生活者として地域に関わること。それが翻訳者を成長させる(英語翻訳者 バーナード・ファーレルさん:その5)
一大プロジェクト「多言語生活情報」の英語翻訳を手掛ける
それから、いろいろな翻訳をFACILから依頼されましたが、CLAIRの翻訳(一般財団法人自治体国際化協会「多言語生活情報」)は半端なくたいへんだった。
日本の社会の、生活に必要な制度が、保険とか全部、入っている。あれは何か月もかかった。
他の翻訳者が手がけた翻訳を扱うのは大変!
日本独特の制度もあるから、しんどかったよ。でも、私にとって幸いだったのは、(最初に請け負ったのがFACILだったので)私が初めての翻訳者だったこと。自分なりに、自分が理解していることを、自分の表現で翻訳できたからよかった。
同じ言語でも翻訳者によって、翻訳の仕方、表現、使う言葉は、みんな違う。特に英語の場合は、アメリカやイギリスで微妙に違う。
それから5年後、10年後だったか、情報更新に合わせて翻訳するときに、別の翻訳者の手が入りましたね。
F:一時、FACILとは別の翻訳会社が担当したことがありました。
そういう情報更新の際の翻訳で困るのは、表現を以前の翻訳に合わせないといけないこと。
自分の表現、自分が使っている言葉ではないから、いらいらする。日本語原稿がまっさらな状態で来て、一から自分が翻訳するのだったら、苦労はするけれど訳しやすい。
制度改正とか、情報更新という翻訳は結構ありますね。
その場合、元の英語に合わせないと読む人はぎこちなさを感じる。
たぶん日本語でも、例えば文章の中に、別の人の書いた文があると「え?」と、何かぎこちないというか気持ちが悪いでしょう。
だから、なるべく元の文章に合わせて訳す。翻訳の仕事は苦労が多いよ。
F:大変だと思います。こちらは気軽にお願いしてしまいますが…
まあ、それもひとつのチャレンジだからね。
でも、自分の翻訳がいちばんだとは全く思っていない。
自分の翻訳は、自分が訳したものだというだけで。
場合によっては、他の人の翻訳を見ると、これはすごい、うらやましい、こんな翻訳ができるなんていいなと思うこともあるよ。自分の翻訳は、本当に未熟だと思うことがあります。
初めは行政用語に戸惑いつつ、仕事をしながら会得する
F:翻訳を続けることで、日本語を読むのにも慣れて上達されたのですね。
例えば戸籍の翻訳。
FACILは地域密着で個人の翻訳をするから頼まれるけれど、あれには独特の言葉がある。
(届出を役所が)「送付」したりとか「受理」したりとか。
「なんのこっちゃ!?」と、初めは何のことかさっぱりわからなかった。まあ2、3年もやったら、こういうものだとわかるようになった。
同じような内容であれば、だんだん慣れてくる。昔は3、4時間かかったものを今は30分でできる。でも、今でも間違いはいっぱいあるよ。
英字新聞に投稿したエッセイやブックレビュー。住民としての視点が編集者からも好評
もともと書く仕事は、嫌いではない。
日本に来て読売の英字新聞を取ったら、読者が日本での体験を書くコーナーがあった。
日本に来て6か月ぐらい経って自分個人の体験を投稿したら、それからちょこちょこ新聞に載るようになった。
F:トピックとしてどんなことを書かれたのですか? 居合のこととか?
いやいや、日常生活の出来事ばかり。
例えば、初めて書いたのは、その時に住んでいた地域の小学校での話。
英会話の仕事は夜のほうが多かったから、昼間はよく近所を散歩していた。
小学校の前を通ると、小学校2、3年生の子が泣いていて。
そのときは日本語を話すことができなかったから、どうすればいいかわからなかったけれど、その子のことを考えて「どうしたの?」と言ってね、いっしょに学校に入っていった。
そんな小さな体験です。いろいろなことを書いて、その新聞との繋がりもできた。
ブックレビューもかなり長く、5、6年続けたよ。
日本社会のことが書かれた英語の本をレビューして投稿する。
いい本、おもしろい本がいっぱいあった。
日本の警察についての本とか、柳田國男の『遠野物語』とか、柔道の嘉納治五郎の教えとか。
そのうち、ある編集者と繋がりができて、本のこと以外にも「日本で家を買うときはどうすればよいか」といった記事も書いた。
自分で書いて送ったら、これはおもしろいと新聞に載せてくれた。
だからFACILの翻訳をする前から、ものを書くのは決して嫌いではなかった。
たとえ言葉がわからなくても失敗を恐れずに挑戦しよう!
私の翻訳の強みというほどではないけれど、私は日本に住んでいて、普通の日本人と同じように暮らそうとしている。
他の外国人とは、ほとんど接したことがない。
日本にいる日本人と同じ暮らしかた。だから子どもの学校のPTAに入ったり、地域の自治会に入ったり、震災後はまちづくり懇談会に入ったり。
いろいろなことで地域に関わってきた。
F:PTAではお父さんが入ることが、まず珍しかったのではありませんか?
だいたい日本のPTAは会長だけ男性で、あとは女性ばかりですね。
私は子どもが幼稚園のときからずっとふつうのPTAの役をやりました。1年だけ中学校のPTA会長になりましたが。
F:PTA活動をし始めたころは、日本語にはそれほど困らなくなっていたのですか?
言葉がわかっている、わかっていないというより、とにかくいっしょにいることが大事で、別にわからなくても何とかなるよ。
なぜみんなが「日本語がわからないから」と参加しないのかわからない。入ったらそのうちわかるようになる。
入らなかったら、いつまでもわからない。
ときどき妻から、
「ちょっと言葉に気をつけなさい。あんなこと言ったらあかん。あの言い方はあかんよ」と注意される(笑)。
でも、私の場合は見た目ですぐ外国人とわかる。
だから日本語がうまくできなくても、周りがちょっと甘く見てくれたりして、それが私には楽ですよ。
日本語が完璧にできるとは、誰も思わないので。
私の日本語は40年間、生活をしながら身についたもの。それだけ。
勉強はしていない。
翻訳もそう。
溜息をつきながら何回も繰り返したら、できるようになった。
最初はしんどい。
初めての内容だったらちょっと難しいから、場合によっては断ることがあります。
正直に、これは自分には無理だと断ります。
ちょっと頑張ればなんとかできるというものは、とりあえず引き受けて、失敗しながらでもやる。
それで、「このぐらいできるのだったら、また同じような内容だから、ファーレルさんにできる」と繰り返し依頼してくれて、だんだん上達していくような感じです。
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