声の魔法
[声の魔法その一]
「このお庭は、本当に素敵。わたしが好きなものばかりあるから。」
彼女はご満悦だ。
彼女のお庭は、せいぜい間口は5メートルくらいで、奥行きだって、やっと3メートルくらいの、猫のひたいと言ってもいいほどの狭さだ。
その狭さに、薔薇の木が3本、塀際に植えられている。縁側から見て、左から、真紅と白とピンクの花が、今を盛りとたわわに咲いている。よく枝が張っているので、塀はほとんど見えない。
手前の、縁側の下方には、10個の鉢植えが置かれている。全部ゼラニウムだ。白、ピンク、赤、黄色、紫、オレンジ、そして、絞り模様の混合色、と、色とりどりだ。
薔薇の木とゼラニウムの鉢植えとの間の空間には、ローズマリーの木が、芳香を放っているし、ペチュニアやデイジー、キンギョソウ、ナデシコ、などが、ひしめくように植えられている。
彼女の大好きなお庭は花ざかりだ。
縁側に座って、彼女は、お花の品定めに余念がない。
「薔薇の花には、大きな青虫が付くから、また、乳剤を蒔かないといけないわね。」などど、独りごちている。
「あぁ、わたしは、このお庭があれば、幸せなの。この世界がわたしの全てよ。季節が巡るたびに、好きなお花の苗を植え続ければ、お花が枯れることも無いわ。なんて素敵なんでしょう。」
彼女の後ろには、六十代とおぼしき乳母が控えている。
「お嬢さま、そろそろ、お薬を飲みませんと。」
彼女は、絵に書いたような病弱な少女だ。長い髪とほっそりした肩、そして腺病質な青白い顔。。
「ばあや。わたしはいつまでお薬を飲まなければいけないのかしらね。こんなに元気なのに。」
「まぁ。お嬢さま。お嬢さまは、毎日決まった時間にお薬を飲んでいらっしゃるから、発作もおさまって、お元気でいらっしゃれるのですよ。」
と、乳母は、困惑げに、言ってのけた。
「わたしはね、ばあや。あの方には感謝していますよ。欲しいものは、リストにして送ると、数日後には、必ず業者が届けてくれる。好きなものは、望めば、好きな時に、手に入れられる。困ることは無いの、一つのことを除いては、ね。」
そう語る彼女に、乳母は、
「一つのこと?」
と、問い返す。
「そう。たった一つのことを除いては、ね。」
「それは、なんでございましょうか?」
「ばあや。知ってるでしょ?」
「さぁ。なんのことやら。。わたくしにはわかりません。」
「ばあやったら。。とぼてける。いいわ、言ってあげるわ。わたしにはね、靴が無いのよ。」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
はじける音が空間をゆるがす。タイトで強いビート。うねるベース。キラキラとカオスを奏でるギター。そして、あの、大好きな「声」に乗って開かれてゆく歌の世界。
有希子は、目を瞑って音と声に酔いしれていた。自然に体も揺れてゆく。
下北沢。二〇〇五年。地下にある某ライブハウスだ。
有希子は四十八才。二人の女の子の母であり、夫もいるのだが、このところ、時間の許す限り、或るバンドの「追っかけ」をしていた。今夜も、パートの仕事を終えてから、シャワーを浴び、着替えて、下北沢にやって来ているのだ。
見回しても、有希子より年上の「追っかけ」は、まずいない。ライブハウスの店員からも、下北沢で最高齢の「追っかけ」かも、と言われていた。
関東近県に住む有希子が、なぜ、下北沢まで音楽を聴きに来ることになったのか。それには訳があった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「ねぇ、ばあや。なんでも送って下さるあの方が、なぜ靴だけは送ってくださらないのかしら?」
「そうでございますねぇ。どうしてでございましょうねぇ。わたくしにはわかりません。」
「ばあやったら、何にも知らないのね。本当は知っているんでしょうに、とぼけてばっかりなんだから。」
