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考える力こそがAIに置き換えられない人間の価値

あなたは一日の中でどれくらい考えることに時間を割いていますか?
「私は頭脳労働者で肉体労働者ではない。だから私はいつも考えている。」
「私は成績優秀で勉強に励んでいる。だからいつも考えている。」

しかし、私は結構な人数の、優秀だけど考える習慣を持たない、あるいは考える力の弱い人たちに出会ってきました。ネットでありとあらゆる情報が見つかる時代、知識の豊富さはそれほど重要ではありません。

必要なのは考える力。考える力こそがAIに置き換えられない人間の価値です。

要点
1. 考えることを忘れた人が増えている
2. 個人の真価は知識の量ではなく考える力
3. 記憶力は鍛えるが考える力のトレーニングはほぼ皆無の日本の教育
4. 考えることと思うこととの違い
5. 考える習慣をつける方法

考えることを忘れた人が増えている

忙しい現代人の多くは、実は本当の意味での「考える」ことが少なくなってきています。

例えば、世界でもランキングトップに入る大学からインターンに来た学生。与えた課題は一所懸命にこなして確かに仕事の結果は出せます。しかし、自分で何が問題で、何が求められていて、どう取り組めばいいのか、何から始めればいいのか、といった実社会で最も基本的なことを考える姿勢がないというか考える習慣がない。

二例目は、世界スケールのよその会社の担当窓口の若くて頭のキレそうな人。3回同じ話をしなければ、こちらの求めていることを理解できない。同じことを何度も聞いてくる。

彼の上司は一発で理解できているのに。

こちらの言葉をそのまま理解しようとしているだけで、自分なりに咀嚼して理解していない。つまり自分の頭で考えていないから、こちらの問題定義を自社の問題定義として再定義できないでいる。

これらはほんの二つの例に過ぎません。似たようなケースには頻繁に遭遇します。

個人の真価は知識の量ではなく考える力

上にあげた例は本当にひどい話ですが、私たちは大なり小なり知らないうちに同じようになる可能性があります。

なぜなら、わからないことはスマホでインターネット検索すればすぐに見つけられる。うまくキーワードを設定しネットサーチで素早く情報を見つけることのできる人は、物知りに見えます。そして賢く見えます。それを読めば理解できる現代。そうやって知識がどんどん増えて自分が賢くなった気がする。

しかし、多くのことを知っていることと、考える力を持っていることは全く別物です。情報を探し理解することに忙しい私たち現代人は、考えることをしなくなる危険と常に背中合わせなのです。

例えば、電車の乗り換え。今では自分で計算して判断する必要はありません。行き先や到着時刻を設定してスマホの乗り換え案内の指示に従うだけです。地図を読む能力も必要ありません。

紙の地図しかなかった時代、知らない場所では自分が地図上のどこにいるのか、きちんと理解しなければなりませんでした。

GPSのある今はその必要は全くありません。東西南北も意識せずともスマホの画面をみればわかります。

家の中で何かが故障しても、ちょっとネットを調べれば解決方法が見つかります。

つまり情報がたくさんあることによって私たちは考える機会を失ってきているのです。

知識があることと考える力があることは根本的に違います。知識はネットにアクセスすれば誰でも見つけられます。考える力は自分で鍛錬し習慣化しなければなりません。これからの時代に求められる個人の真価は知識の量ではなく考える力なのです。

記憶力は鍛えるが考える力のトレーニングはほぼ皆無の日本の教育

残念ながら日本の現在の教育は、記憶力のトレーニングばかりです。しかも短期記憶力のトレーニングに重点がおかれています。考えるトレーニングはほぼ皆無です。

大学4年生で研究室に配属されて、いきなり考えることを求められることになります。

「勉強は考えることだ」と反論されるかもしれない。しかし受験勉強で勝ち抜くには、記憶力が勝負だというのが残念ながら日本の現実です。

進学塾や学校の授業でも、数学や理科の応用問題をパターン化して覚えて解くコツを学んでいる、ということはありませんか?

数学の公式の意味を理解せずとも、パターンとして覚えてしまえば試験では点数が取れてしまいます。

残念ながら、受験勉強に集中すればするほど、「考える」ことより「覚える」ことに重点を置きがちになります。

考える力を持った人は、子どもの頃からの好奇心を維持したまま育ったとか、家庭環境がそうであるとか、学校以外の部分の影響が多いように思います。

特に家計が貧しい場合はなんでも工夫しなければいけない。あるいは親が商売をしている場合、親の苦労や工夫を身近で見ているなどの影響が大きいように思います。

国際バカロレア(International Baccalaureate)課程の学校は、知の理論(Theory of Knowledge)を中心として小さい頃から考える力を徹底的に鍛えます。

