1年前と同じ場所で、かわらないけど同じではない私たち│また来年も
年に一度必ず会う友人がいる。彼女は海外で一人暮らしをしていて、年に1度帰省する10日ほどは予定が詰まっているため「またいつか会おう」なんて曖昧な約束では会えない可能性があるのだ。
だからお互いのスケジュールを合わせて、絶対に会える日を決定する。
私たちはお互いの家からほぼ中間地点の、1年前と同じ場所で会った。
フードとドリンクのオーダーも忘れて「もう1年経つんだねー!かわらないね」と堰をきったように話し出す。このシチュエーション、1年前、2年前と同じだ。
イタリアで暮らして17年目の彼女は、底抜けに明るい。短大卒業後の同期入社でそこから長い付き合いなのに、笑っている顔しか知らない。
イタリアの生活は 休日と長期休暇以外は仕事と生活をしているだけで毎日が同じことの繰り返しなだけだよ、と謙遜する。
異国の地で自立していて憧れる。でもこれもSNSの世界と同じで、ある一面しか見ていないからなのか?不安で仕方ない夜もあるはず。
でも、休暇を思い切り楽しむために必要なことを地味だけどコツコツとこなすのだ、と。
彼女が旅行先のビーチや建築に取り憑かれたように訪れて写真を撮るのは、いいねと言われる事が目的では決してないことがわかる。
自分が心から癒されることを知っていてその時間を純粋に楽しんで写真に残しているだけだ。
そんな友は、会うたびに新しい報告のある私を、いつも賞賛してくれる。なんてこった!
飽きっぽくて好奇心旺盛なだけなのに。
お互い無い物ねだりということなのかな。
純粋に好きなことに向かっている人は応援したくなる。思えば私が尊敬していて応援したくなる身近な人は、SNSから距離も取りつつ悩みながらも淡々と生活を営み、「私だけの楽しみ」を見つけてちょっとした幸せを感じる。またはひたすら「好き」に突き進む人。
どこに住もうが誰もがオリジナルの人生をそこで送っているだけなんだなぁ。
そして結局はコツコツと継続できるかできないかが大きな差をうむのだろうな。
私だって、取るに足らないこの生活の中に、気づけていない何かが埋もれているはず、とふと振り返ったり。途中で空白になっていることをまたコツコツと学び直したいと思ったり。
毎年「変わらないねー」と言い合いながら、新鮮な気づきや刺激をくれる友。
今年は前より故郷が恋しい様子だった。歳とったということかなぁ。
お互い、年を重ねて(加齢とともに)磨きもかかっているんだと思い込みたい。
また来年も同じように感じるのだろうか。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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