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全ての辛さは「デフォルトモードネットワーク」から来る -マインドフルネスとDMN-

ある日、居酒屋で流れていたテレビ『カズレーザーと学ぶ。』をなんとなく見ていた。テーマは『孤独』。「孤独の辛さは物理的な痛みと同じである」という話がとても興味深かった。
将来身内に先立たれた時、孤独は身に迫る問題だ。孤独の辛さを克服するために「デフォルトモードネットワーク(DMN)」を鍛えるのが良いらしい。初めてDMNという仕組みを知り、天啓に打たれたようだった。

何もしていないとき、脳内ではDMNが動いている。いわゆる"雑念"だ。雑念は過去のことを思い出して悔やんだり、ハッピーになったり、未来のことを考えて心配したり、楽しみにしたりする。
私はよく、ふとした瞬間に「人生辛いなぁ」と思うのだが、それは「DMNの囁き」であるという。DMNを鍛えれば生きる辛さが軽減するのでは?と思い、詳しく調べてみることにした。




0) 参考文献


DMNをネットで調べるのは無理があったので、図書館で下記の3冊を借りた。

『最高の休息法』はマインドフルネスの基礎とハウツー本、『なぜ今仏教』は瞑想と仏教の教えについて、『意識と無意識』はそれぞれの本を補って+αという感じ。『最高の休息法』と『なぜ今仏教』で大体マインドフルネスと瞑想については勉強できたので、忘れないようにまとめてみたいと思う。
下記は本を読んで私が理解できた範囲でまとめているため、間違った見解になっている場合がある。詳しくは本を参照して欲しい。




1) 脳の疲れとDMNの関係


脳はエネルギー消費の激しい器官だ。天地創造デザイン部の土屋室長の口癖(?)に「そうだ、アホにしよう」というセリフがあるが、動物は脳の容量が少ない方が燃費がいい。人間の体重における脳の容量は「生存するだけ」であれば多すぎるのだ。
脳は体の消費エネルギーの20%を使っており、デフォルトモードネットワーク(以下DMN)は脳の消費エネルギーの60%〜80%を占めている。ただでさえエネルギーの大食漢である脳は「そのエネルギーの大半を雑念に使っている」と言っても過言ではない。(過言かも)

実は、睡眠を取っても脳は休んでいない。いくら寝ても、身体を休めても、脳はDMNで何かを考えたり、記憶の整理、脳のメンテナンスを行なっている。心配事があるときに「寝ているのに脳の疲れが取れない」と感じることがあるのはこのためだ。
睡眠の役割は「脳のデトックスあるいは洗浄」である。寝ている間に脳脊髄液が『疲労物質のタンパク質』を洗い流しているらしい。
実はアルツハイマー患者はDMNの動きが低下しているそうだ。一説では、DMNを長年使いすぎて、耐久年数を超えてしまってアルツハイマーとなる可能性があるという。アルツハイマー患者の脳には『疲労物質のタンパク質』がたくさん残っているため、認知症を防ぐためにも、睡眠はとても大事だと言える。

心のモジュール仮説』をご存知だろうか。例えば、ぼーっとしているときに「何か食べたいなぁ」と思った時は、生存本能モジュール(エネルギー不足や腸内細菌からの指令)や食事によるドーパミン摂取などの自己欲求モジュールが主導権を握っている状態。「恋人は今どうしているだろう」と思った時は、配偶者獲得モジュールや親類庇護モジュールが主導権を握っている状態と言えるらしい。他にも自己防衛モジュールなどがある。
どのモジュールが優位になるかは、周囲の状況などから自分の意識外で本能的に選択されており、主導権を握っているモジュールによって「物事への感じ方」が違う。これはまるでサブリミナル効果のように、物事の前後関係から無意識に、私たちの行動や気持ちが左右されているのだ。
このモジュールの移り変わりにもDMNが関与しているようで、ぼんやりしているときにふと考えることは、「たまたまその時に主導権を握っていたモジュールが囁いていること」と言える。つまり、その考えは自分の意志で考えたことではないのだ。

