人生とは-出会いの数々-

一体誰がこんなにユニークな人生シナリオを書いたのか?私(たち)は退屈することを知らない。
自分から求めなくても、例えば、ホームページの掲示板やブログ読者さんたちとの交流が広がって、会話を楽しんだり、価値観の違いに気づいたり、いろいろなセミナーに誘われて視野が広がるという体験もする。
「人生は体験学習」であるからして、心臓が止まるまでは「これでおしまい」とは言えないし、あり得ない。どんなに些細なことからでも気づくことはいくらでもあるし、正に「私(あなた)の知らない世界」へと導かれていく。

教科書で学んできたことはあくまでも基礎知識であり、それだけで世の中を渡ることは難しい。それぞれの人生においてのテーマやコースは誰一人として同じということはあり得ないし、与えられる問題に対しての答えも人それぞれであり、この答えというのも歩んでいる段階での節目節目のものだったりするので、その先に何が待っているかは「お楽しみに」ということかもしれない。

私は何かあった時に「次のテーマは?」とか、「何に気づけということなのかな?」と、無意識の内にも(観)ていく習慣が、いつの頃からかついていた。
だからなのかどうかは知らないが、私にとっては結構厳しいハードルが用意されていた(る)。

私にとってのテーマは、どんな環境、境遇にあってもその意味を知り、乗り越え、楽しむことのようだ。
そもそも、人生行路には山あり谷あり、順境逆境は誰にもあるものだと思う。原因あっての結果でもあるわけで、それをどう受け止め理解するかで展開の仕方も違うし、どのような結果を引き出すかもそれぞれである。だから面白いともいえる。

私の人生の始まりとしては、やはり「妹の死」と「祖父の死」の記憶であり、それは折に触れ思い出すし「死」というものをどう捉えるか?看取り方、見送り方は永遠のテーマと理解している。

前述の姉の死でもいろいろ考えさせられたが、父については体調が悪いことも知らなかったし、母とはよく旅行をしていたので年のせいぐらいにしか思わなかった。母は毎週我が家へ遊びに来ていたし、父の体調については何も分からなかったが、その内入院することになった。
父を見舞うと「今、どう言う状態なのか訊いても教えてくれないんだよ。ただじっと寝かされているだけでは耐えられないんだ。駄目なら駄目とはっきり言ってくれたらいいのにそれも言わない。早く家に帰りたい。」と嘆く。
「分かった。じや。今看護婦室に行って訊いてくるからね」と私。

どこの家でもあることだが、子供たちはみな成人し、家庭を持ち、親元を離れていく。そして、実家は年老いた両親のみとなる。そうした状況の中で家に連れ帰って、一体誰が世話をするのか?
姉の時は。転院する時のルールで一度退院してから転院先の病院へ入院することになっていて病院から病院とはならず、かと言って両親が引き取るということもできず、我が家で世話をすることで何とかなったが、父の場合はそうはいかない・・・
結局、私(たち夫婦)が責任をとるいうことで一日だけ外泊が許された。急遽、姉や弟たち夫婦もそろって実家で父を迎え、最後の食事会となった。
父はベッドに横たわり嬉しそうに見ていた。
翌日は病院へ戻るので、私は父の身体を清拭したり、髭を剃ってあげたりした。歩くこともできなくなった父を移動させるのは私の車椅子を共有するしかなく、いつも夫が一役も二役もかってくれた。いつもいつも感謝しかない。
確かに看取り方、見送り方は夫々であるが、なによりも穏やかであるのがよい。

これが、形ばかりの父への最後の親孝行となった。父さん、今までありがとうね。(-人-)

                                                     ーーーつづくーーーー


私を生かし活かしてくださりありがとうございます。
感謝、感謝申し上げます。



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