「本当に知らないのでございますよ。」
明らかに乳母は困惑していた。
「もう、いいわ。ばあやには何にも聞かない。わたしは、このおうちにも、このお庭にも満足しているのだから、どこにも行かないわ。」
彼女は、一人でそう決めつけて、黙り込んだ。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
有希子は、最前の列の、舞台から見て、右側から三番目あたりの、いつもの位置に落ち着くと、彼女の「推し」の男性を見つめた。
「追っかけ」をする四十八才の有希子には、どんな訳があるのだろう。何が彼女を動かしているのだろうか。
若い頃の有希子は、「役者志望の女の子」だった。舞台で演じることが、純粋に好きで、大学の演劇集団で活動していたこともあったし、プロの劇団が舞台発表を観に来て、入団を誘われたこともあった。
しかし、有希子は、その道には進まなかった。役者になることを、簡単に許すような家庭に育っていなかった、ということもあったが、有希子自身、自分は、「個性的な人生」ではなく、「平凡な人生」を送るほうが良いと判断していたからだ。役者を続けたい自分を、無理やり、こころの内側に押し込め、未練を断ち切るために、舞台を観ることさえも止めて、有希子は舞台から去った。
その後、いくつかの恋愛を経験し、大学を出て、就職もしたが、好きになった人と結婚し、有希子は、平凡な主婦になる道を選んだ。
結婚後は、流産をしてしまったり、夫が病気になったりと、苦労もしたけれど、やがて、女の子二人に恵まれ、生活は軌道に乗って来て、平和で安定した生活を築いているつもりでいた。
だが、そんなある日、異変は、突然に起きた。
引越しを境に、子どもたちが、環境に不適応を起こし始めたのだ。最初は、下の子が、登園拒否を始めた。毎日、つきっきりで、母子一緒に登園しているうちに、なんとか適応し始め、ホッとしたのもつかの間、今度は、上の子が、登校拒否を始めた。
なだめたり、すかしたり、脅かしたりして、幼稚園や小学校とも相談しながら、いろいろ工夫して、なんとか、下の子は幼稚園を卒園し、小学校の入学を迎えた。そして、上の子は、三年生に進級した、はずだった。
ところが、五月の連休を過ぎた頃、二人とも、
「もう、学校には行かない!」
と、宣言しだしたのだ。そして、次の日から、昼夜逆転の暮らしを始めた。有希子の二人の娘たちは、六才と九才で、あっという間に「引きこもり」になった。
一体何が起きているのか、有希子には、わけが分からなかった。先生からも、お友達のおかあさんたちからも、おじいちゃんやおばあちゃんたちからも、母親の対応に問題があるかのように言われ、しだいに有希子は追いつめられていった。
子どもたちは、生気をうしない、ぼんやりした顔をして、元気が無い。そして、有希子が作る食事は拒否する。二人して、毎日、コンビニの冷凍ラーメンしか食べないのだ。
また、子どもたちは、電話で自分たちが話題になることも嫌がるため、有希子は、しだいに、誰とも話すことが出来なくなっていった。
昼夜逆転の暮らし、手料理は拒否される、誰とも自分たちのことを話さないで欲しいと要求される、ということが続くうちに、有希子はあることに気づいた。
それは、自分が、毎日の暮らしのなかで、「母親っぽいことしかしていない」という事実だった。
「子どもたちが拒否していること」をしないようにすると、自分は、何も出来ない、かつ、何もすることが無いのだった。
有希子がそんなことに気づいて来た頃、下の子が、ある日、ぽつんと、言った。
「おかあさんて、顔が変なんだよね。おかあさんは、なんだか、何枚も何枚も、お面を被っているような感じで、本当の顔がわからないんだよね。」
衝撃を受けた。
ーー素顔が見えないってことか?