どんな時にDMNが囁いてくるか。よくあるのは歯磨き中や道を歩いているときなど、習慣化された動作中の"自動操縦モード"の時である。それは悪いことばかりではなく、お風呂に入っている時にいいアイディアを思いつくとか、忘れていたやらなければいけないことを思い出したりもする。だが、昨日起こった嫌なことを反芻して嫌な気分になることも多い。
つまり、DMNをコントロールできるとセルフマネジメントが捗り、心を無駄に疲弊させないウェルビーイングな生活を送ることが出来る、ということなのだ。




2) マインドフルネスの効果


脳を休める方法に『マインドフルネス』がある。マインドフルネスとは「マインドフル(気を配る、意識している)な状態」のことで、簡単に言うと、心配・不安な過去や未来は意識せずに、今この瞬間のみを意識すること。DMNの無駄な動きを抑制することで脳を休ませることができる。
脳には『可塑性』という性質があり、ずっと同じ刺激を続けることで神経細胞が変化し、その変化が持続する。マインドフルネスを行うことでDMNを制御して疲れない脳を作ることができるのだ。(うつ病などにTMS磁気治療が有効なのも同じようにDMNに働きかけるかららしい)

疲労感や痛覚は脳現象である。つまり、「脳を制御できれば、疲れや痛みは制御可能」と言える。線維筋痛症や多発性硬化症は重度の疲労感があり、うつ病と同じく、左前頭葉へのTMS磁気治療が効果的だったという研究がある。さらに、ホットフラッシュや線維筋痛症にマインドフルネス・ストレス低減法(MBSR)が有効と言われている。マインドフルネスで副交感神経の活動が増し、身体を落ち着いた状態に保つ効果があり、多発性硬化症の疲労感をマインドフルネスで改善できた事例もあるようだ。子供の反抗期にもマインドフルネスは有効とのこと。

マインドフルネスを行うと、内側前頭前野と後帯状皮質の活動が低下する。ここは「脳が意識しているとき」に動く部分だ。
特に後帯状皮質は「自己(自我やエゴ)へのとらわれ」に関わっている。マインドフルネスを続けると脳の可塑性によって後帯状皮質と背側前帯状皮質あるいは背外側前頭前野の結びつきが強くなり、"DMNの活動をコントロールできる脳"になるのだ。(自我やエゴを滅却する)

普通の人がマインドフルネスを実践すると、痛みを司る「前帯状皮質や島」の活動が増し、体の感覚を司る「感覚野」の活動が低下するが、マインドフルネス熟練者は逆になるそうだ。これは前頭葉(理性)と扁桃体(本能)がバランスをとるようになるのと似ている。
私たちが「ストレスなく幸福を感じられるかどうか」は一説によると、48%が遺伝、10%が財産や社会的地位の影響、残りの42%が行動や気持ちによるらしい。マインドフルネスを行うとこの残りの42%を高めることができるため、幸福感を感じやすい脳にもなる。
特に幸福度を高めるのは"感謝"であり、マインドフルネスの中には感謝に重きを置いたトレーニングもある。

「肥満が鬱の温床」なのは有名な話で、実はカロリー制限水分補給も脳の疲労回復に良い。(マインドフルネスによって「食欲を抑える」こともできる。)地中海地方の食生活はストレスにも心臓にも良いと言う。

【毎日摂取したほうがいいもの】
野菜、果物、ナッツ類、豆類、イモ類、
全粒穀物、魚、オリーブオイル、チーズ、ヨーグルト
【程よく摂取したほうがいいもの】
鶏肉、卵
【摂取を極力控えるべきもの】
赤身肉

他にも美に触れたり(脳の報酬系・背側前帯状皮質を刺激)、故郷を訪れる(安心感は不安の反対)のも脳の疲労回復に良いとされる。

マインドフルネスを行うことによって、レジリエンス(復元力)を強化することもできる。

上記の記事でも取り上げたように、レジリエンスとは、立ち直れないほどのトラウマを受けた後に回復できるかどうか、心の平静を保つ能力だ。
「楽観的で前向き」だと逆境でも心が折れず、苦痛に耐えることができる。マインドフルネスは『今この瞬間』を客観的に詳細に分析するため、強いストレスを受けた時に自分がどんな状態であるかを冷静に分析し、立ち直りやすくなる。(他にも他人との持続的繋がりや支え合いのソーシャルサポートがレジリエンスに作用することが知られている。)