例えば5年生で、汚れた靴下を洗剤や石鹸を使わずに綺麗にする方法を考え、試し、どうしてそれがうまくいったのか、うまくいかなかったのかを考えなさい、という課題がありました。

9年生(中学3年)では、「戦争は避けられないものだ」という主張と同時に、それと相反する「戦争は避けることができる」という主張の両方を論理的に説明せよ、というテスト問題がありました。

これらは習ったことを覚えていて組み合わせてできるものではありません。あくまでも考える力とそれを説明する力を評価しています。

考えることと思うこととの違い。

私はあえて「思考力」という言葉を使っていません。思うことと考えることは根本的に違うからです。思考力とは思って考える力です。

思うことは第一歩かもしれませんが、しかしそれでは考えたことにはなりません

頭の中で考えている時は「思いを巡らせている」に他なりません。だから一向に考えがまとまらないのです。頭の中で考えるだけで、堂々巡りをしていないでしょうか?考えがいつの間にか最初の目的から脱線していないでしょうか?これらは単に「思いを巡らせている」状態だからなのです。

頭の中のそういったぼんやりしたものを、自分の言葉で人に説明する、あるいは文章や図、フローチャートなどとして書き出すことによって初めて「考えた」ことになります。もちろん、最も効果の高いのは書き出すことです。

一番良いのは紙と鉛筆を使って頭の中にあるモヤモヤとしてものを言葉や図で視覚化することです。

私は仕事でじっくりと考えるときは、パソコンを閉じてメールもシャットダウンし、A3の紙と鉛筆を机に広げて考えます。ボールペンではなく、消しゴムで消せる鉛筆です。

「いや、私はパソコンを使ってじっくり考えることができる。私はブラインドタッチで文章を打てるから」と言われるかもしれない。

人の頭の中のアイデアは、文だけでなく図で視覚的に描くことでより具体化します。

しかしパソコンでは頭の中で考えるスピードに従って書く(描く)ツールが現時点ではありません。言葉や図、グラフ、矢印などを自由なレイアウトで視覚化することができません。できるとしても手書きより余分な時間がかかります。これがパソコンの画面に向かって考えを書き出すことの決定的な欠点です。しかもフォントやレイアウト、日本語の場合漢字変換など、別な部分に脳を働かせなければならない。

だから考えがまとまらないのです。

スマホだけに頼っていたらもっとマイナスです。Garr Reynoldsもその著書”Presentation Zen”[1]の中で、ポストイットを使ってプレゼンの流れを考えることを強調しています。

私は自分のアイデアが完全に固まっていない段階で人に話します。会話を通じて結論を得られることが多いのです。相手のアイデアをいただく場合もありますが、ほとんどの場合は、自分の頭の中でロジックがきっちりとつながることで結論が出ます。

つまり声に出して説明し、それを自分の耳で聞くことは、紙に書き出してそれを読むことと同じような効果があるのだと思います。

考える習慣をつける方法

「考える」とは辞書によると、 

1) 物事について,論理的に筋道を追って答えを出そうとする。2) さまざまなことを材料として結論・判断・評価などを導き出そうとする。

となります。つまり考えることとは、第一に何が(what)問題なのかについて明確にする作業です。

二つ目の「考える」ことは「何故?(why)」と疑問に思うことです。「どうして?」と思っている時は一生懸命「考えている」状態です。

幼かった頃のことを思い出してみましょう。何かにつけて、「何で?」「どうして?」って大人に聞きまくっていませんでしたか?これが考えている状態です。

何故は行き詰まるまで何度も繰り返しましょう。何故?Aだから。何故Aになる?Bだから。何故Bになる?Cだから。。。

三つ目はhowと問いかけること、つまりどうすれば目的を達成できるかとか、どうしたらトラブルを解決できるか、などを考えることです。

What, why, how、と問うことで積極的に「考える」ことができます。

しかし、学校教育に戻りますが、学校での成績が優秀な人ほど、覚えた公式やパターンの中から的確なものを引き出すこと(which)、神聖ローマ帝国は何年から何年(when)とか、ボーキサイトの産出量で世界第1位の国はどこか(where)、などという頭の使い方になってしまっている可能性があります。

これらは記憶を引き出す作業であって、考えることではないのです。

まとめ

私たちは時として情報の洪水に溺れ、考えることを忘れがちになります。大切なのは知識の量ではなく、考える力です。教育も記憶力のトレーニングが主であって考える力のトレーニングは皆無に等しい。思うことは頭の中のぼんやりしたこと。考えることはそれを書き出し、what, why, howを問い、具体的、客観的、批判的に再評価することです。紙と鉛筆を使って。

Reference
[1] Reynolds, G. (2008). Presentation Zen: Simple Ideas on Presentation Design and Delivery. Berkeley, CA: New Riders

Header Image original by Billy Hathorn, modified for color saturation.

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