子どもたちが生まれてから、有希子は、たくさんの育児書を読んだ。もともと優等生だった有希子は、ちゃんとした母親になろうと、一生懸命に努力して来たつもりだった。
それが、逆に、裏目に出てしまったのだろうか。
たしかに、子どもたちの前では、しっかりした母親であろうと、緊張していたかもしれない、とも思った。
「お面しないでよ。」
下の子に言われて、有希子は、子どもの母親である以前にあったはずの、「自分らしさ」を取り戻して、ちゃんと、子どもたちの前に、本当の自分の姿を見せないと、子どもたちは混乱から抜け出せないのだ、ということに、少しずつ、気付いて行った。
その頃、追いつめられた有希子が救いを求めていたのが、「音楽」だった。
テレビの「音楽」チャンネルは、ほぼ24時間、つけっぱなしで流れていた。
「好きな音楽」と、「そうでもない音楽」とを、自分のなかで消化してゆくうちに、しだいに、「自分らしさ」に気付けていけるようにも思えた。
子どもたちは、ほぼ毎日、二人で絵を描き、ゲームをして暮らしていた。あまりケンカもせず、仲良く暮らしていたので、生活自体は意外と平和だった。家族も、しだいに仲良くなり、夫も交えて、四人でゲーム対戦をして遊ぶことも出来るようになっていた。
そんなある日、下の子は、学校の絵は、学校に行ってみないと描けないので、「取材のため」学校に行ってみたい、と言い出した。四年生の時である。学校に相談すると、快く引き受けて下さり、下の子は、そんなことを理由にして、四年生から学校に復帰した。
妹は学校に出かけても、上の子は、やはり「行かない」の一点張りだった。そうして相変わらず、昼夜逆転で絵とゲームの生活をしていた。
それでも、転機は訪れた。
ある日のこと、六年近くも引きこもっていた上の子は、突然、
「いつもラジオで聞いている、好きなバンドのライブに行ってみたい。」
と、言い出したのだ。
「外に行ってみたい」と言い出したことが奇跡過ぎて、にわかには信じられなかったが、それでも、上の子に、「生きている実感」が得られるならありがたいと思い、夫は、大喜びでチケットを取ってきた。
二〇〇三年の春のことである。
そこからは、家族揃って、いろいろなライブに行くようになった。
そのうち、上の子は、いくつかのバンドの「追っかけ」になり、夫に引率されて、地方にも遠征するようになった。忙しくなった。そうして、いつの間にか、「引きこもり」からは、完全に脱していた。
学校に行かなくても、「生きている実感」を持ち、「生きていて良かった」と思える日々を送れるなら、それはそれで上等だ、と考えるように、有希子も家族も変化していたし、頭は柔軟になっていた。
やがて、それぞれに、好きなアーティストのライブに出かけるようになって行った。
そして二〇〇五年、有希子は、一人、好きなバンドを「追っかけ」るため、下北沢にいたのだ。
もはや、夫とも、一単位ではない。「個」としての自分を、有希子は、見つけ出そうとしていた。
好きな音の、大好きな声が紡ぎだす世界に、有希子は、入り込んでゆく。その世界では、有希子は、もう、四十八才ではなかった。年齢などという枠は消えてゆく。ただただ、たましいの存在として、音楽の世界を浮遊しているのだった。
自分に付随している様々な「役割」から開放され、ただ、好きな音の世界に没頭するとき、有希子は、完全なる「個」として、存在出来る。深呼吸が出来るように感じられた。心地良かった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「ねぇ。ばあや。また、聞こえるわ。あの声。」
「なんでしょうか。わたくしには何も聞こえませんですが。」
「もう。ばあやったら、またとぼけてるの?あんなに大きな声が聞こえないなんて、嘘に決まってるわ。」
「大きな声ですか?わたくしには何も。。」
ーーわたしにはたしかに聞こえるわ。振り絞るような、雄叫びのような、こころの奥底からの切実な声が。。なんて素敵な声なんでしょう。どんな方なのかしら?