さらにマインドフルネスを行うとその後の集中力(ゾーンまたはフロー)が高まり、仕事などがより集中して行えるようになるという。そのため、ADHDにもマインドフルネスが有効であるらしい。
自己意識を持っているときはフローの対極であり、マインドフルネスによってDMNを黙らせる脳を手に入れることで自分の存在を忘れて作業に没頭でき、集中をより持続させることができる。




3) マインドフルネスの実践


-- マインドフルネスの目標地点

初期:『今この瞬間』に意識を向けること
中期:心が彷徨ったことを意識し、『今この瞬間』に意識を集中しなおす
後期:意識せずとも常に心が『今この瞬間』にあるようになる
ストレス反応は不安を司る扁桃体によるものなので、「前頭葉(理性)と扁桃体(本能)が対等になる」ようになることが目標である。

-- 基本姿勢
脳は習慣を好むため、いつも同じ場所・同じ時間に行うのが良い。
「背中はシャッキリ、お腹はゆったり」が基本姿勢で「ただそこにある」ことのみに集中する。
マインドフルネス呼吸法とは、特別深呼吸をするのではなく、自然に呼吸しながら、空気の流れ、取り込まれた空気が体の中でどう循環しているのかを観察する。呼吸は意識の錨になる。過去や未来に意識が向きそうな時に、『今この瞬間』の現在のみに集中するために、雑念が訪れたらもう一度呼吸に意識を集中する。

-- ムーブメント瞑想
食事・歩行・ラジオ体操等、動きながら行う瞑想を「ムーブメント瞑想」と言う。
その動作に集中するためには「ラベリング」が有効。1回、2回、3回、と動作にラベリングすることでDMNを黙らせることができる。
信号待ちで空を見上げるのも良い。

-- メッタ
他者に対する愛情と慈しみを持つ"慈愛"やポジティブな感情を育てるのに有効なのが「メッタ」だ。嫌いな人や苦手な人に対する苦しい感情を和らげることができる。
マインドフルネス呼吸法の後、メッタしたい人を思い浮かべて、自分の体の反応を感じる。苦しい気持ちになるか、体のどこが苦しくなるのか、どんな感情を抱くかを観察する。
次にその人に向けて、「あなたが様々な危険から安全でありますように」「あなたが幸せで心安らかでありますように」「あなたが健康でありますように」と唱える。口に出すことで自然とそういう気持ちが芽生える。
日々続けることでその人に対して優しい気持ちが持てるようになる。メッタは後帯状皮質の活動をリアルタイムに下げているという研究結果がある。

-- ブリージング・スペース
ストレスを感じたことを意識して、緊張を解いていく「ボディスキャン」をしてみよう。仰向けに寝て、頭からまず左足の先へ自分の細胞一つ一つに意識を向けて辿ってみる。その間に不快を感じるところがあるか、痛みはあるかをスキャンしていく。左足、右足、左手、右手と行い、全身くまなくスキャンしてみる。

-- モンキーマインド解消法
モンキーマインドとは、雑念が頭の中を占領している状態。
それを解消する方法として、まず自分が「駅のプラットホーム」だと考え、どんどん電車(考え・雑念)が入ってくることを想像する。電車はそのまま去っていくが自分はホームにいるだけだ。
自分を傍観者として「雑念と自分を同一視しない」ことが大事。その考えは一時的に脳を訪ねてくるだけである。

-- 認知行動療法
物事への『考え方』を変えさせることで心の不調を改善する療法が認知行動療法である。「人間は考え・気持ち・行動で成り立っている」という理論から生まれた療法で、元々は行動を変える行動療法から始まった。
その後に「認知の歪み」を修正する第二世代の認知行動療法が生まれ、第三世代としてマインドフルネス認知療法が広がった。これは「自分の考え方のクセに気づく」ことでその考え方を変えることを目的とする。考え方を変えるには、賢者の目線で考えたり、由来を考える(ディープニーズ)のが有効。
ある事例で、うつ病患者を2つのグループに分け、1つのグループには従来の「薬物療法」を行い、もう1つのグループには「マインドフルネス認知療法」が行われた結果、回復するかどうかには差が出なかった。つまり、マインドフルネス認知療法は薬と同じ効果があると言える。薬物に依存するより良いのではないだろうか。

