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■大河ドラマ『光る君へ』第1話~最終話感想―振り返るといつも君は笑ってくれた

えりたです。

2024年はどんな一年でしたか? 私にとっては、大河ドラマ『光る君へ』に出会い、そこからさまざまなご縁をいただいた年でした。3つの大河ドラマ館すべてを訪れ、紫式部にかかわる場所をめぐり、また、ファンミーティングなどにも参加し、たくさんの幸せと笑顔をいただきました。

なにより、定期的にテレビを視聴する文化を持たず、どちらかというと映像を苦手とする私が『光る君へ』を第1話から最終話まで通して、全話見ることができたというのは、自分でもかなり大きい驚きと共に、衝撃さえ感じる出来事でした。

そうして、全部のお話の感想noteを書き尽くし、その記事を通して、たくさんの方とご縁を結べたことも大きな幸せでしたし、それは言葉に尽くせない宝物となりました。感想noteを通して、関わってくださったみなさま、ほんとうにありがとうございました。

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大河ドラマ『光る君へ』平安時代中期、摂関政治の最盛期のころを描いたドラマです。

私は幼い頃から「歴史を描いた物語」が大好きでした。中でも、権謀術数の渦巻く平安時代中期の物語が大好きで、それが高じて、大学院に進学と同時に研究対象を『源氏物語』から『大鏡』に変更するという蛮勇まで敢行したほどです。

それほど大好きな時代、また、その時代を生きた歴史上の最推しである藤原道隆さまが「ドラマ」という形で受肉化し、目の前に現れる。自分が生きている間に、そんな僥倖に出会えるなどとはつゆほども思っていませんでした。だから、最初に知ったときには、ほんとうにうれしくて、驚いて、リアルに変な声が出たほどです。

そんな私が書いた、大河ドラマ『光る君へ』の感想noteは、私のささやかな人生や、過去の思いがずいずいと詰め込まれています。そのため、主人公である「まひろ(藤式部/紫式部)」や藤原道長がほぼ出てこないという、風変わりな独自路線をひた走ることとなり、それは最終話に至るまで変わることはありませんでした。

今回は、大河ドラマ『光る君へ』全48話感想note完走記念として、48個のnoteを振り返りたいと思います。もう少しの間、『光る君へ』の世界をご一緒に楽しめたら幸いです。




■今日の中関白家

おそらく私の感想noteを強く印象づける項目として、いちばんに上がるのがこの「今日の中関白家」ではないでしょうか。

「中関白家」とは、藤原道隆さまを始まりとする家系です。この「中」とは、一説には「中継ぎ」との意味を表すとされます。たとえば、『逃げ上手の若君』の起こす「中先代の乱」の「中」と同じ意味ですね。

「中関白家」道隆さま、伊周さま、定子さま、隆家さまで形成され、結果的に隆家さまの血筋が後世まで継がれていくことになります。私の感想noteでは、第1話から第39話までは毎回この項目について記し、そこで終わるかと思いきや、第46話から最終話で復活しました。


■藤原道隆さま

道隆さまは、摂関家本流を奪取した兼家パパりんの嫡男として、始めおっとりと清廉潔白さを全身にまとっていました。貴子さまが形容された「きらっきらの殿御」という語が、これ以上ないほど似合う方だったのです。

道隆さまは、兼家パパりんから摂政の地位を継ぎ、数年ほどで病に倒れます。おそらく飲水病(今でいう糖尿病)だったと思われますが、己の寿命を知り、また、自身の政を司る力のなさを知るなかで、彼はどんどん変わっていくのです。

そうして、あちこちを傷つけた挙句、思うようにはならない世に、愛する家族たちを残したまま、道隆さまは穏やかに息を引き取ります。

鬼の形相で使える駒はすべて使う、ある意味、これまでのうるわしさとは対極にあるような様相を見せた道隆さまでしたが、最期は愛する貴子さまに看取られ、もっともうつくしく輝かしかった日々を彷彿とさせる温かさのなかで、そっと逝かれました。

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そうしてここから中関白家における、本当の受難が始まるのです。


■藤原定子さま

一条天皇の寵姫として生きた定子さまは、実は第1話からご出演なさっています。

実はここには、小千代君(のちの伊周さま)もいらっしゃって! 中関白家激推しのワタクシとしては、アタマ激沸きな第1話だったのです。おそらく、そこに萌え散らかしているのは私くらいだったと思いますが、後悔はありません。

定子さまはうつくしく、聡明で、兄弟の誰よりもリアリストでした。魑魅魍魎うごめく後宮で生きることを宿命づけられ、それを前提に育てられた定子さま。父道隆さま譲りの「きらっきら」で華やかなお人柄が、そのサロンにも表れていました。

ですが、これから帝の皇子を産み、愛のあふれる人生を送る、そのはじまりの時点で、定子さまは父という強力な後ろ盾をうしないます。そうして、定子さまは、一条天皇の思い一つを頼りに生きることになるのです。

しかし、兄や弟たちの起こした事件をきっかけに彼女は髪をおろし、現世との縁を切ろうとします。が、それも実際にはかなわず。兄の現世への執着や、夫である一条天皇の思いの強さに翻弄され、彼女はぼろぼろになりながら、それでも気高く生きようとするのです。

そして、敦康親王、媄子内親王を産み、彼女は逝きます。

うつくしく気高い定子さまの生き様は、ききょう(清少納言)さまだけではなく、彰子さまにも受け継がれました。つながりがないと思うものでも、どこかでほっそりと、脈々とつながっている。『光る君へ』はそんなことも信じられるドラマでもありました。


