シェフと演奏家が協演する淡路島の「リストランテ・スコーラ」でレストランの本質に気づかされた
少し経ってしまったが、1月下旬に淡路島に出かけた(出かけたと簡単にいってるが600㎞も離れている)。イタリアンレストラン「リストランテ・スコーラ」でシェフを務める友人の岡野満さんから光栄にも招待を受けたためだ。
淡路島の食材を使った地産地消の
レストラン「リストランテ・スコーラ」
じつは、淡路島に行くのは初めて。免許取りたての頃に車で西日本に行った際に徳島県から淡路島を抜けて明石海峡大橋から兵庫県に入った(つまり素通りした)ことはあるが、島に滞在したことはない。
さてどうやって行くか。
調べてみると新幹線の新神戸駅から三宮までは地下鉄、そこから淡路島行きの高速バスが出ている。これに乗ると40分ほどで、淡路島の入り口にあたる淡路I.C.まで行ける。ここからは、リストランテ・スコーラがある「のじまスコーラ」とまでシャトルバスが30分おきにでているので、これに乗るとそれほど苦労なく辿り着く。おそるべし。
スコーラ(scuola)とはイタリア語で「学校」を意味する。その名のとおり、淡路市野島にあった淡路市立野島小学校の建物をリノベーションし、飲食店や地産品販売、さらには音楽やアートの体験施設として2012年にオープンした体験型複合施設が「のじまスコーラ」である。
小学校の雰囲気をそのまま残す3階建ての建物の2階フロアをすべて使って営業しているのがリストランテ・スコーラだ。
コロナ禍で演奏機会を失った
演奏家たちが淡路島で始めたプロジェクト
この日のディナーには、「Bella Notte Vol.2 【~春の憧れ~】」というクラシック音楽と料理のイベントが開かれることになっていた。
クラシック音楽と料理のイベントはそれほど珍しくはないのだが、リストランテ・スコーラでのイベントは、ちょっとおもしろい。
というのも、のじまスコーラを運営するのは人材派遣会社の「パソナ」が、コロナ禍で演奏機会を失った演奏家を島内の関連施設で雇用するだけでなく、その施設内で演奏する場を設けることで音楽を通じた地方創生を目指す「音楽島 -Music Island-」プロジェクトを2020年から展開しており、今回出演する演奏家は、普段はリストランテ・スコーラでサービスを担当している。
サービスをする傍ら、営業中に店内にあるグランドピアノをフラッシュモブ的に演奏して客を驚かせたり、アニバーサリーの記念演奏をしたりと、飲食人と音楽家の協働・協奏による新しい地方活性化を提案しているのだ。
この夜は、普段はサービススタッフの格好で働ている演奏家がコンサートさながらのタキシードとドレスを着て、コース料理の流れのなかでクラッシック音楽を演奏する。音楽家はレストランのことをよく知っている、レストランの料理人やサービスたちも普段からよく知る仲間が演奏するということで、お互いの解像度が高い関係のなかで生まれたディナーコンサートなのである。
「こんなにも食材が豊かなのか」と
淡路島の食材の多様性を実感できる料理
イベントは、岡野さんが作る料理から始まった。いつも通り淡路島の食材を使った地産地消のイタリアンはそのままに、イベントのテーマである「春の憧れ」を加えて組み立てた、この日限りの特別コースである。
淡路島の漁師の家に生まれた岡野さんは、料理人を目指したのは20代中頃と、まわりに比べたら遅いスタートだった。
大阪のビストロなどで働いたのちに、ワーキングホリデーを利用して渡仏。リヨンやニースのレストランで働いたという(ちなみに、ニースの時に働いた店が、僕の友人でもある神谷隆幸さんがオーナーシェフを務める「ハングー HANgoût」。神谷さん曰く、"初めて雇った日本人"が岡野さんだったそう)。
南仏時代に国境が近かったこともあり、よくイタリアに行っていたそうで、イタリア料理はそのときに学んだ。フランスから帰国すると神戸の三ツ星のスペイン料理店(ここでまたまた、僕の友人シェフである大野尚斗さんと一緒に働いていたそう)などで腕を磨き、2019年に地元・淡路島のリストランテ・スコーラに入った。
淡路島で育ち、世界で見聞を広げて帰ってきた岡野さんの料理は、淡路島の食材を、リストランテ・スコーラに合わせたイタリアンの技や食材を使って淡路島の料理として生み出している。
そもそも淡路島の食材の豊かさは、古代から平安時代にかけて天皇家に食べ物を献上する|御食国《みけつくに》のうちの一国で、とくに魚を奈良や京都に送っていことから食材が豊かだったことは歴史が証明している。
