katti6
24歳で東京に出て、師匠に出会い卒業するまでの日々。今の私が出来上がった全て。
ヘアメイク関連の思う事です。 お客様にも読んでいただけたらと思います。
どんな方に接するときでも私はこの事を思っています。 常に私の根底にある事知っていただければとおもいます。
私はヘアメイクの仕事をして17年ぐらいになります。 始めた頃はがむしゃらで、何でこの仕事をしてるのか、何でこの仕事が好きなのかとかあんまり考える時間もなかったけど、 去年、 はっきりと 自分の使命を 思い出しました そう! 思い出した!って感覚! 多分、もともとこの使命を受けて この世に産まれてきたんだな。 って感覚。 わかりますか??? やっと思い出せた!っていう感じ! 今までは自分の頭で理由を考えてたり、誰かに聞かれたら何となくの今までの経緯から
私はフリーランスのヘアメイクを職業としています。 ヘアメイクは割とフリーランスという働き方が多いジャンルだと思います。 ですが、 都会と地方ではちょっと事情が違うと思います。 私が現在働いているのは石川県という地方です。 そこではヘアメイクという職業の仕事内容は ほぼほぼウエディング関係の仕事をメインにしているヘアメイクさんが多いと思います。 都会ではテレビやCM、映画、雑誌、舞台、アーティスト、ウエディングなどなど様々な場面でヘアメイクの需要があり、 それぞ
化粧品について わたしが今現在辿り着いている答えの様なものについてお話しします。 わたしはヘアメイクの仕事をしています。 でも化粧品にはあんまり詳しくなく、ちょっとアンチな部分もあります。 元々全顔ニキビだったこともあって、 色々な化粧品を試してきたし、 敏感肌で赤みがずーっと出ていることが悩みでした。 でも 最近ようやく赤みと卒業できました。 割と今までも肌断食とかナチュラルコスメの方に興味は持っていて、 そういったもの自分なりにチャレンジはしてきて、
私はヘアメイクとして皆さんに何をお伝えできるのか ずっとそんな事を考えています。 久しぶりにcocanのサイトからヘアメイクのご相談の依頼が来ました! 久しぶりだったので、すごくドキドキワクワクしました。 自粛が明けてからは、少しずつ直接お客様とお会い出来るようになったので、パーソナルカウンセリングや、メイクで遊ぼうの方を中心にやっていたので、オンラインのお話は久しぶりでした。 初めましてで画面上で繋がるっていう なんとも現代ならでは コロナのおかげで、随分と気
ヘアメイクという職業の事や、なり方、ジャンルなど、知られているようで、あまり知られていない分野なのかなと思う。 私がヘアメイクになりたいと思っていた頃、調べてもよくわからなかった。 聞ける人もあまり居なかった。 とりあえず美容師っぽい方向に進んで、その後で、ヘアメイクというジャンルに進んでいくのかな?といった漠然としたイメージだけで進んでいた。 今はそれも間違いではないと思うし、なり方なんて、色々あるし、最終的にヘアメイクになれていれば、どんな方法だって正解だと思える
. お金の事 私のウェディングのヘアメイクの料金は 北陸の平均では決して安くはない金額だと思います (都会からしたら安いかもですが、、、) 当日の金額は平均的だと思いますが、 前撮りの料金は高い方だと思います。 料金を決めるのは自分なので、色々考えた上で、設定しています 最近では、あまり言われないですが、式場に勤めていた時はよく、「なんで、ヘアセットとメイクでウェディングになるとこんなに金額が高くなるのか。」と言われたりしました。 確かにお
今日は双子座新月です。 昨日は不思議な日でした。 本当は買い物に行こうと思っていたけど、なんだか今日じゃなくてもいいっかと思って、家で好きな事していたら、どんどんと情報が入ってきて、そのどれもが、私の興味のある事や今必要な情報ばかりで、、繋がり繋がって一日中ほぼパソコンの前にいました。でも私にとってはすごく充実していて、ちょっとワクワクしたり、感動したり、心が揺さぶられる色んな感情を味わえた1日でした。 先月ぐらいから、感じていた事ですが、必要な情報は必要な時に自然と入
私はヘアメイクの仕事をしています。 宇宙や星についてや、ご先祖様や守護霊、運命や宿命、神様や仏様 そんな事についても興味はあって、 小さい頃からそんな分野の事を読んだり知ったりする事が好きです。 今ではそういった事が好きな人たちの事をスピ系とか言われてますが、 なんとなくそういう感じに言われるのはしっくりきていません、、、 言われている人はみんなそうなのかな??? 私の中では小さい頃から当たり前にあった感覚で、その頃はあんまりそこに意識を向けていなかっただけで、
