石井華子|ダイヤモンドジュエリーネイル💅f'bloom💎(エフブルーム)オーナー

都内で3店舗ダイヤモンドジュエリーネイルができるネイルサロンを経営しています。 遠回り…

石井華子|ダイヤモンドジュエリーネイル💅f'bloom💎(エフブルーム)オーナー

都内で3店舗ダイヤモンドジュエリーネイルができるネイルサロンを経営しています。 遠回りもしてきましたが、これからはより多くの女性が輝くためのお手伝いがしたいと思っています。 2025年はクルーズ船でダイヤモンドジュエリーネイルの施術がしたいです!

最近の記事

サロンのこと|異業種とのコラボレーションについての考察②

飲食はどうだろう? とある社長様に 定食屋さんのアイドルタイムに何かしよう!という お話しをいただいたことがあります。 (フランチャイズが結構数あるお店でした) ですが、これは実現させることができませんでした。 当時、食べ物とネイルを 結びつけることができる柔軟な発想が 残念ながら浮かばなかったんです。 私が最初に選んだのがBarとのコラボレーションだったので いけるのかなと思ったのですが、 完全なる飲食となるとなかなか難しかったです。 Barとのコラボレーションの実態

    • サロンのこと|異業種とのコラボレーションについての考察①

      振り返ると、 わたしがやってきたネイルのお仕事は 多岐に渡ってきました。 それぞれに思うことがあったので 覚え書きのように 書いてみたいと思います。 サロンのこと1回目は 異業種とのコラボレーションについて 書いてみたいと思います。 まつエクサロンはどうだろう? ネイルサロンがコラボレーションするのに 適した業種って何だろう?と すぐに思い出すのは 「まつエク」でしょうか。 異業種と言って良いのかは分りませんが アイリストは美容師しかなれないので、 異業種と今回は呼ばせて

      • ダイヤモンドジュエリーネイル

        ネイルにダイヤモンドをアート?!みなさんは、 【ダイヤモンドジュエリーネイル】 という言葉をご存知ですか? わたしのサロンでは約12年前から導入しているアートですが 約10年前に勝手に名前をつけました。 だから、まだまだご存知の方は少ないはずw 他のサロンでは、ほとんどできないこともあり わたしのサロンではイチオシメニューです! ネイリストもこの技術がやりたくて集まっているので 器用なネイリストが揃ってるんですよ!! ダイヤモンドジュエリーネイルはその名前の通り、 本物の

        • わたしのこと10|引越し9回、7つの店名

          過去にはお店がたくさんありました 新橋でBar de Nail f'bloomというお店で開業した後、 現在のわたしのサロンはネイルサロン3つです。 新橋店 f'bloom Corrantil.(コルアンティ) 白山店 f'bloom L'ecrin(レカン) 表参道店 f'bloom Prellia(プレリア) ですが、実はこれ以外に4つの店名がありました。 店を作った理由も、 店がなくなった理由も、それぞれ。 発展・縮小・閉店・心機一転・移転チャレンジなど 実に様々で

          わたしのこと9|開業後、かなり痛い目を見た

          毎日胃が痛い… オープンしたのが12月ということもあり お客様はご紹介もあり たくさんの方が来てくださいました。 でも お客様が来てくれるか不安で胃が痛く… お客様が来てくれても緊張で胃が痛く… 今にも倒れそうなのに楽しくて。 なんともいえないふわふわとした 12月だったと思います。 救ってくれたのは、 一緒にお店に立ってくれた友達の力。 どんな時でも安心感がありました。 支えてくれたことは今でも感謝しかありません。 でも、やりたかったことができない テーマは「Bar

          わたしのこと8|Bar de Nail f'bloom

          やりたかった店 「どんな人に来て欲しい?」 という質問に素直に答えたお客様像は 「私のような疲れたOLさん」 でした。 じゃあどんなお店だったら喜んでもらえるんだろう? 行ってみようかなと思ってもらえるんだろう? そう思った時に 《お酒とネイルが好きな自分が理想のお客様像》 だと気づき そこを突き詰めていくことにしました。 はじめてのネイルサロン でもね、 ネイルの勉強をしていたのに 実は、ネイルサロンに行ったことはありませんでした。 そして、当時はネイルサロンも少なか

          わたしのこと 7|開業準備・睡眠2時間生活

          お金を借りてきなさい 短い時間でしたが、会社を辞めた後 通常のサロンワーク以外にも リゾートネイリスト、派遣ネイリスト プチスクール講師、友達とプチ開業、 チップ制作バイト、出張ネイリスト、 ボランティアネイル など色々なネイルの仕事をやっていました。 その上で、もうネイリストは辞めようかな・・ そんな風に思っていた時期だったので 何も失うものもないし、いいんじゃないかな、 「じゃあやってみようかな・・・」 そんな考えで開業をしてみることにしました。 それを伝えると、母は

          わたしのこと 6|新橋で開業を決心!

