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新蕎麦を妄想する
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待ちに待った新蕎麦のシーズンです。今週はあなたが知らない蕎麦のお話を妄想します。
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ダッタンソバ
現在日本で主に食べられている蕎麦は、チベット南東部の野生種にルーツを持ちます。その原種を含むソバ属には私達が食べているソバの他に二種類あります。
そのひとつがダッタンソバ、別名「苦ソバ」です。このソバは、子実に我々が食べている蕎麦の60~100倍のルチン(フラボノイドの一種)を含んでいるので、ものすごく苦いのです。ルチン自体は、血管の状態を正常に戻す働きがあり、機能性成分に指定されているので悪いものではありません。ただ苦い!
現在、日本では「満点きらり」という品種の他にいくつかのダッタンソバが商品化されていますが、いずれも品種改良されて苦味は少なく、食べやすくなっています。
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宿根ソバ
もう一種は宿根ソバ、別名「シャクチリソバ」です。このソバはその名の通り宿根草で、種子だけではなく地下茎でも栄養繁殖します。成熟した実は自然に落ちて散らばる性質なので、実を収穫することが難しく、外国では主に葉を食べる野菜として扱われています。
日本には昭和の中ごろに、漢方薬の材料にするために中国から種子が持ち込まれましたが、本格的に栽培されることはなく、現在は各地で自生するに留まります。
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江戸のソバキリ
日本では縄文時代から食べられていたソバですが、室町時代までは麺としての蕎麦ではなく、粥やソバガキ(現在のソバガキは挽いて作るが、当時は臼と杵で突いた)として食べていたと考えられます。安土桃山時代に石臼が普及し、「ソバキリ」という現在の麺である蕎麦が、信州・甲斐あたりで誕生したと思われます。
尚、このソバキリに限らず、当初からソバという作物の発展と伝播には仏教寺院が密接に係わっています。
ソバキリは江戸で洗練されていくのですが、元は京の寺院から伝えられました。文献上、江戸にソバキリが初めて登場するのは、常明寺というお寺です。ただし、この寺は所在地がはっきりしておらず、おそらく神田近辺だろうと言われています。かんだやぶそばと何か関係があるのかも知れません。
確かな記録として残っているのは、寛永寺(台東区)と深大寺(現・調布市)です。尚、濃口醤油が登場するまでは、垂れ味噌(ゆるく溶いた味噌)で和えて食べていました。
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信濃は蕎麦料理
料理の世界には古くから「信濃」を冠する蕎麦料理があります。例えば、小麦粉の代わりに蕎麦粉を使った揚げものを「信濃揚げ」といいます。
「信濃蒸し」なら、白身魚や椎茸、銀杏などと、茹でた蕎麦を入れた茶碗蒸しです。
一塩の白身魚に茹でた蕎麦を巻いて蒸し、八方地の吸い地を張れば「信州蒸し」です。
現在ではあまり作られなくなりましたが、「信濃煮」という料理もあります。これは、大原木蕎麦(茹で蕎麦を3cmに切り揃えて、細切り海苔で巻いた物)を、魚種の指定はありませんが、白身を中心とした煮魚の前盛りとして盛り合わせ、大根おろしや山葵、柚子などを添えたものです。
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※大原木蕎麦の「大原木」とは、京都・大原の大原女と呼ばれる女性達が、頭の上に乗せて売り歩いた「薪」のことで、海苔で束ねた蕎麦をその薪に見立てて「大原木蕎麦」といいます。
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もうひとつ、現在ではあまり作らなくなった料理に「金麩羅」があります。これは小麦粉の代わりに蕎麦粉で作る天麩羅で、信濃揚げの一種です。信濃揚げと区別されているのは、金麩羅は椿油で揚げる決まりだからです。江戸の天麩羅は胡麻油で揚げるので風味が違います。
「金麩羅」という名前は、蒔絵師が蒔絵に使う金粉を集めるのに蕎麦粉を使ったからと言われています。年越しそばの由来と同じですね。
現在でもたまに料亭などで出されることがありますが、たいていは小麦粉に卵黄を多めに加えて色を付け、関東なら胡麻油、関西なら菜種油などで揚げています。
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信濃は新蕎麦
現在は、蕎麦を使えば何でも「信濃」と呼びますが、本来は新蕎麦を使った料理にだけ「信濃」を冠しました。 ただし、ここで言う「新蕎麦」は、現代の新蕎麦の感覚ではありません。
昔はソバの実を殻から取り出した後、蕎麦殻を焚くまでの期間が新蕎麦でした。この「蕎麦殻を焚くまで」という極めて曖昧な期間の決め方から分かるのは、昔のソバは換金作物ではなく、自家消費用作物だったということです。自分の家でなければいつ蕎麦殻を焚いたか分かりませんからね。
