「鬼も十八、番茶も出花」 食のことわざ④
昔から「暑さ寒さも彼岸まで」と言います。もうそろそろ暑さも峠を越えると信じて耐えるこの頃です。今週は時代遅れのことわざを紐解いて妄想する「食のことわざ」の四回目です。
男子、厨房に入らず
もはや時代遅れも甚だしいことわざです。「男は料理なんてしてはいけない」という意味だと言われていますが、本来の意味は違うようです。
このことわざは「君子、庖厨を遠ざく」という孟子の言葉が基になっています。君子とは高位の人・高官のことです。庖厨は厨房です。
孟子が言ったのは「調理のために殺される動物たちの断末魔の叫びを聞いてしまうと、慈愛の心が深い君子は料理を食べる気をなくすので台所に近づくな」という意味です。孟子にはジェンダーハラスメント的な意図は毛頭なかったということです。
いつジェンハラことわざになったのか?
では、いつジェンハラ的な解釈に変化したのか? 手がかりは少ないのですが、「厨房」という単語は18世紀の中国の書物に初登場します。日本では明治になってから一般化します。次に「君子」が「男子」に変化している点です。中国では男性が料理するのは特別に珍しいことではなく、抵抗感もないようです。このようなことから、おそらく明治以降の日本でジェンハラになったと思われます。
日本の住宅事情
江戸時代に建てられた武家屋敷や、大きな商家、庄屋や名主などの裕福な農家には使用人がいたので、「男子、厨房に入らず」なんて言われなくても、主人が厨《くりや》で調理をすることはありませんでした。
では庶民はどうでしょうか? 長屋のような典型的な庶民の家は、厨(台所)と呼べる独立した部屋はありませんでした。庶民の家では出入口(玄関と呼ぶ様式も立派な家屋だけにありました)を入ってすぐの土間に竈があり、その後ろに一段高い座敷または板の間(小上がり)がありました。
これを今風に言えば、玄関開けたらダイニングキッチンです。家に帰れば否応なく厨を通るわけですから、「厨房に入らず」なんて台詞が生まれるはずがありません。
貧富にかかわらず、このような生活様式は、概ね明治維新後も維持されます。建前上、明治4年の解放令によって身分制度は無くなったのですが、貧富の差は無くならなかったからです。
台所はいつから?
大正時代になると、都市部では土間に代わって座敷の一角に流し台を備え付けたワンルーム方式がチラホラと登場します。その場合でも食べるのは同じ部屋の中なので、これまた玄関開けたらダイニングキッチンでした。
一方、貴族や商人などの富裕層には洋風家屋が流行ります。いわゆる「洋館」です。このような家では独立したキッチンからダイニングルームに使用人が料理を運ぶようなライフスタイルです。
この頃には、貧富の差に憤りを感じる者や、嘆く者が増えてきます。
あの大きな洋館に住んでいる家庭では、使用人が調理して、別の使用人が運んでくれる。家長たる主人はキッチンを通り抜けることもないんだろうな。と言うやっかみが生まれます。
「男子、厨房に入らず」は、ジェンハラなどではなく、庶民の憧れを含めた揶揄だったのではないでしょうか。
公団住宅
実際には、洋館で使用人が料理を運ぶような生活が見られたのはごく短い期間でした。太平洋戦争で多くの都市が焼け野原になったからです。
戦後、衣食住の中で最も復興が遅れた「住」が大きく前進したのは、昭和31(1956)年、大阪府堺市に日本初の公団住宅である金岡団地が誕生してからです。洋式トイレ、金属の玄関ドアにシリンダー錠、そしてステンレス製の流し台を備えたダイニングキッチンが採用され、洋風集合住宅がブームになります。以降、一戸建ての住宅においてもダイニングキッチンは積極的に採用されます。ここでもやはり庶民の住宅はダイニングキッチンなのでした。
どうやら、【厨房】という言葉の誕生以降に、キッチン(台所)に入らない男子が存在したのは大正~昭和初期のごく短期間だけだったようです。
これらのことから、貧富の差による期間限定のやっかみや憧れだった「男子、厨房に入らず」は、戦後の経済成長で貧富の差が気にならなくなり、ジェンダーハラスメントに仕立て上げられた。これが真相だと筆者は思います。
現代では「男子、厨房に入らず」なんて言うと、ジェンハラどころか、モラハラと言われかねません。もはや死語なのでこのまま忘れられるでしょう。
鬼も十八、番茶も出花
このことわざも中々ひどいことわざです。先ず「鬼」です。これは「鬼のように器量が悪い娘」のことです。ルッキズムです。心が痛むほどの悪口ですね。
番茶も出花
「番茶」は夏以降に収穫した三番茶・四番茶、来年のためにお茶の木の枝を整形したときに取れた茶葉、煎茶の製造工程ではじかれた大きな葉などで作る下級茶です。カフェイン少なめでタンニンが多いので、すっきりした味わいですが渋みもあります。安いので庶民の普段使いのお茶として人気があります。
そういえば、同じ名前でも関東や静岡では番茶は緑茶ですが、石川県では焙じた棒茶(通常のほうじ茶よりも風味が豊かです)、東北と京都では番茶は下級葉のほうじ茶です。
番茶には玉露や一番茶のような旨味が少ないのですが、それでも湯を注いで出したばかりなら、それなりに風味が良い。これが「番茶も出花」です。
使い方に注意
全部まとめて訳してみると、「鬼のように器量がわるい娘でも、十八(昔の結婚適齢期)になれば、出花の番茶のようにちょっとはマシだ」という意味です。
あまりにもひどい悪口なので、鬼を「娘」に変えたバージョンもできました。ただし、「娘十八、番茶も出花」でも、決して誉め言葉ではありません。間違っても、娘さんがいるお友達に言ってはいけませんよ。
般若
日本で最も有名な鬼女は「般若」でしょう。仏教では般若は悟りを得る智慧のことを言いますが、一般的にしられている般若のお面は、嫉妬に狂う女性の顔です。よく見ると、上半分の目部分は哀しみをたたえ、下半分の口の部分は怒りのあまり裂けています。
ちなみに、般若は女性が鬼に変化する三段階の二段階目(中成)で、第一段階は「生成」、完成形の本成は「真蛇」と呼ばれ、耳が無くなって、目がいっちゃってます。怒りの余り、もはや「聞く耳持たぬ」ということです。
この三面は徐々に理性を無くし、人では無くなる様を表しています。その恐ろしさを山下達郎氏は名曲クリスマス・イブで「嫁は夜更け過ぎに、鬼へと変わるだろ」と歌っています。
鬼女は美女
おそらく、般若のモデルは美しい女性だったと思います。それが嫉妬に狂って理性を失っていく。最初に般若の面を作った彫師は何をしでかして(だいたい察しがつきますが…)、どんな修羅場を経験したのか… 恐ろしやおそろしや… 想像するだけで震えがきます…。
そういえば、野村萬斎さん主演の映画「陰陽師」で、夏川結衣さん演じる祐姫が嫉妬の余りに生成になるシーンがありました。鬼にさせる男が悪いのですが… 今思い出しても実に恐ろしいシーンです…。
鬼女は嫉妬に狂うほど一途で愛情深い、美しい女性だという解釈を付け足してあげれば「鬼も十八」も少しは救いがあると思うのですがいかがでしょう。
今週も最後まで読んでいただいてありがとうございます。
筆者の好きなことわざは「不幸中のWi-fi」です。
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