■藤原伊周さま/隆家さま

天真爛漫な嫡男伊周さまと、末っ子気質全開で俯瞰する隆家さま。彼等が起こした事件=長徳の変が中関白家の没落を決定づけました

「父の関白を継げなかった俺、かわいそぉ」とすべてを人の所為にして、内にこもり続ける伊周さまは、のちに「呪詛祭り」と呼ばれるフェスをひとり開催します(違)

ここで展開された「呪詛クッキー」は、誰にも刺さることなく盛大なブーンメランとなり、伊周さま自身を直撃。一瞬、「このクッキー、作ろうかな…」と思った私にも何某かのブーメランが刺さってる可能性はありますが。それはともかく( ̄▽ ̄;)

伊周さまは、その短い人生のなかでいちばん楽しく、幸せだった雪の日を思いながら、亡くなります。

実は、道隆さまがはかなくなられたときよりも、私がメンタルを抉られたのは伊周さまが身罷られたときでした。華やかだった中関白家は、本当の意味で終焉を迎えたのだなと、心の底から理解し……泣きそうになっていたのでした。

一方で、一人生き残ることになった隆家さまは、「政をする」という強固な意志のもと、幼い頃のやんちゃさも携えながら、大宰府で大きな武功を上げます。「刀伊の入寇」です。

隆家さまは、うるわしく華やかな中関白家の様子を、どちらかといえば斜に構えて俯瞰していることが多い方でした。

もちろん、道隆さまと貴子さまのお子でいらっしゃいますから、ご自身にもその「きらっきら」した要素は備わっていました。が、それを全面に出すことはなく、まっすぐに世を見据え、自身のなすべきことを為す生き方を選ばれたのです。

「えらくならなくて。よかった」
これはきっと、父や姉のはかなさや、兄の弱さを見つめ続け、受け止めていた隆家さまだからこそこぼれた本音であったろうと思うのです。


■うるわし男子列伝

さて、私の感想noteで毎回、というわけではありませんでしたが、わりと大きなウェイトを占めていたのが「うるわし男子列伝」です。

■「超公任さま」な公任さま

大河ドラマ『光る君へ』に出演される各役者さんたちの扮装写真を見たときに、ものっそい叫んだのが

「公任さまが超公任さま!」

という、トートロジーなのになぜかいろいろ伝わる言葉でした。えぇ、公任さまは徹頭徹尾「超公任さま」でいらっしゃいました(感涙)

ですが、公任さまも大きな時代の波に飲み込まれた方でした。

第1話での関白は、公任さまの父君である頼忠さまです。つまり、公任さまはもともと摂関家の嫡流の嫡男でいらっしゃったのです。だからこそ、F4のリーダー格を務めていた。

それが、帝を引き下ろし奉った寛和の変により、その道は永遠に閉ざされます。

そのときの公任さまの葛藤や絶望を思うと、途方もない暗闇に放り込まれたような気持ちになります。それでも生きていかねばならない。だからこそ、公任さまは風雅の道に生きること―天下無双の文化人になることを選び撮るのです。

そんな公任さまは、F4のなかで最も長い人生を生きられます。公任さまが最期に御覧になった風景はどんなものだったのか……それが少しでもやさしいものであることを願ってやみません。


■皇統を引き寄せた一条天皇

感想noteでは、折に触れて両統迭立の話をしていました。大河ドラマ『光る君へ』は、傍流であった円融帝から続く皇統を、48話かけて本流にしたお話であったとも言えるでしょう。

そのなかで、鍵となったのは円融天皇の一粒種「懐仁親王」、のちの一条天皇でした。彼が生まれたことにより、傍流で終わるはずだった円融天皇の血筋が現代まで続くことを決定づけたのです。

一条天皇は賢帝であろうと、民に寄り添う善政を行なうことに心を砕きました。摂関政治の最盛期手前の、基盤の揺らいでいる時期に「賢帝」であることが、どれほど困難なことか。

それと同時に、彼は寵姫である定子さまを手放すことはできませんでした。もしかすると、それは「賢帝」であるためにどうしても譲れないことだったのかもしれません。

定子さまを亡くした後、その面影を追い続けた一条天皇でしたが、彰子さまの本音に触れ、ふたりの皇子にも恵まれました。ですが、これからというときに、彼は突如病に倒れます。そうして、定子さまの遺した敦康親王の立太子を強く望みながら、ひとり旅立つのです。

一条天皇の志は、彰子さまが継ぎます。もちろん、そのときはまだ何の力もなく、一条天皇の望みをかなえることはできませんでした。ですが、そのときのくやしさやかなしみは彰子さまを、藤原氏の実質的家長へとのし上げます。

それが結果的に、摂関政治の終焉をもたらしたことは歴史の皮肉以外何者でもないような気がしてなりません。


■まとめ

というわけで、大河ドラマ『光る君へ』感想note完走記念なまとめでした。

2024年、ほんとうに楽しかったです。大好きな時代のことを思う存分書き尽くし、また、院政時代以来『大鏡』をしっかり読み返して。あの頃の楽しさと、今の楽しさを合わせて、ずっとにこにこしていられた一年でした。

何より、感想記事を読んで楽しんでくださる方が大勢いらっしゃったこと。そのことが毎回心強く、全話の感想を書き続ける原動力となりました。みなさま、ほんとうにありがとうございます。

これからももう少しの間、『光る君へ』関連の記事を書こうと思っています。新しい大河ドラマも始まりますが、2024年の大河ドラマ『光る君へ』を思い出す時間に私の感想noteがご一緒できれば、幸いです。


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