「ねぇ、ばあや。わたし、あの方に、靴をねだってみようと思っているのよ。どうかしら?」
「さぁ。どうでしょうか。下さるでしょうか、ね。」
「駄目かもしれないけれど、ねだってみようと思うのよ。」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
最近、ライブハウスで、好きな音を浴び、好きな声に包まれているとき、有希子は、自分のなかに、「もう一人の自分」が潜んでいるような感覚にとらわれることがある。
ーー潜んでいるのは、もしかしたら、あの子だろうか。。
そう、あの子とは、「十九才の有希子」である。
役者になりたくて、張り切っていた子だ。表現したくて表現したくて、毎日うずうずしていた女の子。。
声を出したい。体を動かしたい。そして、いつだって踊りたい。
それが、「十九才の有希子」だった。「表現衝動の固まりのような子」だ。
その子が、有希子のこころのなかに潜んでいて、「推し」の歌を聴くたびに、反応する。そうして、有希子に向かって。再びその存在を主張して来るのだ。
若い頃の有希子は、その子の持つ「表現への衝動」が、自分のなかに存在する限り、「平凡な人生」は送れない、と考えていた。だから、有希子は、その子の存在を消したいと願ったのだ。
ーーこの子は、わたしの人生には要らない存在だ。忘れてしまわなくては。。
決心は固かった。これから自分が紡いで行くはずの「平凡な人生」には、「舞台」や「表現衝動」は、要らないのである。
こうして、「十九才の有希子」は、有希子の「こころのなかの庭」に封印された。有希子は、「十九才の有希子」を、その庭に置き去りにしたまま、年を重ね、希望した通りの「平凡な人生」を、ここまで築いて来たのだった。
「おかあさんが平凡な人に見えたことは一度もないよ。」
と、上の子から言われたことがあった。子どもは恐ろしい。何も知らなくても、何かを感じているのだ。
ーーわたしはあの子をずーっと無視して来たけれど、あの子は、本当は、「大切なわたしの一部」なはずなのだ。あの子の存在を許して愛さずに、わたしは、本当の意味で自分を愛していることにはならないのだろう。嘘を付き続けて生きていることになってしまう。。
主張して来る「十九才の有希子」の存在を、有希子は、ようやく認めようとしていた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
下北沢。二〇〇六年。
こころのなかに住む「十九才の有希子」を認めることが出来た「四十八才の有希子」は、共に、下北沢のライブハウスに居た。「靴」をもらった「十九才の有希子」は、にこにこしながら、素敵な「声」の主を、キラキラ光る瞳で見つめていた。彼女は、「声」の主に、「恋」をしているのだった。
恋する十九才の有希子を、四十八才の有希子は、照れながらも受け入れていた。
二つの存在は、いつの間にか、お互いを認め合い、ごく自然に、一体化していった。。
「十九才の有希子」は、存在を認められたことで、再び、「自由」を手にした。もう、いつでも「靴」を履いて、「庭」から出かけることが出来るし、四十八才の有希子とは、いつでも笑顔で会える。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
[声の魔法そのニ]
落ちた。穴に。わたし、くるくる廻りながら落ちていく。どこに落ちて行くの?
わたしに起きていることがわからない。
ふと、「わたしは、この世界から葬られようとしているのかもしれない。」という考えがよぎる。
こわい。
と、感じた瞬間、わたしは、ストンとどこかにはまって、そうして、止まった。
次の瞬間、上から、何かが覆いかぶさってきて、パタンと音がした。
「閉じ込められた!」
空気が薄い、と感じた。
「助けて。誰かわたしを見つけて。」
そう思いながら、意識は薄れて行った。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
下北沢。ニ〇二三年。
有希子は十三年振りに下北沢のライブハウスにいた。久しぶりの下北沢は、再開発が進み、以前、有希子がライブ三昧の生活をしていた頃とは大分街並みを変えていた。
おそらくは、「最高齢の追っかけ」を更新しているだろうな、と苦笑いしながら、彼女は、「推し」の男の子が舞台に立つのを待っていた。
もう、孫と言っても良いくらいの、二十二才の男の子なのだけれど、彼が表現している全てが、有希子にとっては、「ツボ」なのだ。
偶然にラジオから流れてきた彼の「声」を聞いてから、一年以上になる。
彼は「うた」が上手いうえに、有希子が大好きな「声」なので、すっかりハマってしまったのだ。
こころの真ん中に、まっすぐに伝わってくる彼の「うた」には、一つ一つ、それぞれに、「ものがたり」がある。
