揚げを炙る
キャンプ場のウェブサイトは数か月後に直火を禁止すると告げていた。残念だが致し方ない。この時世に直火を許すこと自体、奇特なのだ。地域最安のGSでガソリンを満タンにして、私はキャンプ場に向かった。
そこは広大な森の中にあり、蛇口と仮設トイレがいくつか点在するだけの「どうぞ好きなようにやってください」という主義だった。平日に利用者は数組しかなく、清流沿いの静かな一角に私はテントを張った。
昨夜泊まったであろう先客が築いた石組みのかまどはまだ温かく、熱が残っていた。U字型の立派なかまどを解体し、私は私のかまどをつくった。組み方は箱庭療法のようなもので、人によってそのスタイルは大きく異なる。
大きめの石を五つだけ選び、ラグビーのラインアウトのように粗く二本ならベる。これなら長い薪を置いて網や鍋、飯盒をならべて同時に調理できる。開放した二方向からスリットに風が通る。
北海道に久保俊治さんという孤高のハンターがいる。著書『羆撃ち』(小学館)はとても美しく純度の高いノンフィクションであり、厳しい大自然に鹿や羆を追う日々が、類まれな筆致で描かれている。そこには、今日を癒やし明日を培う、野営の描写が散りばめられている。
日が暮れると上流から下流に向って風が吹くという。私も流れに沿って石をならべた。すると本当に、上流から下流へと風向きが変わった。枯れ葉から枯れ枝に火を移し、ドラッグストアの駐車場で拾った木片を焚べる。
ホームセンターで買った床下換気口を渡し、リサイクルショップで買った円い鉄板を熱する。砂肝に切れ目を入れるときの手応えが好きだ。潰したニンニクとともに炒め、もやしを被せて塩と胡椒を振る。
来る途中に直売所で買った小ぶりな拍子木のような揚げを二本、遠火で炙る。店のおばあちゃんにどうやって食べるのか訊くと、焼いて生姜醤油をつける、割って納豆をはさむ、と熱心に教えてくれたのだった。
炙った揚げがこんなにも美味いとは。焦げ目のついたぱりっと香ばしい表面、ふわっとひろがる大豆の味わい。まだ誰も起きていない夜明けに切れるような冷水に手を浸す豆腐屋の朝。
直売所で見つけた里芋と蕪を剥き、芋煮のようなものを強火にかけて秋鮭を入れる。野趣が私を満たす。疲れから酔いがまわり、寝袋にくるまる。
夢を見た。友人に助けを求められた私は、待合室にいる百人ほどの群衆に声を張る。元雪印の方はいらっしゃいますか!。数人が手を挙げる。研究室に誘導する。パイプから出っぱなしで止まらない牛乳を、彼らが止める。素敵、と言って女性が私に求愛する。
間に合わない私は走り、子どもふたりから人力車を奪い、折りたたんで小脇にはさみ、列車に飛び乗る。
目覚めた私はぐっしょりと寝汗をかいていた。テントから這い出て、月夜のビールとカシューナッツを口にする。
空は白みはじめた。散歩する。朽ちゆく小屋があり、落ち葉の吹き込む土間があり、木の飼い葉桶が腰高に備えてあった。そうか、馬が飼われていたのか。おそらく丘陵はかつて野焼きされた草原だった。馬が去り、人が去り、森に還ろうとしている。
川の方から、ざざっと水を乱す音がした。鹿だ。私は高台に走りその姿を探した。向こう岸から鳴き声が高く大きく、谷に響いた。ニンゲンが見ているぞ。気をつけろ。仲間にそう知らせるのだった。
湯を沸かし珈琲を淹れる。フライシートを樹にかけて風に乾かし、朝露に濡れた靴を脱いで陽に乾かす。昨夜の芋煮を温めながらテントを畳む。
陽はまた昇るが、決意や覚悟らしきものは訪れない。靴に沁みた露と汗を蝶が懸命に吸っていて、私はいつまでも旅立てずにいた。
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