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【読書note番外編】『製本屋と詩人』

「再読」ということをほとんどしない私が、おそらくこれから、折に触れて何度も読み返すだろうと感じる本に出合いました。

早逝したチェコの革命詩人ヴォルケルの作品精選集『製本屋と詩人』です。

この本は、2月にあった青山ブックセンター本店さまであったイベント時に、浅生鴨さんにつられて購入しました。

日頃あまり手にしない翻訳文学で、なおかつ、苦手にしている「詩」が半分以上をしめる作品です。きっとあのイベントでなければ、手に取らなかったと思います。

私は、わりと確信的に「然るべきときに、然るべき本に、出合える」と思っています。

この本は、まさにそんな感じ。

2月に購入してから、積読山の中ほどにいたのですが、先日ふと目に付いて読み始めたのです。

何が、ということを明確に言語化できているわけではありません。でも、そのはっきりとは言葉にできない、この「何か」が今の私には必要な栄養だったのだと思うのです。

イジー・ヴォルケルは1900年に生まれ、いくつかの物語とたくさんの詩を残し、1924年に病のため亡くなりました。本書に収録されている講演内容を読むと、彼がプロレタリアの人であったことが分かります。

私自身は、その前提も予備知識も何もなしに、この本を読み始めました。そうしたら。

詩から見えてくる世界の彩りが光と影に縁取られ、この世の美しさと残酷さがダイレクトに刺さってきたのです。苦手であるはずの「詩」のことばが、スンっと自分の視野の彩度を上げていることに気づいて、本当に驚きました。

世界はこんなにも、色彩に、光に満ちている!

その認識は、理屈でなく、また無理強いでもなく、私のなかで芽吹き、そろりと根を下ろしたのです。

また。

世界で一番広い海 それは人間の目
目は世界をまるごと運ぶことができる

このフレーズが私に気づかせた、視線を反転させて見える景色の美しさ、残酷さはすさまじくするどく、私のなかに今も明確に残っています。

もちろん、時代背景や地政学的なあれこれを含めて読めば、もっと違う角度で、もっと深く広く読み取れるものがあるでしょう。でも、それらがなくとも、そして、全然違う時代や国に生きていても、身体的に精神的に入ってくるものはある。

読書の、そんな基本的な在りようを作品というカタチで、何も押しつけがましくなく、でも、整った居住まいで伝えてくれたのでした。

ヴォルケルの作品は、今もチェコで読み継がれているそうです。何が、というのではないけれど、すごく分かる気がします。うん。最初にも書いた通り、私も読み継いでいこうと思ってますもの。

そんなおススメ本でした。
んじゃ、また。

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