現在は、「信濃」を冠するような料理は料理屋で出す商売料理なのですが、昔は自家消費かせいぜい同じ村の中で収穫したソバを使っていたので、いつ蕎麦殻を焚いたのか知ることができました。ということは、「信濃」料理は、蕎麦が採れる地方限定の料理だったということです。
しかし現在は、どこの料理屋でも、信濃を出すことができます。京都や大阪、東京の料亭でも今頃になると信濃を出します。新蕎麦とは、たんに、今頃に出回る蕎麦なのです。
町の蕎麦屋さんでもそうですが、10月から年内ぐらいまでを何となく「新蕎麦」と呼んでいます。もちろん今年採れたそば粉ではあるのですが。
産地と消費地が遠く離れた現代では、もはや農家がいつソバ殻を焚くのか知る由もありません。そもそも蕎麦殻をどう処理しているのかさえ知りません。
産地と消費地が遠く離れたのは、蕎麦が救荒作物ではなくなった証です。
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蕎麦口上
最後に、福島県に伝わる「蕎麦口上」を紹介しておきます。これは会津地方に昔から伝わる会津漫才の流れをくむ口上で、集落や個人によって口上の文句は様々です。会津地方では祝言の宴席で披露されました。
今で言えば披露宴の余興なのですが、祝言の宴もたけなわのころ、村の蕎麦打ち名人が、蕎麦にネギを一本突き立てた椀をお盆に乗せて登場し、朗らかに、立て板に水のごとく口上を語り、出席者に蕎麦を勧めます。
ここに記すのは、会津の長谷川吉勝氏(故人)が創作し、ご子息の徹氏が受け継いだ「徳一蕎麦口上」です。
※徳一は奈良時代から平安時代前期にかけての法相宗の高僧で、空海と親交があり、最澄と三一権実諍論という宗教論争をしたことで有名です。しかし、蕎麦とどういうかかわりがあったのかは不明です。
《徳一 ソバ口上》
トザイ東西♪ 飲めや歌えのおん客さまをとめおきまして、まことに失礼さまにぞんじますが、手前は陸奥会津磐梯山、猫魔、腰岳山、古城峰と続く山裾の会津仏教文化発祥の地恵日寺の徳一蕎麦屋の奴なり。先ず、蕎麦の前提より申し述べましょう。
昔千三百年前、奈良、平安と続く仏教文化の盛んなりしころ、徳一という坊さんあり、粗衣粗食にあまんじ、五年間にわたり最澄空海などと論争し、三一権実諍論を展開せしも都を去り、筑波山を経てこの地に来たり。
布引と 消えて来たれば 更級の 月の輪わがたに つくと思いば
当時、病脳山はじめあたりの山々が爆発ありて、地域の人々は生活に苦しんでいた。穀物はとれず、作物は実らず。そしてこの地に清水寺を建立し、先ず食物からと蕎麦を作り、その場をしのぎ住民を救ったのである。
これ徳一蕎麦のゆえんである蕎麦屋の奴。
蕎麦の作法は知らねども、年に三度の土用あり、中の土用に種を撒き、三日四日で芽を出し、生え立ちましては茎葉が繁る、十日二十日で花が咲き、やがて秋ともなりぬれば、花が散ったあと、一角二角三角と帝立ちまする。
帝と申すは、昔大上さまをさして申すなり、一条通りは大納言、二条通りは中納言、三条通りは三納言、四条通りが平納言、五条通りの段をかたどりまして、五段の蕎麦をうりかけますればこの奴。
この家の祝言ともあるなれば、花婿さんや花嫁さん、金の屏風にお腹ばてれん、敦盛、維盛、味のよいのが義経公、器量のよいのを玉織姫と、彼方此方のおんあいに売りかけまするはこの奴。
一つひまなしこの奴、
二つ蓋をばぽんととり、
三つ見事に盛り重ね、
四つ他の村までも、
五つ何時でもはやる蕎麦、
六つ昔より、
七つ名代の蕎麦なれば、
八つ屋敷回りにとれたる蕎麦、
九つこの家の婚礼であるなれば、
十で父さん母さんの祝の蕎麦、
何がなくても葱の刺身でむしょうやたらとあがらんしょ。
売れるは売れるは、買いましょう買いましょう
一杯が二杯、三杯が四杯五杯と度重なれば、天の岩戸もおし開く。
会津では蕎麦をハレの食事に位置付け、愛し継承してきました。しかし、今やそば口上は絶滅寸前で、「会津そば口上伝承会」の皆さんが守り続けておられます。
蕎麦にはうどんと違い、救荒作物としての歴史があります。現在、蕎麦が名物と言われている地域は、過去に一度ならず蕎麦に命を救われているはずです。だからこそ各地で愛され、そば口上のような各地の風土に根付いた文化を生み出しました。
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おまけ
おまけで大阪の珍しい蕎麦を紹介しておきます。大阪の堺市堺区には「熱盛りせいろそば」を出す店が数軒あります。この蕎麦は文字通り温かいせいろ蕎麦を熱々の蕎麦ツユでいただきます。
全国的にも珍しい、ふにゃふにゃに軟らかいフワフワの蕎麦なので、初めて食べる方は驚かれます。しかし、食べてみると新しい蕎麦の世界が広がります。食べ終われば、和風玉子スープのような蕎麦湯も楽しめますよ。
熱盛りせいろを食べずして、真の蕎麦好きとは言えません。興味のある方は、阪堺電車「宿院駅」近くの元禄8年(1695年)創業の老舗「ちく満」さんで是非試してみて下さい!
今日は新蕎麦を食べませんか?
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勝手にご飯映画祭④は、リオネル・ジョスパン元フランス首相の母の実話から生まれた感動作「92歳のパリジェンヌ」のリオレ(riz au lait)を妄想します。
▶なぜ リオレなのか?
▶老いるとは?
▶自分らしく人生を終えるとは?
▶その時、家族に何ができるのか?
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