-- アンガーマネジメント
『怒り』は脳が自分を守るための緊急モードだ。
扁桃体(本能)は過度のストレスを受けると脳を乗っ取って暴走する(扁桃体ハイジャック)。この時、怒りと自分を同一視せず、距離を取るために呼吸に意識を向けるなどマインドフルネスの実践が有効。
怒り以外にもいろんな衝動的な欲求にも使える。禁煙の成功率がマインドフルネスで2倍になったという。




4) 瞑想と仏教から見たマインドフルネス


映画「マトリックス」は「ダルマ映画」と言われている。仏教圏以外の人が仏教徒になった時の感覚がマトリックスの「赤い薬を飲む」シーンと似ているらしい。仏教に馴染みがあると、瞑想や悟りという概念はなんとなく理解しているが、仏教以外の宗教から仏教に触れると目が覚めるような衝撃があるようだ。

仏教では瞑想を行うが、瞑想のやり方はマインドフルネスと同じものもある。釈迦が悟りを開いたように、マインドフルネス(瞑想)で世界の感じ方も変わり、慈悲の心も持てるようになるかもと思うと、退屈な瞑想をやってみてもいいように思えてくる。

瞑想には2種類あり、集中の瞑想(=サマタ瞑想?)は恍惚感があってやみつきになるが、それとマインドフルネス瞑想(ヴィパッサナー瞑想)は違う。
ヴィパッサナー瞑想を続けると、日常でもマインドフルにいることができるようになる。ヴィパッサナー瞑想は「三相(無常・ドゥッカ・無我)」を理解・会得することを目的としている。

ドゥッカ(苦)とは「不満足」のこと。
人間は決して満足することはない。欲しいものを得た時には快感を得るが、快楽は次第に薄れる。しかし、人は欲しいものに対して得られるであろう快感を実際より多く見積もってしまう習性がある。本来は美味しいものを食べた瞬間に最大のドーパミンが放出されるが、慣れてくると「それを食べたい」と考えている時(おあずけをくらっている時)の方がドーパミンの量が多く、食べた時は期待していたほどの快楽は得られない(快楽の錯覚)。これは自然選択が人間を「うまく繁栄させるため」に操作するための「設計」であって不具合ではなく、悲しいかな、仕様である。
つまり、満足していない状態を受け入れると心は楽になるのだ。

「五蘊」という仏教用語をご存知だろうか。物質の『色』、感覚の『受』、知覚の『想』、意志の『行』、意識や認識の『識』の5つを指す言葉だ。
五蘊は自己ではない。なぜなら「自分でコントロールすることができないから」。そして五蘊は無常である。
五蘊から解放されれば安定し、満ち足りて恐れなくなり、ニルヴァーナ(涅槃)に至る。自分のコントロール権を得ることができるという考え方だ。

自己とは何かを考えるときに、「分離脳実験」という以前下記の記事でも紹介した興味深い実験がある。

てんかん(癲癇)の治療の一環として、「右脳と左脳を切り離す」治療が行われることがある。この治療を受けた人を対象に行なった実験で、右脳だけにある指示を見せて行動を取らせた後に、言語を司る左脳は指示の内容はわからないにも関わらず、何かしら「もっともらしい理由」をつけてその行動を説明するのだ。
つまり、「自我」は采配を振るっていないのに「自分で采配を振るっている」と確信しているのだ。これは人にサブリミナルが有効である証明でもある。

人は「自分は平均的より上だ」と本能的に思い込んでおり(自己中心性バイアス)、アジア人より西洋人の方が自己肥大の傾向が高く、アジア人の方が集団への忠誠心などの集団での美徳意識は肥大化しやすい。
自我は自分が実際より物事をちゃんと把握していると思い込み(本当は把握できていない)、自分自身を有能な正直者だと思う錯覚がある。本当は自己などなく、ただ状況に操られているだけなのだ。

