子育てはマラソンだと思っていたら、実は山登りだったと気付いた話。
子育ては奥が深い。心からそう思う。
小3になった息子(発達凸凹と言われたことがある)。最近の様子を見ていると、去年登校渋りしていたのは何だったのかというくらい、当たり前のように学校に行けている。
一時期は、このまま不登校になるんじゃないかと思ったこともあったし、転校(就学前まで過ごした街に戻る)のタイミングだったので、特別支援学級も検討していた。フリースクールを調べたりもしていた。
私は、悩んでいるというより、いつそうなってもいいように下調べをしている、という状態だった。
そんな時、幼稚園からお世話になっていた療育アドバイザーの先生に相談する機会をいただいたた(お忙しい中、時間を割いてくださった)。療育への扉を開いてくれた先生だ。
当時の息子の様子を話した。
そして、新3年生になる新学期からどうしたらいいか迷っている、というようなことをお伝えした。
私は心の中で、その先生なら特別支援学級や通級を迷わず勧めてくれるんじゃないかと思っていた。
ところが、実際は、全然違う回答をいただいたのだ。
それは、こんなことだった。
私は、なんだか、頭をガーンと殴られたような気がした。そして、ちょっと混乱したのだ。
息子の凸凹(特性)は、様子を見てもいいけれど、積極的に関わった方がいいと教えていただいたのは、まさにこの先生だったから。
それで、幼稚園時代も、就学準備も、入学してからも、そういう視点で息子に関わってきた。息子に合いそうな放デイを探し、習い事も追加し、学校から勧められたわけではなかったけれど、通級への道も拓いてきた。
それが、なんだか全て否定されたような気もして、落ち込んだ(先生は、多分否定はしていないのに)。その日はダブルパンチで、財布を忘れて、PayPayも使えなくて、私が呼び出したくせに先生にコーヒーを奢ってもらったことでも落ち込んだ。
でも、やはりたくさんのお子さんを見てこられた先生からのアドバイス。私は、半信半疑ながらも、その意見に乗っかってみることにした。
それからは、「必要最小限のことしかしない」ということに少しずつシフトチェンジしたのだ。
転校の際に私がしたことは、それまでのいきさつや通級の記録を学校に提出しただけ。通級も支援学級も希望しなかった。
通学路は交通量が少なく、小さい頃から過ごした場所だったので、送迎は初日だけで、すぐにやめた。
時間割りや身支度、宿題などは、元々自分で出来ていたことも多かったので、さらに手出しせず、時間の管理もあまり口出ししないようにした。
学校でのことはさらっと会話するが、根掘り葉掘り聞くのは避けた。特に人間関係については、息子から話してくるまであまり触れなかった。
放デイは月1回だけ(就学前に通っていたところ)、習い事も必要最小限にした(と言いながら、だんだん増えて今3つ)。
こんな風に、気にはしながらも、なるべく手を出さない方法で見守ることにしたのだ。いきなり「やりません」では息子がびっくりするだろうから、グラデーションをつけて実行したこともある。
この間、いくつか記事も書いた。
4月。担任の先生が素晴らしくて、安心だと感じている。でもまだ不安はある。
6月上旬。息子の意外な一面を目の当たりにし、安心するとともに、やっぱり素敵な先生だと思っている。
6月下旬。かなり前向きに水泳に取り組む息子。ちょっと頼もしく感じ始める。
この半年、泣いて登校するなんてことは一度もなかった。以前のように、給食当番や日直が嫌だということもない。朝も時計を見て、逆算して行動できるようになった。担任の先生から電話をいただくようなこともなかった。
そして10月。
先日配られた通知表(二期制・前期)の先生のコメント欄には、こんなことが書かれていた。
おー!
