文を探す
この僕のいったいどこから作文は生まれてくるのだろう、指が言葉をつむいでいく、口を介さずに。
この時、僕の目はぐっと機能している。
自分の指が紡いだ文をぐっと見ている、読んでいる、頭の中で音読している、そして頭の中の小さな思考装置が次の文を小さな糸を引くように手繰り寄せてきては、そっと指に届ける。
指は運動している、小さな思考装置が届ける仮説の作文を、運動によってスマホの画面に届けている、届けられた文を見つめる目、読み言葉が反響する頭蓋の中で、次のぶんを手繰り寄せる、小さな。。
っとループしているのに紆余曲折しては進んでいく文の歩調、歩くようでもあり、奏でるようでもあり、ひとりせっせとリイダアの独学をする眼の疲れ。
見よ今日も かの青空に 飛行機の 高くとべるを。あの場所、ぼくの現場が今はこうも遠い、明日の朝にはでも僕は、そこに立っていて、ちょっとひと息つく束の間、正面から青空を眺める心の余裕はなかったりもするのだが、ふと目の端に映える青。
飛行機は空を探せば必ず3機、ヘリも飛べば、羽虫も飛ぶ、このひと月僕につきまとうスズメバチが1匹、朝ごはんも昼ごはんもテーブルにいてこちらを眺めてる、湯を沸かすカセットコンロに飛んできて、羽の一部を焼いて、アホ毛みたいに飛んで行ったのに、その後でまた戻ってきたっけ。
飛行機が迷いなく、曲線だらけのモクモクの雲の中で直線の白線をひいて渡っていく姿を見るに、なんとたくましい、ひるがえって地、ボロボロのスパイク地下足袋にぬかるみ踏みしめて、膝裏やケツにたくさんのイバラからんだ僕の足だ。
明日の今頃にはテントの中で白い息を吐いて頭までスッポリ寝袋を被っているだろう。
文を書くとは不思議なこと、ちょっと寝る前に10分ほどで何か書いてみたくって、自分のどこから文が湧いてくるのか探ってみたくなった。
糸のような心のほつれをそうっと引っ張り上げてみれば、するするするぅっと捩り出されるこんな言葉だ、青空を裁断する飛行機の白い息のようでいて、ゆっくりと紡ぐ言葉もまたこれも良し。
僕らはここで「なる」ことができる、過去に、啄木に、飛行機、僕の見上げる青空に、重なる想いは同じヴィジョンに、線だけが残ってするするぅっと、転げた石も詩を語り、僕の骨片もまたうたをうたう。
明日の自分と今夜のぼくはここで両手の腕時計の待ち合わせ、書いてみて現れる現実の文。