日曜日の結晶
ひさびさの夜更かしで、朝は辛い。
家族が学校のことで早く出発するため、しゃきっと起きる。昨日食べ損ねた家族のお茶漬けを作る。 作るってほどでもないけど。
夕食にあまらせてあった刺身を乗せて豪勢にしたいと、楽しみにしていたのに寝てしまったのだ。
夜食のために、がんばると言っていたのに、眠ってしまっていた。でもね、眠ってくれると、本当に安心する。
解凍してあった、タラコも添えてあげる。朝ご飯を食べて出かけるのは、本当に珍しいから嬉しかった。食べて寝て、できれば笑って、時々泣いたり苦しんだりして欲しい。親として、それを願う。単純に元気でいて欲しい。
もう一人も起きて、お茶漬けを作るというより、お茶漬けの素をかけて、お湯を注ぐ。刺身は昨日食べてしまったのでなし。今度はお茶漬け用に買おうと思う。
母が買ってくれた、ふくらはぎの刺身はおいしかった。
わたしは、昨日は母にお裾分けをもらった赤飯の残りと、人参のナムルを食べる。ニンニクを利かせすぎているけど、わたしはニンニクが大好きなので、問題なし。でも、さすがにちょっといっつもニンニク食べ過ぎで、にんにく臭いと言われ、汗までもニンニクのにおいがにじみ出てくることがあって、控えていたけど、おいしい。臭いとよく笑われる。飼っている鳥にも影響あるよ、と。
好きな食べ物の順位を考える。
未知のインタビュアーに向けて。
一位 そば
二位 冷凍のブルーベリー
三位 ほやの酢の物
四位 チーズ
五位 干物のにしんを焼いたもの+大根おろし
ってところかな。だんだん渋くなる。豆腐も好きだし、貝も好き。コリコリするものが好き。砂肝とか。
以前はニンニクが一位だった。なんでもかんでも料理にニンニクを使うから消費量は、結構。おおきな500グラムくらいのがゴロゴロ入った、ぶこつ野菜という生協の特売のを購入していた。
そのままスライスして、酢につけておく。すると、数週間後、風味が移った酢はドレッシングでも、焼いた肉に醤油とかと、大根おろし・人参のすりおろし・タマネギのみじん切りとかと、混ぜておいしいタレになった。
塩づけもよくやっていた。
手が臭くなるので、大量生産の時は、家族に委託する。
お母さんの料理が、一番おいしいとよくそれだけは誉められる。誰かのために、ほんとうに役に立っているなと、心底嬉しい。
においを気にするようになったから、ニンニクが生姜になり、最近じゃ凝った事はしていないな。
焼くだけ、ゆでるだけ、それでも自分の料理を喜んでくれる人がいるから、わたしは幸せだ。
一人が出かけていって、残った家族と楽しみにしていた呪術廻戦を二人で鑑賞する。
ストーリーは、もうよくわからない。一期なんて何回も見ている。仕組みがわからない。呪力とか、領域とかの仕組みがわからない。
なんか、サランラップとか、卵とか身近なもので教えてもらえたらわかるかもしれない。
阿保か。
わたしは理解力があまりないので、筋を追うのが苦手だ。
きっと、図式で、だれかに丁寧に解説してくれたら、わかるのだろうけど、悪と善という対立はなんとなくわかる。
にわか、とは言われたくない。
だって、好きなんだもん。
アニメにもどんなに救われてきたことか。
バッタの呪霊が不気味で、滑稽で、でも、こうしないと悪の側も生きていけないんだね、そうだよね。でも、応援する側(高専)に、ぜひ生き残って欲しい。みんな、一生懸命だから。
どちらも、苦しいかもよ?
