なぜ、私が?

1943年生まれのア-サ-・アッシュはアメリカの伝説的なテニスプレーヤ-。

人種差別されたり、病気になったにもかかわらず、決してあきらめることをせず、途中で投げ出すことはなかった。

12歳の時、バード・パークで開かれたリッチモンド・シティ・トーナメントに参加したアッシュは、コート上で初めて差別を体験した。この公園は人種隔離が行われており、たとえどんなにテニスが上手でも、黒人の子供は入ることが出来なかったため、幼いアーサーは大会へのエントリーを拒否された。
まだ人種差別が激しい1963年にアフリカ系アメリカ人として男子国別対抗戦デビスカップの米国代表に選ばれて活躍。男子シングルスで男子シングルスで4大大会(グランドスラム)のうち3大会で優勝。紳士的なマナーとスポーツマンシップで知られ、85年に国際テニス殿堂入りを果たしている名プレーヤーだ。

デビスカップチームの黒人選手として選ばれて、キャプテンになった時に、その下にはジョン・マッケンローがいた。

大声を出したり、審判を侮辱したり、ラケットを叩きつけるなど、あの無礼で反抗的で、アーサーとは全く異なるプレーヤーと一緒だったなど、彼の人生に関してはもう少し詳しく調べて書きたいと思う。

アッシュは早くから心臓疾患に悩まされ、1979年7月に36歳で最初の発作を起こしている。病状は徐々に悪化。

1988年、心臓の手術での輸血の際に、エイズに感染してしまったらしく、1992年にそれを発表した。

当時、この病気は同性愛者のものと思われていて、世間の反応や家族への影響もわからず、発表するのが、怖かったそうだが、彼は発表した。

エイズについての認識、確かな情報、治療のための資金調達にも尽力し、自らの財団「アーサー・アッシュ・アーバン・ヘルス研究所」を設立したが、彼は翌年1993年に亡くなった。

49歳だった。


彼の性格や人生に対する姿勢を表した有名なエピソードがある。

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エイズであることを公表したあと、彼のもとにファンから手紙が届き、

「なぜ神様はあなたをそんな恐ろしい病気にさせなければならなかったのでしょうか?」

という質問。


アーサーはこう答えた。

「何年も前から約5000万人の子供たちがテニスを始め、そのうちの1人が私でした。

500万人は、本当にテニスを習いました。

50万人はプロテニスを学びました。

5万人がサーキットへ

5千人がグランドスラムへ到達。

50人がウィンブルドンに出場しました。

4人が準決勝に進出、                                  

2人が決勝に進出し、そのうちの1人が私でした。


カップを手に勝利を祝っているときに、「なぜ私が?」と神に問わなかったのに、今、私が苦しんでいるとき、「なぜ私が?」と問うべきではないのです。」

グランドスラムとは
国際テニス連盟(International Tennis Federation)が定める最高峰のテニス世界4大大会(全豪オープン・全仏オープン・ウインブルドン・全米オープン)。1選手が4大大会を全て制することもグランドスラムと呼ぶ。過去にシングルスでこの偉業を達成した選手は男女通じて5人しかいない。

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メンタルがどんなに強くても、こんな差別を受けたら、「なぜ、私が?」と、自分の夢をあきらめるだろう。

エイズのような病気になったら、「なぜ、私が?」と、落ち込んでしまうだろう。


自分の人生に満足がいかないときに、「なぜ、私が?」と聞くのは、自分の人生に不満というネガティブ感情。

そして、それは神様のせいでも誰のせいでもない。

彼は自分を信じていたとても力強い人だった。

だから、世界最大の収容人数を誇るスタジアムが彼の名前をとった(「アーサー・アッシュ・スタジアム」)のは当然のことだ。

その開場式典ではジョン・マッケンローが「彼は偉大なテニス大使だった」とのスピーチを行った。このコートは最大収容人数2万5千人の規模を誇る、世界最大のテニス・コートである。



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