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その後の梅酒、10年後の梅酒

6月の頭に漬け始めた梅酒。

実は、もう飲み始めていたりする。

氷と炭酸で割って飲んでいる。
カンロ杓子は結局買っていないので、カレーやみそ汁に使う玉杓子で掬う。
わずか3か月間の漬け込みだけど、これがびっくりするくらいばっちり漬かっている。

率直に言って、大変美味しく出来上がった。
毎日見守った甲斐もあるというものだ。

漬ける際に氷砂糖をたくさん入れたので、一体どれほど甘くなるのかと思っていたが、意外なほど甘さは控えめだ。
酸味と甘味の比率は同じくらいで、どちらもほんのりといった具合。
梅の香りが豊かで口当たりがさっぱりなので、ついグイグイ飲んでしまう。
当然だけど、生(き)のままだとアルコールは強めだ。甘さを求めて多めに注いだりすると、あっという間に酔っぱらう。
危険である。

普段冷たいものも炭酸飲料も飲みつけないが、キンキンシュワッな梅酒ソーダ割りは、酷暑の続く夏にはなかなか乙だった(もう少し暑さは続きそうだけど、9月になったので過去形で)。

漬けてある梅の実はまだ食べていない。もっと漬かりきってクタクタのシワシワになったのを食べてみたいので。
食べられるようになるのは冬頃だろうか。もしかしたらもっと先かも。それまでは梅酒を飲み切らないよう注意しなければ。

今でもそれなりに美味しい梅酒だが、これが時間を経るとどんどん変化して熟成し、もっと美味しくなる(らしい)のだからあらためて驚く。
やはり、調子にのって飲み切らないよう注意しなければ。

自家製梅酒を5年10年と熟成させているという話は、結構見かける。
(元)酒飲みとしては、その気の長さを尊敬しないではいられない。3か月漬けでもこんなに美味い梅酒がこれだけたっぷりあるのに、飲まないで10年も置いておくなんて。もはや修行では?

今わたしの手元にある梅酒を、10年熟成させたら――。
そのためには、少なくとも10年は生き延びなければならない。10年後に、あの年の6月に漬けたあの梅酒だと思い出しながら、熟成梅酒を楽しめる自分でいる必要がある。

そんな埒もないことを、酔った頭で考えた。

でも、それはすごく面白いことだと思う。

自分の人生の見通しを、そんなふうに立てたことはない。
はじめてのことだ。
10年前にこうだったらよかったのにとは、擦り切れるほど考えてきたのに。
先のことを考えるのは、それがなんにせよ、恐ろしくて不安だった。空想に遊ぶのも限界なくらい不安だったのだ。

わたしは今、自分の中のパラダイムが崩れていくのを、現在進行形で目撃しているのかもしれない。

巨大な瓶の中で徐々に形を変え色を変えていく梅酒を眺めながら、わたしもこんなふうに善いものになっていけるだろうかと、祈るように考える。

そして、のんべぇ癖が復活して肝心の梅酒を飲み切ってしまわないことと、うっかり火落ちさせてしまわないことを、改めて誓うのだった。


では、また。

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