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鬱陶しい正論

もう私にとって過去の人間が、
何の関係もなく、
今という舞台の上で、
唐突に喋り始めたら、
「君は、お呼びでない!」
と怒鳴って、
舞台からひきずりおろす。

疲れているのか、
善意の先輩すら、
鬱陶しい。
「興がさめた、幕おろせ!」
そう怒鳴りそう。

他人の善意こそ取り扱い注意。
「今、お呼びでない」
そのことを遠回しに言ったとて、
厚かましく、鬱陶しい。

確かにそれは正論だ、
君が正しいとする、
文化圏においては。
その正論は、
暗に私の蛮行を難詰する。

「ただなんとなくそうしたのだ」
そのことで誰かが私を心配している。
「お願いだ、今は関わらないでくれ」
気疲れ故に過去にした人間たちが、
ありがたいことに私を心配している、
と忠実なる文明擁護者がのたまう。
心配することは正しいことらしい。
こちらの事情も知らないで、
「あなたの安否を心配しています」
心配されたり案じたり、
それがために心を病んで、
面倒くさくて、鬱陶しくて。
「君の言っていることは確かに正しい。
 私は先方に無事であることを伝えるべきだろう。
 だが、今はそれすら億劫だ。
 君の言っていることは確かに正しい。
 だが、今の私のカラダは、
 それを誤りだと言っている」

もういいではないか、
もういいではないか。
今更正しいことを言って、
私がまともになるなど、
考えられないのだから。

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