しかしながら、淡路鶏や淡路ポークといった畜産のほか、銘菓やチーズといった加工品、このあと出てくるジビエまで、天皇家に献上していた海の幸以外にも、「淡路島には、こんなに食材があるのか」と、岡野さんの料理は純粋な驚きを与えてくれる。
とくに実家が漁師ということもあるだろう、幼いころから食べ続けた岡野さんの魚料理はどれもいい。寿司に見立てたであろうか|春子《かすご》(連子鯛)の料理は、ヴィネガーの酸味が酢飯に似ているほか、春子の身に江戸前のような包丁仕事が施されていておもしろい。
料理メインできた僕が
なぜ演奏に引き込まれていったのか
淡路島を代表するタマネギ(Cipolla)の料理を食べたところで、クラシックコンサートに移る。
ピアノを演奏する長谷川雄紀さんによる『英雄ポロネーズ』(ショパンの舞踏曲)、『アラベスク』(ドビュシー)、『献呈』(シューマン)と曲が続く。もちろん「春への憧れ」というテーマに合わせた選曲である。
3曲の演奏が終わったところでフルート奏者の佐藤碧美さんが登場し、ピアノとフルートで『愛の挨拶』(エドワード・エルガー)と『Earth』の2曲を演奏した。
この演奏がとてもよかった。もちろんプロの演奏家で、演奏のレベルは高かく聞き飽きないということもあっただろう。しかし、どちらかというと"岡野さんの料理を食べに来た"のが目的で、失礼な話ではあるが演奏自体に、それほど期待をしていなかった(本当に失礼すぎる)。
しかし、ある意味通りすがりのような僕をグイっと演奏に引き込み感動まで与えるというのは、並大抵のことではない。
とくに僕が感銘を受けたのが、演奏前の曲紹介である。これがクラシックに馴染みのない僕にとってツボな解説で、演奏を聴く前から興味を抱かせる。たとえばドビュッシーの『アラベスク』は、アラビア文様の意味で、その幾何学的な文様を譜面に置き換えたような旋律で、弾くのが大変だそう。ピアノを演奏する長谷川さんが「右手と左手が交差しながら弾くさまを見てください」というのだから、俄然注目してしまう(実際、忙しそうに交差していた)。
シューマンの『献呈』は「愛する妻に結婚を申し込むときに作曲をしたもので、愛にあふれている旋律を聞いてください」と、旋律に意識を向かうように、さりげなく誘導する。
そうやって聞きどころ(見どころも)、興味をそそるようにそれでいて、情報量が多くなって聞く側の集中力が切れない程度に"ちょうどよく"語り掛けてくれる。すばらしいプレゼンテーションによってグイグイと演奏に引き込まれてしまうのだ。
料理と音楽、音楽と料理を
行き来しながらの食体験
そんな素晴らしい演奏に感情が高ぶるなか、料理が再開する。イタリア料理といえば、お待ちかねのパスタ料理、そして魚と肉のメイン料理が続き、会は一気にクライマックスへと向かう。
とくに印象に残ったのは、鹿のメイン料理だった。野生動物は、その動物が食べたものが反映されるといわれるなかで、ものすごくクリアな味わいが感じられたのは、淡路の山のなかの環境がいいからだろうし、そのクリアさをしっかりと料理で伝えようと考えた岡野さんの眼力であろう。
クラシック音楽との会ということもあってだろうか、古典的な赤ワインソースの仕立ても趣旨に合っているように思った。
そしてデザートの前に、コンサートの第2部がスタートする。オペラ歌手の藤崎優二さんの登場だ。藤崎さんのオペラ歌唱に長谷川さんがピアノ伴奏をつけ『夜のしじまの中で』(ラフマニノフ)や『暁は光から』(ポオロ・トスティ)を。途中からフルート奏者の佐藤さんも加わって『心の瞳』(荒木とよひさ作詞、三木たかし作曲)、『妙なる調和』(プッチーニ)などを披露。さらにアンコールで東日本大震災の復興応援ソング『花は咲く』(菅野よう子)まで演奏し、大盛況でコンサートは終了した。
そして、この3人の演奏を讃えるかのように、最後のデザート「ティラミス」が運ばれてきた。
レストランは本質的に、
店と客の信頼関係で成り立っている
イベントの終了後3人の演奏家に話を聞くことができた。普段からレストランのサービスをするなかで、音楽と食に共通点といえることがあるのだろうか。意外にも3人は、「演奏家として、レストランで働いたことで学ぶことが多かった」と口を揃えていたのが印象的だった。
「誕生日のお祝いでピアノを弾くことが決まっているお客様には、接客をしながら『どんな曲なら喜んでもらえるだろうか』と会話を注意深く聞いたり、好みをそれとなく聞いてみたりということをしています。そのうえで、演奏した曲を喜んでもらえたらすごくうれしいし、『あってた!』という楽しさもあります」(長谷川さん)
