不便から得られる豊かさ
私のひとり暮らしの家には、電子レンジも炊飯器もない。
温めたいときは、フライパンや鍋を使い、焼きたいときは魚焼きグリルを使い、ご飯は土鍋で炊いている。
なぜこの生活を選んでいるのか。
ニュージーランドや日本の田舎で暮らしを体験したとき、それらの電子調理器はなかった。でも不便を感じることがなかった。
島暮らしをしたとき、1週間に1度のみ食料を運ぶフェリーが来る生活だった。台風でフェリーで欠航すると、スーパーは食料なく、島民は釣りをして食べ物を確保する、といった暮らしだった。
ひとり暮らしをする前は、軽バンで生活していたこともあり、電子調理器に特に必要性も感じていなかった。
〈電子レンジや炊飯器などの電子調理器を持たないことで得られること〉
①不便さからクリエイティブが生まれる。
どうしたら温められるか、どうしたらお菓子作りができるか、電子レンジやオーブンがあれば、ボタンひとつで出来ることを、どうやったらできるかのアイデアを考え試行錯誤し続ける。
失敗することもあるし、時間がかかるし、手間もかかることも多い。
だからこそ、より良い方法を模索し続け、それがクリエイティブ力に繋がる。
②部屋の空間に余白がある。
電子調理器を置くためには、棚や台が必要となる。ひとり暮らしの狭いキッチンでは、その棚を置くだけで、キッチンのフリースペースがグンと縮まる。
だから空間を確保するために、置かないという選択をする。
部屋の空間に余白があると、すっきりして心地よい。
③生きること、暮らすことへ必死になる。
便利さは最高な幸せを与えてくれる。でもその幸せは一時的な感情で、いつしかその便利さが当たり前になっていく。
便利さは生きること、暮らすことを、簡単にさせて、必死さを忘れてしまう。人間の根本にある衣食住を忘れてしまう。
日本の都会で生まれ育った私が、ニュージーランドの山奥で自給自足の生活をしたとき、人々が毎日、必死に暮らすこと、生きることに向き合って行動していた。
私自身も、そんな人たちと共に自給自足の生活をすることで、生きることに全力で向き合った。
そこから得られたことは、「豊かさ」だった。
そんな私が、2拠点生活を始めて、シェアハウスに炊飯器・トースター・オーブンレンジがあったことで、その便利さにどっぷりハマった。
甘酒も、お菓子作りも簡単にできて、楽にご飯を温められることに、心奪われた。「あれ作ってみたい!」が叶い、やりたいことを実現できる範囲が広がった。
もうすぐ2拠点生活を終える私は、ひとり暮らしの家にオーブンレンジや炊飯器を購入したい!とも思っている。
それと同時に感じるのは怖さ。
不便から得られる豊かさを失うことになるのだろうか。余白も、クリエイティブさも失うのだろうか。
きっと購入したら、また別の感情を感じるだろう。違う豊かさを感じられるだろう。新たな気づきを得られるだろう。
不便が良いこと、とは限らないから。
まだ購入するかはわからない。
でも、今は、不便から得られる豊かさを大切にしていきたいと、私は心から思うのだ。