2020/05/13 このコロナ禍の中で 自分の役割や生活の仕方、 お金の稼ぎ方、仕事、これからの生き方、 社会問題、音楽や文化の事 色々毎日考えたり、 読み物に触れたり、 動画を見たり、 インスタライブを見たり、 ポッドキャストを聞いたり、 友達と語り合ったり、 不謹慎だけど、私の中では 今まで以上に充実した毎日を送っているような気がしています。 その中で、自分の力の小ささや、不甲斐なさも感じたり、 それでも小さくても、何かの力になれるかもしれな
師匠にアシスタントに就いていた期間は2年半ぐらいだったと思う その2年半、本当に毎日毎日いろんな事があって 書こうと思ったら話は尽きない そろそろシリーズが長くなってきたので、まとめに入ってもいいのだけど、まだまだ思い出話、したいので、書きたいだけ書きます。 私がついていた間にTGCのバックステージに入る仕事が、多分4回ぐらいあった。 当時、世の中は赤文字全盛期、ギャルの大ブームで、カリスマショップ店員がモデルになったり、読者モデルが出てきたり、モデルがタレントみた
アシスタントは、はじめ2人体制でスタートした。 私ともう1人、21歳ぐらいの細身でロン毛の男子。 彼は何がどうだったか今となってははっきり覚えていないけど、私が遅刻というクビ宣告から復活した後、数ヶ月後、クビになった。 現場終わりの飲みの席では日頃の私たちアシ2人の仕事のできなさ具合を師匠と姉弟子の酒のつまみされたり、(ほんと恥ずかしい。。あの時テンパってたよな?とか、わけわかんない事やってたよな?とかいじり倒される。。)や、なんか面白い事をやれとか、現場の失敗の反省と
師匠のアシスタントに就く時に 言われていた条件がいくつかある。 ・アシスタント代は月に3万円 ・1度でも遅刻をしたらクビ ・その他常識で考えられないような事をしたらクビ ・卒業は自己申告制で、自分の思うタイミングの2、3 ヶ月前に宣言して、次のアシスタントを育てる事 その条件をのんでアシスタントに就かせてもらったのだ。 でも早々にそのクビになる条件の遅刻をしてしまった。 (経緯は前回の記事に書いてあります。) 私は自分が情けなく、もう、すべて投げ出したいような
師匠に正式にアシスタントになってから、2、3ヶ月ほど経った頃 シーズンごとに撮影のある、通販カタログのスケジュールが入っていた。 これは本当にハードスケジュールで、約5日ほど、早朝から夜までぶっ通しで、ロケ撮影とスタジオ撮影をこなしていく という仕事だ。 師匠も姉弟子も、またこのシーズンが来たと言ってお決まりごとのような感じで言っていたけど、私からすると恐怖のスケジュールだ。(内容が濃いので、姉弟子もヘルプできてくれていた) まず、朝は始発に乗って目黒駅近くのナチュラ
師匠に弟子入り(アシスタントに就いて)して1週間ほどたった頃、 もう1人のアシスタント候補が来るという話を聞いた。 そう、私にとってはライバルだ。 2人の様子を見て、どちらか1人になるか、2人体制にするかという話だった。 そしてやって来たのは、まだ確か21歳ぐらいのロン毛で細身の男子。 正直、2人体制になるのは嫌だった。 私は1日でも多くの現場が見たいし、体験したい。 何が何でも私が残りたい と思っていた。 それからは、4人全員で現場に行くこともあったし、アシ
不思議な面接をしたあと、一度自分から断ったにもかかわらず、 再びお願いをしてようやく師匠が決まった。 最初の3ヶ月ぐらいは確か試用期間で、その後正式にアシスタントになれるかを判断されるという事だった。そしてその電話の次の日から、私の目の前に広がる世界が、本当にがらりと変わった。 次の日から行くことになった現場。 内容は何も聞かされず、とりあえず集合場所に行き、 師匠と、師匠のその頃の現アシスタント(私の姉弟子)と合流し、 どこだったかもわからないけど、気持ちの良い
自分の今までをもう少し整理しておこうと思い書いています。 私は4年間、地元では割と大きめの、8店舗ほどある美容室に就職しました。そこはサロン経営と、エステ、ドレスショップ、県内外のホテルや結婚式場のヘアメイク部門と割と幅広く事業を行なっていた会社でした。 当時私はヘアメイク部門の方に入っていて、会社では結婚式のありとあらゆる部分を見せてもらったし、基本的なヘアメイクの技術も、着付けも学ばせてもらったし、会社という構造や、会社と取引先という構造も見せてもらいました。 20