最近の記事

素晴らしきかなパソコンさん

ひとり生活になると何をするにも制限がなく、パソコンをいつでも自由に使え、世界が広がっていく。 ホ-ムページが一つの目的を果たした頃には、ブログ(blog, weblog)という誰にでも簡単に書けるサイトも出てきて、分からないながらも説明を読みながらすこしずつ形を整えていった。これは日記帳であったりメモ帳にもなり、また、コメント欄やトラックバックして意見交換も自由にでき、交友関係も広がり、実に有り難たい。今でも更新は少なくなっているがブログは大切な「私の遊び場」となっている。

    • 人生とは-いつまで続くやもめさん-

      夫が亡くなって、早いものでかれこれ20数年になるが、これは予想外であり、よくがんばっていられるなと関心もする。 夫とは8年2か月の年の差があり、「その分はひとりでがんばるので時が来たら迎えに来てね」と頼んでいるのになかなか迎えに来てはくれない。きっと私にはまだまだ学ばなければならない課題があり、卒業どころか進級すらできていないのかもしれない。まあ、あせらず、ゆっくり、しっかり歩んでいこう。 幸いなことに、私にはその時々に素晴らしい出会いやお導きがあり、今まで知らなかった(意

      • 人生とは-夫婦ご卒業-

        生まれて初めてのひとり生活の始まり 夫が息を引き取ると、医師に脈が止まった時間を電話で報告し、漸く医師が訪れ、死亡診断書を書いてくれた。それを役所へ提出し、静かに着々と別れの準備を進めて行く。すべてを一人で決めて行くわけだから泣いている暇なんかない。姉には区役所へ同行してもらったり、銀行で当面必要なお金を引き出したり等、最低必要限のサポートをしてもらったが、みなそれぞれの家へ帰って行った。 葬儀屋さんに連絡すると、翌日に来てくれることになった。 つまり、翌日にお棺に納めること

        • 人生とは-忍び寄るやもめ-(4)

          夫は、 再手術後は順調に回復し、いよいよ退院という頃に私が診察室に呼ばれた。 「ご主人がこれから退院して自宅療養するにしても、先ず、看病する人の健康状態が気になります。 どうですか?短期間でも入院して、体調を整えることが大事ですよ。近くの病院でも紹介状を書きますからね。」 私が答えに戸惑っていると、 「今のあなたは、もう限界に来ていますよね。少し入院をして何もせず、体を回復させることが大事です。これから何が起きても対応するのはあなたなのですから・・・」 「はい。・・・」

          人生とは-忍び寄るやもめ-(3)

          まさかの医療ミス 手術が無事終わって、集中治療室から病室に戻ってきた夫は激痛から解放され、穏やかに傷の回復を待っていた。 私も夫が元気に退院できるよう、毎日、夫の顔を見に病室へ出かけた。夫婦なんて特別何って話さなくても顔を見るだけで状態を感じることができる。「目は心の窓」ともいうが、目はその人の精神状態や気力・体力も感じ取れる。 ある朝、病院の看護婦室から電話で「ご主人が動くものだから、お腹の管が外れてしまった。」と呼び出された。 とにかく急いで病院へ行く。そして、医師に

          人生とは-忍び寄るやもめ-(3)

          人生とは-忍び寄るやもめ-(2)

          医師から事前に説明を受け、どのように対処していくかは家族の希望を尊重して患者に伝えること(癌告知はしない)を確認した上で、看護師が夫を部屋に連れてきた。 そして、夫が私の隣に座ると、医師は大腸のレントゲン写真を見せながら、『大腸炎から腸閉そくを起こし、排泄もできない状態だから苦しいのだ』と説明し、この腫れ上がった部位を切除することを承諾するよう夫の意思を確かめた。 写真を見れば、どんな状態なのか即理解でき、今に至るまでの苦痛から解放するには、手術を受けるしかないと覚悟がで

          人生とは-忍び寄るやもめ-(2)

          人生とは-忍び寄るやもめ-

          ♪  会うは別れの始め  ♪ とはいうものの、そこに至るまでの数々のできごとは、気づくか気づかぬかは別として、大切な序章であった。 あれは3月15日の確定申告の最終日で、夫が休みを取って税務署へ申告に行った日のこと。 我が家では新しいクーラーの取り換え工事を予約していて、夫が帰ってくるころに工事屋さんが入ることになっていたのだが、待てど暮らせど何の連絡もなく帰ってこない。仕方なく先に工事を始めてもらうが、夫に何が起きているのか分からない。納税者が多くて混んでいるだけならよ

          人生とは-忍び寄るやもめ-

          人生とは-母との思い出-

          最近は、亡くなった家族たちが今まで以上に とても身近に感じられ、記憶の中で顔を思い浮かべながら、心静かに会話している。 父が亡くなった後は、母が我が家へ来る頻度は多少減ったが、自宅で父の位牌と向き合って会話していると思えば、『寂しいだろうけれど「元気を出してがんば」だよ。』と励ました。      ★がんば=私流の表現で、普通は「頑張る」と表現         するのだろうが、頑なに意地を張る必要はないの         で力を抜いて「ただやる」という意味で、活字に    

