最後は、タイの寺院でヴィバッサナー瞑想へ
タイ滞在の最後は、タイの寺院でヴィバッサナー瞑想へ。
ヴィバッサナーは4年前にニュージーランドで知った。7日間から10日間ひと言も話さず、瞑想し続けるもの。行った人は「めっちゃ良いよ!」とおすすめしてるけど、わたしは「絶対行かない」と思っていた。10日間も瞑想なんて無理!笑
実はタイに行くかまだ決めていなかった時に、日本のヴィバッサナー瞑想センターもおすすめされた。でもわたしには行く選択にも上がらなかった。それくらい興味なかった。
でもタイに来て、「瞑想」「瞑想センター」というワードを何度も聞いた。「本当の自分とは?」「本音をどうやって知る?」「どう生きる?」「自分とは何者か?」そんな話題を何度も話し合った。
いつの間にかわたしの頭には「瞑想センターへ行く」という考えがよぎるようになった。滞在に残された時間は1週間、遠くに行っている時間はない。空港近くに瞑想センターを見つけた。月2回の入学日が近かった。最低1週間、最大45日間の滞在と明記されていたが、わたしのフライトの関係で滞在できるのは6日間。
ダメ元で聞いてみると、6日間の滞在でもOKをもらえた。
自分の中でいろんな条件があるなかで、導かれるように、すべてのパズルのピースがハマっていくように、ヴィバッサナー瞑想に行くことになった。
ヴィバッサナー瞑想がどうだったか、ここに文章として書き出すのはやめておく。
学んだことはたくさんだ。これから少しずつ書いていく。でも書き出すことで、どこか薄っぺらくもなってしまいそうで書くことに積極的ではなかったり、自分の中に留めておきたいものもある。でもひとつ、行って本当に良かった。
タイに来た理由は、これから自分がどうしたいのか?何をしたいのか?それを知りたかったから。これからどうしたら良いのか知りたかった。
それが見つかった。それは瞑想しているときでもなく、タイ最終日の夜、寺院のブッダセレモニーの最後に祈りを捧げている時に見つかった。
わたしはずっと「何をしたいのか?」「何をしたら良いのか?」と"do"ばかりを探していた。でも見つけたものは「いつだって本当のわたしであること」と”be”だった。
祈りを捧げているとき、最初は「豊かでありますように」「幸せに溢れますように」と捧げていた。でもどこか違和感だった。「ハッ」として再び祈りを捧げに行ったわたしの心に無意識に浮かんだものは「本当のわたしでありますように」だった。本当にわたしで在り続ければ、豊かであり、幸せに溢れている。だから大切なことは自分がどう在るかだ。それに気づいた。
本当の自分で在ること、それが大切だとはわかっていたはずだけど、それでもわたしはそれがすべてで、そこからすべてが創り出されることを本当の意味で理解していなかった。だから”do”なにかをすることに意識が向いていた。
最終日の夜に見つけた。すごいタイミングだ、と自分で思う。これでもう思い残すことなく、日本に帰られる。
翌日、飛行機に乗ったとき、いろんな感情が出てきて、涙が溢れた。とまらなかっつた。楽しかった、辛かった、人に愛された記憶や愛した記憶、寂しさ、やり切った満足感、タイに来て良かった。
そんな感じでタイに1ヶ月滞在は終わりを告げました。