日前から現れる身体的および感情的な症状の総称です。
30代女性のカラダの悩みの1つに挙げられるのが、PMSです。
特にわたしの場合は、イライラと不安、うつ気分が交互に襲ってきました。
そこに追い打ちをかけるように、上司のパワハラがぶつかってくるわけです。
わたしの性格上、一度キレると暴走することをわたし自身がいちばんよく知っていました。
なので、パワハラモラハラに対して、ぐっと我慢し続けていたのです。
何を言われても…です。
銀座ホステスでの仕事でも同じです。
心無いお客様からの言葉にも、ぐっと耐え続けてきました。
そして、そういえば🤔生理がこない…。きっとこれは『ストレス』でこなくなったんだろうと思っていました。
そのうちきっと、周期が遅れて生理が来ると信じていたのです。
ところが、2週間、3週間…2ヶ月、3ヶ月と全く生理が来ません。
◾️26歳の時に『慢性疲労症候群』を発症
実は、26歳の時に『慢性疲労症候群』を発症し、会社をリストラされた経験があります。
完治するまでに5年かかったのですが、その時もまたPMS症状が酷かったのと、生理周期の乱れで、2ヶ月3ヶ月生理がこないことは当たり前でした。
わたしを救ってくれた『精神科医』の言葉には『婦人科に行きなさい』がありませんでした。
ストレスが原因で『生理』がこないだけと思い込んでいたのでしょう。
なので、その経験から38歳当時のわたしは『慢性疲労症候群』が再発したのだと思ってしまったのです。
という理由から、『婦人科』に行くという選択がなかったのです。
◾️毎日襲ってくる『上半身』ののぼせと『恐怖と不安』
今まで、上司のパワハラにぐっと耐え続けてきたわたしですが、仕事でミスをするようになりました。
そのミスが原因で、上司から叱られることも増え、『またミスをしたら…』という不安と恐怖が、襲ってくるようになりました。
職場に行くのもだんだんしんどくなっていきました。
負けず嫌いのわたしは、この状況を乗り切りたいと思い、『売上実績を作って、上司を見返したい』と考えるようになったのです。
何を言われようが、ミスをしようが、『日本一』になればいいと。
そうしたら、パワハラやモラハラもなくなるんじゃないかと考えたのです。
自分のカラダの声を無視し続けていた結果、ある日上半身にものすごい『のぼせ』がおこるようになりました。
わたしの場合ですが🤔
あともう少しで日本一になる…。
その前に『精神科』に行こう!という間違った選択をしてしまったのです。
◾️精神科医から言われた一言
「これ、鬱じゃないよ?慢性疲労症候群でもないよ?」
と診断され、わたしはハッとなりました。
「実は、生理がもう1年近くないんです」
流石に精神科医も呆れ顔です😭
「婦人科行った?多分そっちだと思うよ」
当時のわたしは、婦人科=避妊薬をもらいに行くところ😂という考えの持ち主でした。
最低です😂
26歳の時も実は、精神科医に「婦人科で一度検査しなさい」と言われ、検査を受けていました。
その時に婦人科医に言われたのが🤔
「卵巣機能が低下しているから、もし子供が欲しいと思うのであれば、今しかないよ」
わたしは26歳の時点で卵巣が『不妊治療』レベルまで機能低下していたのです。
精神科医は26歳の頃からずっとわたしのカラダを診断してくれていました。
慢性疲労症候群を発症した時に、精神科医がわたしに話してくれたのは
わたしの欠点は『精神が細い』
田舎生まれの田舎育ちのわたしにとって、都心という街で生きていくには『弱すぎる』ということなのでしょう。
その心を鍛えることができたのは、『銀座』という街でホステスとして10年叩き込まれた『義理と人情』という教えでした。
◾️覚悟を決めて婦人科に行く
覚悟していました。
生理が1年近くこなくなってしまった。
自分のカラダがどうなっているのかさえ、もうわからなくなっていたからです。
鬱でもない、慢性疲労症候群でもない、高血圧でもない、肝硬変でもない
じゃぁこれはなんだ?
