人生とは-忍び寄るやもめ-(2)
医師から事前に説明を受け、どのように対処していくかは家族の希望を尊重して患者に伝えること(癌告知はしない)を確認した上で、看護師が夫を部屋に連れてきた。
そして、夫が私の隣に座ると、医師は大腸のレントゲン写真を見せながら、『大腸炎から腸閉そくを起こし、排泄もできない状態だから苦しいのだ』と説明し、この腫れ上がった部位を切除することを承諾するよう夫の意思を確かめた。
写真を見れば、どんな状態なのか即理解でき、今に至るまでの苦痛から解放するには、手術を受けるしかないと覚悟ができる。今までは仕事が忙しく休めないと言って、我慢もしていたが、もう、「我慢の限界」を通り越しているのは誰よりも夫自身が納得し、『解かった。よろしくお願いします。」と了承。私も先生を見て「よろしくお願いします。」と頭を下げた。
さあ、そうなると、これから夫が安心して手術を受け、日常生活を続けられるようにするために私がやることは?
先ずは、会社へ電話で事情を伝え、職場復帰は難しそうなので、そちらにご迷惑がかからないよう退職させてほしいとお願いした。
次に、入院費や生活費等々をどう工面するかだ。
我が家には夫の給料と私の障害年金が少々あったが、借金返済もあって余裕はない。それどころか夫は職を失ったわけだし、心配をかける訳にもいかない・・・
そこで思い浮かんだのが家の近くにある区民センターの相談窓口で、事情を話してアドバイスを受けることにする。
夫の状態を話し、『生活を維持するためにサポートしていただけることはありませんか?』と。
すると係の人が個室に案内してくれ、生活保護を受けられるよう指導、手続きをしてくれた。
普通、生命保険等は解約するらしかったが掛け金も少額だったことや、弁護士さんのサポートで法の華が破産したらいくらかでも返済されることなどもあって、そのままにしてくれた。区としても保護期間は短く、区民が経済的に自立できるよう考えてくれたようだ。
そして、以前から老後も他人様に迷惑をかけないように、できるだけ二人で支え合い、がんばろうと話していたのだが、身体が不自由な私には、夫に代わってのサポート役が必要となり、夫もそのことを何よりも気にしていた。
そこで、翌日には調査員の方が自宅に来てくれ、結果「要介護3」と判定された。介護計画もすぐに立てられ、翌日にはヘルパーさんが来訪。
これで安心して手術を受けることができる。私もほっと一安心。とにかく泣き言を言っている暇はなく、今、何をすべきか?やらなければならないことを、焦らずひとつひとつ処理していくのが私の仕事。
手術日には夫の兄夫婦も来院して励ましてくれた。実に有り難い。
そして、手術が無事終わり、待機していた私たちに、切除した大腸を手のひらに乗せ、両端がぶら下がった状態で見せてくれた。特に何と言って説明もなく、ただじっと見ながら心の中で「大腸さん、今までありがとうね。」と別れを告げた。夫は集中治療室でテントの中で眠っている。「よくがんばったね。」と。
それからは毎日、病院と自宅を行ったり来たりだったが、親しくしていた友人たちがサポートしてくれたおかげでなんとか乗り切れた。
しかし、これでハッピーエンドとはならなかった。 (^_^;)
ーーーーつづくーーー
私を生かし活かしてくださいましてありがとうございます。
感謝、感謝申し上げます。(-人-)