          人生とは-母との思い出-

          人生とは-出会いの数々-

          一体誰がこんなにユニークな人生シナリオを書いたのか?私(たち)は退屈することを知らない。 自分から求めなくても、例えば、ホームページの掲示板やブログ読者さんたちとの交流が広がって、会話を楽しんだり、価値観の違いに気づいたり、いろいろなセミナーに誘われて視野が広がるという体験もする。 「人生は体験学習」であるからして、心臓が止まるまでは「これでおしまい」とは言えないし、あり得ない。どんなに些細なことからでも気づくことはいくらでもあるし、正に「私(あなた)の知らない世界」へと導か

          人生とは-出会いの数々-

          人生とは-区切りをつける-

          8年も・・・ そろそろ過去から自身を解放したいなと思い始め、2007年1月末でホームページを閉じることにした。 開設当時は1、2年のつもりだったので、開設から8年とはよく続いたなぁと我ながらその根気の良さに驚きもするが、それは読者あってのこと。まったく見ず知らずの人たちが何かのご縁で特訓を受ける。そこに善い悪いの判断はいらないし社会問題にならなければみな「喜びの表現体」としてそれぞれの生活の中で活かすことができたと思うが、あいにくそうはいかなかった。 しかし、考えようによって

          人生とは-区切りをつける-

          人生とは-体験学習とはいえ-

          まさか?いえいえ、やはりです 裁判の傍聴では、私たちを指導していた天仕(てんじ)が何をどう証言するのか興味を持ったが、天声に従って行動してきただけという感覚で、まだまだ気づいていないかに見えた。 そして、法の華の教義は天声でも何でもなく、ある方が「自分が教えたもので他所でも教え広めているものだ」と証言。 これには少々驚いたが、「へぇ、やっぱりね・・・」と納得もし、「よくこんな貴重な証人を見つけてきたなぁ」と捜査本部の本気度を感じ取ることができた。 確かに宗教ではないと否定

          人生とは-体験学習とはいえ-

          人生とは-正しく伝える-

          警視庁とは退院後もつながっていて、調書に署名したり、証拠品となる「家の中心」という掛け軸や、仏舎利塔?などを提出した。(事件終了後、返却できるがどうするか問い合わせがあったが、私には必要ないので返却不要とした。) そして、 マスコミがどのような情報をもっていたかは知らないが、どこでどうだっか詳しいいきさつは憶えていないがテレビ局の記者さんにマイクを向けられたことが何度かあった。事務所にも来たくらいだから我が家へ来たとしても驚きもしなかったが、その内のあるテレビ局が自宅に取材に

          人生とは-正しく伝える-

          人生とは-我慢も限界-

          仲間からの連絡がなくなってきたころ、「もうそろそろ病院へ行っても大丈夫だろう」と思い始めていた。みな、人のことどころではなく、それぞれが聴取を受けたり、自分のことで精一杯だったのだと思う。 そうした中で、夫と近所で昼食を取り、車に乗って出かける予定だったが、食べた食事が合わなかったのか、身体が重苦しくなり急遽自宅へ帰ることに。 そして、やっとの思いで車から車椅子へ。そしてエレベーターで階上へ。室内用の車椅子に移乗するまでの緊張感は相当の物。ふぅふぅ、はぁはぁ、とにかく重苦し

          人生とは-我慢も限界-

          人生とは-支え合い-

          天罰が怖い? 私が一切の活動を辞め、自宅で心の整理と休養をしていると支部長仲間から電話をいただく。   「○○さん、お元気ですか?どこか悪いところは       ありませんか?」   「ええ、元気ですよ。心配してくれてありがとう       ございます。気になるようでしたら見に来て確       かめたらいいですよ。私のことよりもみなさん       はどうしていますか?」 等と話しながら、やはり会って確認したいということになった。 私が気になっているのは残してきた塾生の

          人生とは-支え合い-

          人生とは-見えないものを観る-

          追い詰められていく 天仕の指導によりに行者らの各居住地域に拠点を作ろうとする動きが出てきた。そしてそれとは別にいつものように説明会的な催しをあちこちで開催し、行者獲得を目指す。東京では有名なホテルも多かったようだが、会場予約はすべて天仕だから指定された場所へ行けばよかった。 それでも行者獲得は大変だ。 みな、活動資金にも苦労しているわけで、その内「歓びの証」なるものが出るようになる。その実態はよくわからなかったが、おそらく「ひとりいくら」で報奨金が出るようになって、勢いづ

          人生とは-見えないものを観る-

          人生とは-誘導されていく?-

          狐につままれる? さて、特訓から帰ってほっとしたのも束の間で、翌日には天仕と称する係の者から電話が入ったり、天声に沿って天納金を納めるよう指導される。 かなり高額だったが、振り込みが確認されると「家の中心」と称する掛け軸が届く。開けてみると「南無天法地源如来行」と書かれていて、立派に見えた。これを家のどこかにかけて「七観行」を毎日唱えることになるが、とにかく文字数からしても長すぎて敷居にかけても様にならない。 この掛け軸を見ても、まだこれが宗教(団体)とは思わなかった。何故

          人生とは-誘導されていく?-