鬱じゃなければ、この不安や恐怖はどこからきているのかが全くわかりませんでした。
ストレスだと思い込んでいましたから。
婦人科で、現状の自分のカラダのこと、職場のこと、精神科医に言われたこと、全て話しました。
ホルモン検査と内診台での検査を受けました。
自分のカラダのことをちゃんと知りたいとその時思いました。
何を言われても『全てを受け入れよう』と決めていましたから。
◾️診断結果は『若年性更年期障害』
聞いたことがない名前でした。
若年性?
わたしは更年期?
頭の中がパニックでした。
38歳ですけど?なんですか?更年期ってなんですか?
婦人科医が悲しげにわたしの顔を見ながら
「こどもは諦めましょうか」
と言ってきました。
その相談をしに婦人科に来た訳ではありません😂!
その前に、38歳当時のわたしは『更年期』という言葉は知っていましたが、『更年期』がどのような症状なのか、まったくわかりませんでした。
そして極め付けは…
「30代で更年期になると、子宮体がんリスクが同世代の人の2倍も3倍も上がるから、治療しないと大変なことになるよ」
この言葉で、わたしは今カラダでおきていること全てを受け入れました。
◾️抗うことは、『更年期症状』を悪化させるだけ
ホルモン検査の結果、わたしのホルモン数値は😭
『閉経』したのと同じレベル
38歳で骨粗鬆症、子宮体がん、高血圧、動脈硬化などなど…
50代からリスクが上がる病気全てと向き合わなければならなくなりました。
同世代の女性の大半が「わたし、症状が出ていないからまだ更年期じゃないわ」と言ってきますが、それ間違っています。
「生理があるからまだ大丈夫」
「ホットフラッシュもないから、まだ更年期じゃない」
更年期は、すべての女性が人生において必ず通る道です。
わたしは、抗うことを一切しませんでした。
全てを受け入れて『治療』に専念することにしたのです。
◾️会社は何も理解してくれない
「若年性更年期障害と診断されました。」
会社にそう伝え「退職願」を出しました。
これ以上、カラダを酷使し続けリスクを上げる職場にいたくない。
という意思表明をしたのです。
実は、「退職願」を出す前にわたしは、自分の願いを叶えました。
実績を作り、全国一位の美容部員になる
その願いを叶えたから「退職願」を提出したのです。
もちろん、本社からは
「人事異動を考えてあげるから、あと3ヶ月耐えて欲しい」
と言われました。
ですが、わたしの気持ちは変わりませんでした。
「更年期は病気じゃないし、治療すればいつも通りの仕事ができるだろう?」
男性上司はわたしに説得するように話し続けました。
女社会の化粧品業界なのに、『更年期』に対する理解は当時低く、治療すれば治るの一点張りでしたから。
その考え方に疑問を抱きました。
会社の仕組みを変えなければ、『更年期ロス』は減ることはないと思います。
わたしは、もう会社員として働く気はない。
その思いは変わりませんでした。
男性上司からも「起業?馬鹿げたことを考えているな」と笑われました。
その悔しさをバネに、わたしは起業したのです。
◾️更年期の知識を普及させなければ、日本の未来はない
起業して9年目。
「若年性更年期障害」と診断され、9年間わたしは『更年期』と向き合ってきました。
それは、自分のカラダとしっかり向き合っている証拠だと思います。
年齢を重ねるにつれ、今まで経験したことがない『症状』も出てくることがあります。
『症状』が出て、慌てるのではなく
カラダの声だと思って、しっかり受け止める
これがとても大事なことだと考えるようになりました。
自分の経験が今、多くのエステティシャンに「更年期」についてお教えできるのも、何かの縁かもしれません。
そして、素晴らしい助産師との出会いに。
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