だから、彼は、シンガーでありながら、ストーリー・テラーでもある、と有希子は思っていた。彼の描くストーリーも、メロディも、有希子は大好きなのだった。
一日中彼の「うた」を聴いていても、不思議なほど飽きない。それほどに、彼の「歌声」は、今の有希子にとって、切実に必要なものだった。
彼の「うた」に出会って、有希子の生活は豹変した。家事とパートの、ルーティンの仕事以外に、有希子は、自分でも「おはなし」を書くようになったのだ。
その経緯は、謎でしかない。
東京の、ど真ん中のライブホールで行われた、彼のファーストフルアルバムの、レコ発ワンマンの帰り道、久しぶりにライブを観て、興奮気味に地下鉄の通路を歩いていた有希子は、こころのなかから、たくさんの言葉が溢れてくる、という感覚に、突然襲われた。
たくさんの言葉が、いちどきに溢れ、多すぎて、言葉にならない。胸が苦しくなってきて、どうしようかと思ったほどだった。
帰宅後、有希子は、溢れる言葉を書きとめた。それが、彼女が「おはなし」を書き始めたきっかけなのだ。
彼の「うた」を聴くと、何故か自分のこころのなかに「おはなし」が生まれてくる、という不思議は、その夜からずっと続いている。
けれど、ふと、有希子は、思い出した。
ーーそういえば、「おはなし」が溢れて来たことって、前にもあった。初めてじゃない。
※ ※ ※ ※ ※ ※
有希子は、小学校六年生のとき、近所に住む、入学したての一年生の男の子を、朝、学校まで引率する、というお役目を授かったことがあった。
有希子とその男の子は、バスで通学する小学校に通っていたので、一年生を一人でバス通学させるのは忍びないと思ったその子のおかあさんに頼み込まれて、有希子の母が引き受けてきたのだった。
初対面のその男の子は、甘やかされて育った匂いがプンプンする、わがままな雰囲気の、生意気そうな子だった。
有希子は、会った瞬間に、その子のわがままを直してあげたいと思ったのだ。まずは、仲良くならないといけない。
そこで、有希子が考えたのが、「おはなし」大作戦だった。
毎朝、おもしろい、新しい「おはなし」を、通学の間に聞かせてあげよう、と考えたのだ。
有希子は、持っている限りの知恵を総動員して、毎朝、新しい「おはなし」を、その子に語って聞かせた。バスを降りてから、学校に着くまでの十五分間、の勝負だ。あらすじが出来ていない時もあって、そんなときは、語りながら考えた。それでも、おもしろい「おはなし」は、「無尽蔵」に現れ続けた。
「大作戦」は成功した。
その子は、毎朝、朝の挨拶もそこそこに、
「ね、今日のおはなしはなあに?」
と、聞いてくるようになった。すっかり有希子になついたのだ。そうして、しだいに、わがままな表情はとれて、良い子になっていった。
やがて、男の子は、だんだんと学校にも馴れ、一緒に通うお友達も出来て、有希子のそのお役目は夏休みまでで終わりを告げた。
でも、有希子は、その頃には、「おはなし」を作ることが、もうすっかり板についていた。聞いてくれる男の子がいなくなっても、毎朝、「おはなし」は現れるのだった。
小学生までの有希子は、お花や虫や、小鳥が大好きで、季節の移ろいやその空気感、空の雲の形や動きなどから、いろいろな空想をする女の子だった。
時間を忘れて、いつも、こころのなかで、ふわふわと、いろいろな空想をしては楽しんでいる。だから、それは、はたから見ている人には、ぼんやりしているように見えたに違いなかった。
そんな有希子も中学生になった。
進学校を目指す中学校に在籍していた有希子には、「勉強漬けの日々」が待ち構えていた。
それでも、毎日、ふわふわと、空想しては「おはなし」の世界で遊んでいる有希子に、しびれを切らした母は、ある日、
「お前は、もう、中学生になったのだから、ふわふわと、お話ばかり考えていないで、ちゃんと、受験を見据えた勉強の生活を送りなさい。」
と、説教をした。
その晩のこと、有希子は、「ふわふわとした空想をする自分」と、決別するために、 一晩中、枕がぐっしょりと濡れるほどに泣いた。
そうして、それっきり、有希子は、「おはなし」を考えることをやめたのだ。
「おはなしを生み出すための、ふわふわとした空想をする自分」を、有希子は、自分の「こころのなかの箱」にしまい込んで、フタをして、二度と開かないように、厳重に鍵を閉めた。
それからは、現実のなかで、堅実に生きようとする毎日を送る有希子に、もう、「おはなし」が、溢れるように現れることは無くなった。
勉強中心の日々を送った有希子は、母の期待通りに、きちんとした優等生になり、そこからは、それなりの人生を過ごして来たのだった。
だから、「おはなしを作る十二才の有希子」のことなど、もう、すっかり、忘れてしまっていた。
ーーあの、六年生の時のわたしみたいだ。