マインドフルネスを極めるとどうなるのか、興味深い事例がある。
1963年、ベトナムでティック・クアン・ドックという僧侶が、仏教徒への冷遇を抗議するため、人々が行き交う通りで焼身自殺した。その際には身じろぎひとつしなかったという。
前述でもあったように、「痛み」は脳で処理される感覚であるため、「痛みですら錯覚である」と言える。マインドフルネスや集中の瞑想によって自身の感覚すらも切り離すことができる例だ。

人間の感覚は全て、うまく繁栄できるように設計された自然選択によって、「近寄るべきか or 避けるべきか」を決めるために機能している。つまり、その感覚が正しいとは限らない。極限の苦痛を感じている時は脳がショートしないようにその感覚がなくなることがあるように、よりその個体を生存させるには、子孫を残すためにはどうするのが良いかを自然選択によって組み込まれたアルゴリズムで自動で処理している。
その自動処理の中には「時代遅れの衝動」もあり、砂糖まみれのドーナッツのような体に悪いものを欲しいと思ってしまったり、運転中に前の車がノロノロ走っている時の「路上の逆上」など、「うその感覚」もある。
人は自分の顔に傷があると思い込ませると、他人の言動がそれに関連していると思い込んでしまったり、人前で話す恐怖心は村社会で生きてきた名残であり、時代遅れの感覚であると言えるのだ。

「無色」という概念はイコール「空」であり、「本性」を感じないことである。普通はうるさいチェーンソーの音が"音楽"に聞こえる時は、その音に対してチェーンソーの本性を感じなくなっている。
カプグラ妄想という興味深い事例がある。それはよく見知った人物が、見知らぬ他人に入れ替わっていると感じてしまう現象(Wikipediaから引用)である。例えば、夫がある日突然、妻が姿は同じだけど妻ではないという妄想を抱いてしまう精神疾患なのだが、この時、「自分の知っている妻の"本性"がない」「空っぽである」と感じていると言える。
このように、人間は物質がどう見えるかだけでなく、「どのような感覚を抱かせるか」で友人や身内を識別している。人を見分けるという認知活動も感覚反応に頼っている可能性があるのだ。他人の家にいる時は落ち着かないが、自分の家にいる時は居心地が良くて安心できる。
人は物語から感覚を得る。例えばワインの味は本来は安いものでも高いものでも味の好み次第で味の優劣が決まるはずであるが、「高いワイン」だ知るとより美味しく感じるようになる。これはワインの本性を意識していると言えるかもしれない。
雑草が鬱蒼としていると思うと辟易するが、これは何々種でこういう成長過程で懸命に生きていると知ると愛着が湧いたりする。「敵だ」と思うと憎しみを持った見方になるし、味方には甘くなる。敵という本性を見てしまうと見え方変わってきてしまうのだ。

プライミング効果も興味深い。「意味プライミング」と「感情プライミング」があるが、詳しくは下記で解説されている。

「血縁者は自分の一部」であるという心理現象や「腸内細菌を入れ替えると性格が変わる」という事例からも、人間は本当は存在しない「本性」に縛られている。本性を感じることによって幸せを感じている部分もあるため、一概に悪いことではないが、その縛りを取っ払うことで悟りを開けるというのも真理だ。

ドゥッカ(不満足)の基本的な原因は「タンハー(渇き、渇愛、欲望)」であるという。タンハーが薄くなると自分の透過性が増す。
仏教では「三毒」という考え方があり、「ラーガ(貪欲、快への渇望)」+「ドヴェーシャ(嫌悪、不快の忌避)」=「モーハ(迷妄、自己の錯覚・本性の錯覚)」を意味している。これらを克服することで世界の見方が変わり、悟りに到達する。

悟りとは、「どこでもないところからの眺め」であるという。自己や錯覚から解放されて世界の本当の姿を見られるということだろう。(それが幸せかはまた別の話である。)




この記事を書き始めたのは今年の3月でした。
かなり寝かせてしまいましたが、DMNを知ったこの9ヶ月のいろんな場面で、DMNや世界の本来の姿を考えることがあり、興味が尽きない分野です。

この記事が誰かの涅槃に寄与できますように。

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