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TSUBAKIの朝

まぶしい。

鉛のような体をゆっくりと起こす。

今、何時なのだろう。
寒い季節に陽の光がまぶしくて目が覚めたのだから、きっとお昼が近い。

壁掛け時計には目もくれず、着替えとタオルを持ってお風呂へ。
熱めのシャワーを浴びないと、すべてを洗い流せないような気がした。
シャンプーの香りが鼻をくすぐるように感覚を呼ぶ。
体が研ぎ澄まされていく。

長めにシャワーを浴びてお風呂場で着替える。
寒くないよう、なんて建前はいらなかった。
自信のなさを見られなくないんだ。

部屋へ戻る途中、まだ見慣れない景色に足元がおぼつかない。
「ごめん。うち、ドライヤーないんよ」
その声は、一気に景色を色づけてくれた。

そうだ、わたしは友人の家にいるんだ。
前の日の晩、長年の友人に久しぶりに会えて、うれしくなって酒を口に含んだ瞬間に記憶も飲み込んでしまった。

「びっくりしたちゃ。相当量の酒で記憶なくなるまで飲んで」
友人は、もう何も思い出したくないと言わんばかりに、口をつぐむ。

ごめんね。

口先だけの、わたし自身が納得するための謝罪は友人はきっと求めていない。
ゆっくりと沈黙の時間がわたしたちの間に漂う。

とっさに口から言葉があふれた。

わたしは濡れた髪の毛を鼻のあたりにあてて、
「このシャンプー、松本(仮名)とおんなじ香りだね」
とささやいた。

ずっと使ってみたかった資生堂のシャンプーTSUBAKIは、友人のお気に入りのものだったようだ。

「当たり前やろ。ここ、誰の家と思っとるん?」
友人はそう言うと、ふたりで爆笑した。

腹の底から笑う。

今までの友人との過ごした日々を思い出していた。
何度も一緒に帰ったこと、並んで眺めた電車の車窓。
おとなになってから、真夜中のドライブ。
そして前の日の醜態。
笑えば笑うほど、一つひとつずつの思い出が昇華されていくよう。

笑えば笑うほど、心は泣いていた。
なんで、ずっと大切な一言を言えないんだろう。
情けなさすぎる。

だから、友人にとって箸にも棒にもかからない存在なんだ。

無理やりに納得しようとするわたしは、TSUBAKIの香りもまた、思い出の1ページとして心に刻んだのだった。



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