          わたしの生まれ育った街は、 サラリーマンの聖地といわれる東京都港区新橋というところです。 駅前のSLとTVのインタビューで有名なところなので このあたりが出身というと 「どこに家があるの?」とよく言われました。 駅から1分、烏森神社の真裏の路地、 自宅はビルの3Fにあり、下は飲食店が入っている・・・という 子どもが育つにはあまり適していない環境だったかも知れませんが わたしはこの街が好きでした。 私が小学生の頃 「なにもしないより、した方がいい」という 祖母のススメで、母は

          わたしのこと 5|ネイリストになります

          会社での最後の挨拶 最後の挨拶の機会をいただいた時、 「ネイリストになるために退職します、ありがとうございました」 と頭を下げました。 顔を上げた時、 ほとんどの人の顔がぽかんとしている事実に気付いた瞬間でもありました。 当時ネイルサロンは当たり前でなく、 特別な人が行くところというイメージで店舗数も多くありませんでした。 ネイリストという職業もほとんどの人に知られていませんでしたし、 ましてや、大企業の人事部をやめて 訳の分らない仕事に就くというわたしのことを それこそ

          わたしのこと 4|敷いてもらっていたレールから降りる決心

          うつ病になっちゃったかも? 入社してすぐに勉強をはじめたネイルの勉強は 忙しい仕事と日常の中で 休学という選択をしていました。 ですが、ある日 「このままでいいのかな?」 とふと思ったのは体調が悪くなってきたから。 今にして思うと軽度のうつ病だったと思います。 ですが、信じられないかも知れませんが 「うつ」という言葉がなかった時代。 元々ストレス耐性は凄くあるし、タフ。 のんきな性格だったのもあったので 自分自身もなぜ気持ちが前向きにならないのか、 分りませんでした。

          わたしのこと 4|敷いてもらっていたレールから降りる決心

          わたしのこと 3 | 新人類といわれた新入社員時代

          1年頑張ったら辞めてもいい 有り難くも入社させてもらった会社は 当時社員1.5万人超の大手ハウスメーカー。 でも、 「インテリアコーディネーター」を目指していたのに 人事部採用教育課に配属が決まり、 入社前に辞退しようとして母に諭されることに。 そこで 「1年頑張ったら辞めてもいい」と言われたため 素直に4/1の入社式へ出席することにしました。 親の愛情は黒 髪の毛の色は退色しやすいのもあり 大学卒業後の3月末は綺麗な茶髪でした。 今でも覚えているのは 3/31帰宅した

          わたしのこと 2|大学ではアルバイト三昧時代

          大学ではアルバイト三昧 選んだのは女子大。 当時はブランドのバックを通学に使うのが当たり前で 華やかな友達がいっぱいでした。 サークルへのお誘いもたくさんあったのに 入学したばかりの時はどこにも属することはありませんでした。 大学に入ると、学校の勉強は楽しかったです。 デザインや美術など、専門性の高い講義が多く とても興味深かったから。 座って勉強するだけではなく、手を動かす授業が とても性格にあっていました。 ですが、 家でのトラブルから逃げ、見て見ぬ振りをするために

          わたしのこと 1|小学生~高校生

          社長という今のわたししか知らない方に わたしがどんな人間か知ってもらいたいなと思い noteに記録したいと思います。 どんなに頑張れない時期があったとしても やる気になったら誰でも社長になれるし、 ダメダメでもちょっとしたきっかけで変われたり、 諦めないで頑張ったら願いは叶うっていうことを 不器用なわたしの記録から見つけてもらえたら嬉しいです。 学生時代のわたしは「モブになりたい」と思っていました 小学生の頃は、手のかからない、そこそこできる なんでもそつなくこなせる子ど

          自己紹介|はじめてのnote

          はじめまして、石井華子です。 ネイルサロン経営・サロンワーク・スクール事業・メーカーのインストラクターとして指導・・・、等のお仕事をしています。 過去には、ネイリストを辞めようと思ったこともありました。 経営者と技術者は一緒にできないと言われたこともありました。 ですが、37歳の時に海外に講師として赴任した際階段から落下、走馬灯を経験。 両腕と顔を骨折を経験し、生きてて良かったと思うものの、 技術者として働けなくなる可能性に直面。 その後復活するも 40歳で妊娠をした時には