もちろん、良いところを見つけて書いて下さっているとは思う。でも、なんだか想像していたよりもパワーアップした息子がそこにはいた。うれしかった。
この見守り方で、良かったんだ…。
その時、私はようやく気が付いたのだ。
今までの私は、「過保護」だったんだな、と。
息子の力を信じていると言いながら、息子自身が乗り越えないといけない壁を先回りして低くしたり、壊すようなことをしていたのかもしれない、と。「過干渉」とも言うのかも。
もちろん、全てが無駄だったとは思わない。感覚統合の視点やビジョントレーニングは取り組んできて、ある程度の成果は得られた。
それに、今だから言えるのだけれど、前の学校(特に1年生時)では、信頼して任せられるような先生ではなく(小声)、萎縮したり学校に行けなくなる子が複数出る状況だったので。
そういう不安要素が、私の過保護に拍車をかけた、とも言える。当時は「守らなきゃ」ということに必死で、息子の成長のタイミングを見逃していたのかもしれない。
でも、今はどうだろう。私が、担任の先生を信頼し、息子自身のことはなるべく本人に任せようとしたら、この通り。いい調子だ。
担任の先生ももちろん素晴らしいのだけれど、やっぱり息子自身が自信を付けた、というのが1番の要因なんだと思う。
だから、私は決めた。
学校で、また不安な先生が担任になったり、お友達とのトラブルがあったとしても、「世の中にはそんな人もいるよね」というスタンスで、それを息子が自分で乗り越えていけるようにしようと。
息子は凸凹あるタイプかもしれないけれど、今は学校生活で適応できている。それで十分だ。もう、それはあえて言わなくてもいいと思う。
それと、成長の過程で、息子もだんだん悪さを覚えてくるかもしれないけれど、犯罪や命に関わること以外は過剰に反応しないようにしよう、と。中学年は「ギャングエイジ」とか言うし。悪いことをしたら怒られる、それも大切な経験のはず。
とにかく、でーんと構えよう、と決意したのだ。
…
この半年の流れを書いていて、私はふと思ったことがある。
今まで、子育てはマラソンみたいだと感じていた。長い道のりを子どもと一緒に走る、という意味で。途中でまわり道をしても、立ち止まったりゆっくり歩いたりしても、ゴールに向かって進めばいいと。
でも、実際は、山登りみたいなものだったんだと気付いた。初めはなだらかな道でも、だんだん険しくなる。きっと平坦ではない。ごつごつした岩が転がっていたり、時には森に迷い込んだり。でも、その岩も森も結構必要だったりして。
療育アドバイザーの先生は、頂上から私たち親子を見てくれている。だから、私の過保護を見抜き、今はその道じゃないかもよ~、あえて岩はどけずに登ってみて~と軌道修正してくれたのだ。
その方法で登ってみたら、確実に高度が上がっていたようだ。どんな岩が転がっていたかは詳しくは分からないけれど、息子が自分で1つずつ越えて、自信を付けて来たんだと思う。
専門家の意見は、やっぱりすごい。ガイドさんみたいだ。
山登りという子育てをしながら、確実に親も鍛えられている。きっと、まだまだ未知の場面がこれからもたくさんあると思う。足元にばかり目が向いて、ルートが分からなくなることもあるかもしれない。
だって、この山登り、初めてなんだから(開き直り!)。そりゃそうだよ。初めから全部分かっていたら、苦労しないよ。
だからこそ、必要なアドバイスを受け入れる素直さや、その時々でギアチェンジしたり、ルートを変えたりできるしなやかさが必要だよなあと思うのだ。
それに、やっぱり、一緒に登っているからこそ気付くこともたくさんある。転んだら起きるのを待てばいいし、ひざを擦りむいていたら、絆創膏を渡せばいい。
次はそろそろ、息子も重い荷物を分担して持つことや、他人のペースにも気を配ることなどを経験していけたらいいと思う。
そして、いつか息子が「ここからは1人で登るよ」と言ってきたり、一緒に登るメンバーが合流した時に、「私はぼちぼち登る(または下る)から、お先にどうぞ。」って見送れたらいいなあ。
その時に振り返ってみたら、まあまあいいルートだったよね、ここまでよくがんばったね、と言えたら最高だ。きっと、そこでしか見れない景色があるんじゃないかな。
そういうイメージで、これからも焦らずに、失敗を恐れずに、ぼちぼち山を登ってみようと思う。
そして、その一歩一歩を楽しんでいけたら、さらにいいよなあと考えている。
*
以上、息子から学んだ、私の子育て体験談でした。お付き合いいただき、ありがとうございます。
子育てに「絶対これ!」はないと思っています。環境やシチュエーション、子どもの性格や特性、成長のペースは千差万別なので。でも、こっちの方がもうちょっといいかもしれない、はあるはず。
もし何かで悩んでいて、他の方法はないかな、とお探しの方がいらっしゃいましたら、1つの例として参考にしていただけたら幸いです。
一緒に山登りしましょう♩
***2024/10/15追記***
***2024/10/28追記**
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