「演奏もサービスも、お客様あってのもの。演奏しても聴いてもらえなければ意味がないですし、料理も食べてもらえないといけないですからね。伝わるように工夫することは同じだと思います」(藤崎さん)
「コンサートホールとは違って、直接お客様から感想を聞けることは、レストランでの演奏ならではのことです」(佐藤さん)
クラシックは門外漢な僕でも、演奏に入り込み心を打たれるひと時を過ごせたのは、もしかしたらレストランの「接客」の一部だったと考えると、納得できるような気がした。逆にいえば、レストランの接客は、「演奏」でもある。つまり、「人を喜ばせること」において、料理人もサービスも演奏家も、本質的に同じことを目指しているということだ。
じつは、リストランテ・スコーラの接客にも僕は感銘を受けていた。サービスの技術がすごいとか、料理やワインの説明が適格だったということではなく、とにかくサービスが気持ちがいい。
というのも、この夜にサービスを担当していたスタッフの本職は、なんと関西の空港勤務する接客のプロ。コロナ禍で空港業務が激減したことで、一時的にパソナを通じて淡路島に出向しており、その人たちがレストランで接客の技術をしているのだ。
もちろんレストランで求められる知識や技術は、研修中で完ぺきとはいえない。食事中に料理やワインのことを質問をしてもすぐには答えられないこともあった。しかしそれでも、オドオドと回答をごまかすようなことはなく、「私ではわからないので、料理長に聞いてきます」と、はっきりと、しかも笑顔で答えてくれる。その対応は、安心感があり、まったく不安を感じさせない。
接客される側にとって相手に感じる信頼は何よりも代えがたい。そもそも外食をするということは、相手が作った料理を食べることであり、極端なことをいえば料理に毒を盛られる可能性だってある。外食は、信頼の上になりたっている。そう考えると、彼女たちの接客は、レストランの接客の本質を見事に表してるように思える。
リストランテ・スコーラは、演奏家や公共の場で接客をしてきたプロとともに、シェフと料理人が働く、協働のレストランであるのだ。
今回は演奏家のサービスは受けられなかったが、ぜひ次回訪れる機会があればサービスを受けてみたいと思う。テクニックや知識はもちろん大事だが、本質的に相手への解像度を高めて、喜ばせること。サービスの本質を気づかせてもらえるのではないだろうか。
演奏家も料理人も五感を使って表現する
「演奏家も料理人も、表現をするうえで五感を使うという点では同じように思います。こうやって違う方法で表現をしている人たちとであうと、刺激を受けますし、かえって料理のおもしろさを改めて感じます。あらゆる芸術のなかで料理が一番おもしろいんじゃないかって」と岡野さん。本人も絵を描いたり、バンド活動をしたりと表現者(アーティスト)としての感性を持つこともあって、リストランテ・スコーラの特異性を楽しんでるようだ。
「食べていただいて感じていただけたと思うのですが、淡路島には本当にたくさんの食材があって、なんでもあるといえると思います。だから島外から無理に食材を運んでくる必要がないんです。それに、僕は食べ歩きが好きで、国内外の街で食事をするのが楽しみなんです。旅先では、その土地の食材を使った料理を食べたいと思いますし、それはたぶんほとんどの人が同じだと思うんです。のじまスコーラを含む淡路島の西側は、今新しいツーリズムができてきています。そのツーリストたちにとって食べたい料理であり、その土地を発見できるような料理を作っていきたいと思います」(岡野さん)
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国内外のレストランにどっぷり浸かってきた岡野さんにとって、協働・協奏のレストランといえば聞こえはいいかもしれないが、とても苦労は多いと思う。そういうなかでも、地元の食材を愛し、淡路島を愛して、地元の生産者さんを愛する姿勢を料理のなかで貫き続けていることは、岡野さんは料理人という立場で表現者であり続けていると僕は感じた。
淡路島で料理による岡野さんの表現が、今後も楽しみでならない。
イタリア料理とクラシック音楽のイベント「Bella Notte」のVol.3が4月24日(日)に開催される。関西からなら電車とバスを乗り継いでも行けるリストランテ・スコーラ。興味がある方は、のじまスコーラのサイトをチェックしてほしい。
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