今、まるで、空から降ってきたかのように、「おはなし」が浮かぶ有希子は、まるで、「おはなしを作る十二才の有希子」のよう、なのだった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
ライブを終えた彼が、物販に出てきた。待ち構えたファンに囲まれる。
有希子も、物販に列んで、順番を待った。
「良いライブでしたね。」
「ありがとうございます。」
「わたしね、下北沢に来たのは13年振りなんですよ。長いエスカレーターは、まだありませんでした。」
「え? 長いエスカレーター、ありますよ。」
わたしの話を聞き違えて、彼はそう答えた。
そうなのだ。彼は、長いエスカレーターが無い下北沢のことは、知らないくらい、若いのだ、と有希子は思った。
それでも、目の前にいる青年は、「孫」くらいに若いはずなのに、有希子には、なぜか、彼が、自分の「おにいちゃん」のように見える。。
時間軸が歪んでいる。どこかおかしいのだ。
ーーどうしてなんだろう。。
そこまで考えたとき、ようやく、有希子は、謎が解けたこと、を感じた。
彼に夢中で、一日中でも、彼の「歌声」を聴いていたいのは、有希子のこころのなかに封印された箱の中に潜んでいる、「おはなしを作る十二才の有希子」なのだと。。
「十二才の有希子」から見たら、彼は「おにいちゃん」なのだ。
「また、観に来ますね。」
「また、来て下さい。待ってます。」
記念の写メを撮ってもらい、有希子はライブハウスを後にした。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
彼の「うた」の、ストーリー・テラー的な側面に、「おはなしを作る十二才の有希子」は反応したのかもしれない。
いずれにしても、彼の「声」は、有希子のこころの真ん中に刺さり、封印されていた厳重な箱の「鍵」を、すんなりと開けてしまった。
彼の、まっすぐな、「愛」をつたえる魅力的な「声」は、箱を開けるための「合鍵」そのものだったのだ。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「いつの間にか、息が出来るようになっている。わたしは、まだ生きていたんだわ。」
「箱のフタが開いて、、気がつくと、わたしは、風船みたいに膨らんで、立てるようになっていた!」
ーーうれしい!
ーーわたしは、また、お話が作れるんだ!
※ ※ ※ ※ ※ ※
[魔法は続く]
ふわふわとした空想癖は、有希子に再び舞い戻ってきた。
今、有希子のこころのなかには、「六十六才の現実の有希子」と、「ふわふわとした空想癖のある十二才の有希子」、そして、「表現したくてうずうずしている十九才の有希子」とが、お互いに、許し合って、共存している。
カオスである。
好きな「音」、好きな「声」、好きな「うた」、そして、好きな「メロディ」は、それらを奏でる人や、うたを伝える人の魅力を通して、たくさんの「気づき」を、有希子に与えてくれたし、今も、与え続けてくれている。
二〇〇三年に出会って、二〇〇六年くらいまで、コアに「追っかけ」たバンドの「音」は、今はもう無い。もう、音源で聴くことしか出来ないけれど、願わくば、またライブハウスで聴いてみたいものだと、今だに願っている。
あの三人でしか出せなかった緊張感は、今思い出しても、震える程に愛しい。
歌っていた彼の「声」も、唯一無二だった。彼の表現していた「感情」は、どれだけ、「十九才の有希子」の「表現衝動」を刺激したことだろう。彼女が目覚めるのは、当然のことだったと思う。
今は活動を休止している「彼」に、約束なんかしないで、またいつか、下北沢のライブハウスで会ってみたいものだ、と有希子は時折思う。
そして、昨年知った新しい「推し」の、若い彼。。
彼は、これからも、「十二才の有希子」を刺激し続けてくれることだろう。だから、おそらく、有希子の「おはなし」は、これからも、生まれ続けるだろう。
アーティストは、「自分の表現」をしているだけで、たくさんの影響を、「気づき」を、人々に与えている。
それは、「優しい魔法」だ。
「気づき」は、有希子の「意識」を変えた。「意識」が変わると、見えてくる景色が、そして「人生」が、変わる。
失なったと思っていた自分も、「意識」することによって、甦る。
有希子のこころは甦り、本物の「自由」を手にしたかのように見える。
もしかしたら、有希子のこころのなかには、まだまだ、思い出すべき存在が、隠されているかもしれない。
これからも、気づき続けてゆくことが、有希子の人生を楽しくするだろう。
人生が続くかぎり、「声の魔法」は、どこまでも続いてゆくのだ。
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