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プチ鬱でもこんなに辛いんだからさ。

 お疲れ様です。エポナです。

 先日投稿した通り、ここ一週間ほどメンタル不調が続いていました。食欲増進も恐ろしいくらいだったので、おそらく一番の原因は生理前であること(PMS:月経前症候群)だと思うのですが、私は初潮を迎える前の幼少期からしばしば塞ぎ込むことがあります。

 もともと大人しくて冷静と言われる私。基本的にはネガティブですし、内向的な人間であることは間違いありません。しかしその平常運転よりはるかに落ち込む時期があるのです。発達障害なのか気分変調症なのかと色々考えましたが、とにかく自覚しないうちにストレスが溜まると、周りが気を遣うほど塞ぎ込んでしまいます。私としては辛いのですが、家族からはよく面倒臭いと叱られていました。

 今回はその時の様子と、抜けた瞬間の感覚についてお話しします。

 こんなプチ鬱でもしんどいのですから、実際にうつ病や適応障害などを患っている方の辛さ想うと胸が痛いです。私はこんな状態が何ヶ月も何年も続いたらとても生きていける自信がありません。


1. 感情面 


 感情の動きがなくなる。一言で表すならこれに尽きますね。悲しくて感情が激しく揺れ動くというよりは一箇所にとどまる感じ。「食べてみたい!」とか「これ可愛い!」とか、瞬間的な感情の発露が一切無くなります。流れがせき止められて、水が淀んで濁っていくような感覚です。強いて言えばずーっともの哀しい。何が、とかじゃない。自分の存在そのものや、過去も未来も、とにかく私を取り巻く全てのものが嫌で嫌でたまらなくなる。取り返しがつかないところまで来てしまったと思う。世界は灰色に染まり、海の底にいるかのような閉塞感。

「あれ…?どこで道を間違えたんだ?」「道しるべが消えてしまった」「自分はまたしてもやらかしたんだ」「少しでも自分に期待したのがバカだった」と繰り返し考え、恐怖に打ちのめされてしまいます。

2. 行動&生活面


 この状態になるとまず表情が死にます。真顔よりも生気のない表情です。声も小さくなりボソボソと話してしまいます。もちろん仕事はしなくてはならないので患者さんの前では気丈に振る舞います。いつもと変わらない患者さんの笑顔を見ると多少落ち込みが和らいだりもします。しかし職場の人に振り撒く愛想は残っておらず、警備員さんとか店員さんには無愛想な対応をしてしまいます。そして自分はなんてダメな人間なんだとまた自己嫌悪で落ち込みます。

 イライラしやすいこともあり、楽しそうな話し声を聞くことが耐えられません。かといって一人で自宅に引きこもっても何も手につかないのです。家事を始めても途中で手が止まる、YouTubeも映画もドラマも頭に入らない。文章は作れない。何かして気分転換しようとすればするほど悪循環になってしまうのです。

 声を出すのが億劫。のろのろとしか歩けない。スーパーからの帰り道で思わず立ち尽くしそうになりました。足を前に出すことがこんなに大変だとは。


3. 抜けるのは割と一瞬


 これは幸いなことですが、改善してきた瞬間はよく分かります。単純に失われた感情が戻ってくるんですね。「ここ行ってみたいなぁ」「早くホープに会いたいなぁ」とか。心がふわっと動くような感覚で、少しずつ体調が戻ってきていることに気づきます。中断せずにドラマを一話観られたとか、映画を最後まで観られたとか、noteのネタを思いついた、とか。そんなささいなきっかけで実感するのです。

 ある程度の楽観性をもって希望的観測ができるようになる(それでも普通の方よりはネガティブで慎重ですが)、そしてそのような想いを持つ自分を責めなくなる。

 ま、いっかと思える。

 これがあれば上昇してきているサインです。




 去年の終わり頃に大きめの抑うつが来た時は、謎の腹痛で胃カメラも飲んだし、全身に蕁麻疹が出て痒くて夜も眠れませんでした。

 今回は超短期間だったので何とか乗り切れましたが、またいつかやってくるのでしょう。

”生きていく希望を見出せない”ということが、どれほど生命力を奪うものか。おこがましいですが、私は何となく分かる気でいます。

 もちろん誰かに誘拐監禁されたとか、戦禍の中で逃げ回ったとか、心の底からの絶望は経験がありません。しかし、豊かな先進国に生きる人々の間で、うつ病や自殺は蔓延しています。物質的な豊かさが必ずしも人々の心を充足させる訳ではないこと、むしろ反比例することも多いという事実を、どう受け止めるべきでしょうか。

 新政権ですね。

 日本は、世界は、どこに向かっていくのでしょうか。

 私は懲りずに色々なことを考えながら、今日もぽつねんと生きています。



 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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