魂と音楽
2001年9月11日、旅客機がふたつ突っ込んでワールドトレードセンターは崩れ落ちた。アルカイダが拠点とするアフガニスタンをアメリカは攻撃し、タリバン政権の5年にわたる支配は終わった。映像で私が見たのは、禁じられていた音楽が解放され、歓喜して歌い踊るアフガニスタンの人々だった。
タリバンは音楽を禁じた。同じイスラム教を信仰しながら、なぜ音楽に対する処し方が相反するのだろうか。コーランという絶対的な聖典があり、付随する教典がある。唯一神のもとにありながら宗派によって異なる現象について、私は興味深く見ている。
イスラム教にとどまらず、キリスト教でも仏教でも宗派に分かれる。その傾向は原理主義や新興宗教というかたちでさらに枝分かれして先鋭化する。これはつまり、神ではなく人間による「解釈」によって引き起こされている。
2021年8月、バイデン政権のアメリカはアフガニスタンから軍を撤退し、タリバンが再び首都カブールを奪って政権を樹立した。当初は人権的な配慮を謳っていたものの、女性の教育や社会参加に歯止めをかけ、ついには再び音楽に手を出した。
楽器を燃やすこの写真は、ある意味とても優れたワンショットだ。今起こっていることをたった一枚で象徴的に表している。主導するのは勧善懲悪省、記事の原文では Vice and Virtue Ministry、つまりは悪徳と美徳をつかさどる省庁である。
イスラム教の発生時に音楽が禁じられ、数千年にわたり忠実に受け継がれてきたのであれば、アラブ音楽は存在しなかった。何を根拠に音楽を育み、何を根拠に音楽を禁じたのか。聖典のどの文言を、誰がいつ、どう解釈または改竄したのか。密林を分け入るように私は分岐点の真実を知りたいのである。
かく言う私は、ロックを禁じられた少年だった。キリスト教系の新興宗教の信者である母は、ロックを邪悪な音楽として禁じた。ロックどころか、歌謡曲さえも耳にすることのない家庭だった。
私の部屋には、三菱電機の赤いラジオ付きの時計があった。時計はデジタルではなく、バレーボールの得点板のように英数字がぱたぱたと倒れるあれである。かろうじて一部のAMを受信できるラジオの角度があり、夜になると布団の中に引っ張り込み、絶妙に傾けながら音が漏れないよう耳を密着させて聴いた。
ある夜、曲が流れ、私は雷に打たれたように魂が震えた。呆然とする私にパーソナリティーは「ポリスのロクサーヌ」と言っている。ポリスのロクサーヌ、と何度も呟き、忘れないよう記憶に刻んだ。翌日、同じ部活のO君にレンタル店でCDを借りてテープに録音するよう頼んだ。O君は快く応じてくれた。
電器屋に行き、アイワの携帯カセットプレイヤーを買った。ソニーのウォークマンは高すぎた。早速、ロクサーヌが収録されたポリスのアルバムをイヤホン越しに聴いた。
ロクサーヌでなくても、他の曲でも良かったと思う。だが、同時にラジオで流れていたスティーヴィー・ワンダーのヒット曲「I just called to say I love you(心の愛)」とは比較にならない、鷲掴みにして掻きむしる、切実な何かがあった。魂は一か所を空洞にしたまま、ずっと私を待ってくれていた。パズルのピースが嵌るように突然ロクサーヌが空隙を埋め、私は始まった。
人類にとって、音楽は言語よりも早かっただろう。音楽にしかないものは、ある。信仰や暴力で抑えようとしても、魂の震えには抗えない。
「私はあなたたちの邪魔をしない。だから私の邪魔をするな」。これが起動した私のスローガンになった。ジミ・ヘンドリックスは生まれ育ったシアトルを去るとき、「俺はここを出て行く。そして二度と帰らない」と言ったと、どこかで読むか聞いた記憶があるのだが、今もって出典が見つからない。ジミヘンがそう言ったか言わなかったかは、私にとって重要な意味をもつ。もし知っている人がいれば、教えて欲しい。