ああ、だから戦争で、戦略されている、○○を応援しよう!というのも、虐げられている個人に目を向けてしまう。
国家。国家、国民、おおきな単位で考えることが出来ない。みんな、眠り、排泄し、食べる。時間のながれは一定だ。
戦略している国の苦しみもあるでしょう、戦略される側も、十把一絡げにされる個人。
どちらにせよ、戦争で楽しいということはない。
戦争は悲しさと、一部の人が急に裕福になったり、それを甘んじている、自分としては軽蔑したい類の人が、安全な場所で、死ぬために生きている姿を見せつけられたりするものだ。そこから、反骨精神や、平和を願う心が生まれるのが皮肉だ。
もう、一緒に見ているのは呪術だけ。
アニメが二人の共通言語だったけど、ちょっと、わたしの方が冷めてしまったのだ。
見たい作品がたくさんある。好きな声優もたくさんいる。そんなに、オタクレベルじゃないけれど、アニメ作品・制作の裏方・音楽、声優、脚本家、さまざまに敬意をもっている。
声優の声をあてるのが家族は得意で、エンディングで答えあわせして、「あたってるね!」と笑い有っていたのだ。
さめた。冷めてしまった。
アニメに対してではなくて、一緒に鑑賞して共通言語を持つと言うことに。
お互いの関係を修復したいと思う。わたしだけが、ぎこちない感じもするし、あの皿を割った日以来、鬱積したものが徐々に自分から放出されている、微量に毒をふくんでいる、たれながしだ。
わたしから、「垂れ流される」毒は、計量したことないので(線量計などが家庭にはないため)どのくらい、家族に影響しているかわからない。
付ける薬など、人の気持ちに存在しない。
お互いを肯定し、信じること。ただ、そのままを愛すること。それがどうしても、出来ないときがある。
住宅の欠陥部分に、チョークで印をつけるように。家族の、足りない部分に苛立ち、状況を打破することができない絶望に、おちこんでしまう。
呪術廻戦は、五条先生の目が美しく、声が素晴らしく、どうかみんな平和でありますように、みんな助かって、カーテンコールがありますように。みんな、偽夏油も、花御も、漏瑚も、真人さんも。皆、舞台裏で仲良くしていてほしい。チミキャラ系なスピンオフが好きなのはそういう理由からだ。
レンタルの期限が迫っていたため、読んでいない「薬屋のひとりごと」を読んだりしているうちに、うとうとする。朝ご飯たべて眠くなるって、怠けてるみたいで、悔しくて、でも、まどろみは気持ちいいいい。
自分の歌声を吹き込んだ目覚ましのアラームで飛び起きる。
急いで準備して、生活を整える。
ふと、まくらのところに置いてあった、金子光晴の詩集を開く。
数年前、文教堂という書店のワゴンセールで新品の詩集や単行本が全部100円で売り出されていたことがあって、今思い出しても興奮してしまう。もっと、買い占めておけば良かった、後悔。重量に負けたのだ。荷物が重すぎることで、肩こりがひどいのだ。
彌生書房というところで出している、世界の詩というシリーズで、詩集なんて買ったことがなかったけど、山崎ナオコーラさんが、金子光晴と結婚したいくらいすき、と作家の本棚という本で読んだので、選んだのだ。
詩の一部を引用する。
僕、僕がいま、ほんとうに寂しがっている寂しさは、この零落の方向とは反対に、ひとりふみとどまって、寂しさの根元をがっきとつきとめようとして、世界といっしょに歩いているたった一人の意欲も僕のまわりに感じられない、そのことだ。そのことだけなのだ。
自転車に乗る。外は蒸し暑い。札幌はこれから雨予報だ。漫画を返却して、近くでコーヒのおかわりしながら日記を書こうと思っていたのに、財布を忘れたことにきがつく。
家にトンボ帰り。
テレビの前に座っている家族に声をかける。
「午後から、エミューを見に行かない?」
実は、昨日の帰り道、なんとエミューがいる場所を発見したのだ。唐突かもしれないけど、エミューを飼育しているところを見つけたのだ。なんだか幻想的だ。
すると家族はいくいく、と嬉しそうに答えた。
二人で出かけることになるかと思うけど、久しぶりで、外で過ごすことが少ない家族のためになんとか連れ出したい気持ちで、いつも誘って空振りに終わっていた。
だから日記はここでおしまい。
どこで書いているかというと、財布を取りに行って、やはりコーヒーを飲みながら飲食店にて。これから急いで買い物する。書くことが生活の優先事項になっている。
隣の男の人が、ずっとPCに何か打ち込んでるようなんだけど、画面がずっと変わらない気がするんだけど、こっそり見てるわたしも悪趣味だけど、文字をうちこんでも画面が変わらないのは、なんだか不思議で、もちろん、ジロジロ見ているわけじゃないからセーフで。
そういう覗き見防止のやつなんかなーと思う。